世田谷一家殺人事件再考その26
この事件の動機を「怨恨」の方向で考えると、実は大きな壁に当たる事になる。
それは、警察の捜査の結果、「被害者家族には恨まれるようなトラブルは無かった」って事なんですね。
警察の「見落とし」だと考える事もできるけど、これだけ、マスコミに騒がれて、捜査人員も数百人規模の捜査で、そんな事もないだろう。
怨恨と考える場合、この部分の矛盾を解決しなければならないわけです。
そこで、私はずばり、「逆恨み」だと考えています。
普通のトラブルならば、当事者が相当秘密にしようとしなければ、周囲の人間にそれなりの愚痴などを話していると思う。そうなれば、捜査で浮かんでくるだろう。
逆恨みであれば、当の本人が、被害者家族に接触をもたなければ、被害者側には恨まれている意識も無いはずだよね。だから、捜査しても浮かんでこなかったのではないだろうか?
今回の事件は計画性が無い事から、犯行日の直前に事件の引き金になる出来事が起こっていると思う。
例えば、道を歩いていて、偶然、被害者家族を見かけて、「あっ!あいつのせいでこんな事になってしまったんだ」などと、自分自身が犯罪を行う事に理由を作ったと私は考えている。(自分で自分に犯罪を犯しても良い言い訳を作ったんだね)
それでは、「逆恨み」は何だろう?
ここで、もう一つの動機がクローズアップされる。
「経済的に困窮している点」が逆恨みに関連していると考えると、実は意外にスムーズに説明できるんだよね。
「今の自分がこんなに、経済的に困窮しているのは、被害者のせいだ」
児童虐待事件などでも、経済的困窮が事件の引き金になっている事が多い。
それほどまでに、経済的困窮は精神的な大きなストレスになるんだろうね。
具体的な部分は、犯人に直接聞かないと分からないけどさ。
この「逆恨み」を動機として、「被害者を殺害して、お金を奪う事」を考えたのではないだろうか?
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コメント
怨恨の点はとても同意いたします。
プラスとして、私は怨恨の逆もあると思っています。
それから、お金の件についてはそんなにこだわりはないと考えています。
割合でいうと怨恨99に対してお金1ぐらいですかね。
それなりに説明が付く意見を持っています。
また、楽しみに待っています。
投稿: 通りすがりの者 | 2006/01/23 10:04
怨恨の逆というとどんなのでしょう?
怨恨を主な動機だとすると、事件全体を説明するのが難しくなりそうなんですよね。
投稿: ASKA | 2006/01/23 23:54