毒物事件の謎!その8
昨夜の事だが、とある報道番組で彼女の「2重人格」の可能性について報道していた。私も彼女のブログのそれらしい記述は発見したが、現在は彼女が多重人格である可能性については否定的に考えている。
番組で2重人格の根拠になっていたのは、ブログの
7月28日
僕の中に居る彼女の存在を感じなくなりました。消えてしまったのでしょうか。とても寂しいです。
って記述なのですが・・・確かになにか、におわせる記述ではあるけどね
さて、私が否定的に見ている理由を書く前に、多重人格って何よって事なんですが、正式には解離性同一性障害と言うらしいです。参考のページはこちら
ここでは通常時の人格を主人格、別の人格を別人格と記述します。
ポイントは多重人格では多くの場合、主人格は別人格の存在を知らないが、別人格は主人格の事を知っている事がある。って事だね。
ちなみに、私は医療関係者でも精神医学に詳しいわけでも無いので、間違っている可能性は十分にありますので、最初に断っておきます。
さて、まず今回の事件ではブログの「僕」が犯行を行った人格と考えて良いだろう。そこで主人格と別人格について考える。
主人格はグレアム・アレンを尊敬していて、化学の知識が豊富、部屋で動物実験を行っていた。なぜ、そう考えるとかと言うと、グレアムアレンは卒業文集に書いているが、これを別人格が書いたとしたら、主人格は知らない内に卒業文集の内容が書き換えられてしまったと思うのではないだろうか?同じ理由で朝起きたら、部屋に実験動物のホルマリン漬なんかがあったら、16歳の女の子はそりゃ大騒ぎになるんじゃないの?って事です。
でこの主人格とは別の人格が別人格としてあるわけですよね。
そこで、今回の事件を主人格が行ったのか、別人格が行ったのか?を考える。
1)主人格が犯行を行ったとしたら、ブログの「僕」は主人格の事を指すわけでしょ?僕の中から彼女がいなくなるってのは、主人格の中から別人格がなくなるって事で、そもそも多重人格で無くなるって事で、どうも多重人格を問題とする必要がなさそうでしょ?
2)別人格が犯行を行ったとしたら、ブログの「僕」は別人格の事を指す事になるのですが7月8日の日記では
7月8日
僕の前の席のカネダ君は僕の事を嫌っています。
僕と顔が遭うと直ぐに背けますし、
僕の机をまともに運んでくれません。
今日は僕の机を尻で押しながら運ぶ彼と、目が合いました。
手で触りたくないようです。
カネダ君は中学校の頃の僕の知人と顔が似ています。
彼等は何時も僕をからかっていました。
僕の物はよく無くなりましたし、
それらは彼等の手の中で見つかる事の方が多かったです。
でも、3年生に成るまでは彼等だけが僕の話し相手でした。
仮令其れが如何に僕にとって嫌な行為であろうとも、何時も欠かさず僕の名を呼び続けてくれたのは彼等でした。
そんな彼等の内の一人と、カネダ君は本当によく似ています。
今度は僕が猫の役をやる、君は鼠をやってくれ。
これって主人格が「いじめ」られていた記憶だよね?これも「僕」と書いているのはどうよ?
それに、現実の彼女を考えると、主人格の知らない所で別人格が母親に毒を飲ませたとしたら、毒物の知識が豊富でタリウムの事についても詳しい彼女(主人格)が「母親の毒物(タリウム)中毒を最初に発見するのではないのかな?
このような理由で、私は彼女の多重人格説については否定的に考えています。
多重人格を報道するにはまだ、情報が足りなさ過ぎます。最近は報道番組かワイドショーかトークショーか分からない番組が多すぎますよね。要注意です。
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