徳山高専殺害事件の謎!その20
今回はこの事件を防ぐ事ができたのか?と言う事について考えてみたい。
始めに書いてしまいますが、私は今回の事件に限らず、計画的犯行を防ぐ事はかなり難しいと考えています。
それは、被害者は全く無防備な状態であるにも関わらず、犯人側は得られる情報を全て犯人にとって有利な材料として犯行を計画、実行する事ができるからです。
計画的な犯行を防ぐ一番有効な手段は犯行計画の存在や犯行を行おうとする人間が存在するなどの情報を得る事だと私は考えています。
つまり、自分が狙われていると認識する事で色々な防御策を行う事ができるわけです。
全くの無防備では犯人の罠に簡単に落ちてしまう所でも、罠を看破して回避する事ができます。
それ以外では、奇跡的な偶然に期待するしかないでしょうね。
偶然、他の研究室のメンバーが登校してくるとか、被害者が首を絞められた時に苛烈な反撃を行い、自力で脱出するか助けを呼ぶなどです。
犯行現場となった学校としても、効果的な対策があるかと言うと疑問です。
犯行の原因が学校側にあったかと言うのも今の段階では分からない。
犯行現場に教諭と言うか教官と言うか学校関係者がいれば、確かに研究室での犯行は防げたかもしれません。
しかし、他の場所や時間を選んで犯行は行われたでしょう。
研究室に学校関係者が常時詰めるのは現実問題として不可能だと思います。
あとは、犯行を行うにあたり心理的に障害になるような仕組みを作れるか?と言うのもありますね。
防犯カメラなどの設置や廊下から研究室の内部が見れるようなガラス窓などが考えられますが、それもどれほどの効果があるか疑問です。
京都の塾で起きた小6女児の殺害事件では監視カメラが切られていました。
結局のところ、犯行を行おうとしたホントの理由がわからないとピンポイントで対策を行うのは難しいでしょうね。
一ついえるのは、徳山高専で起きた事は他の学校でも起きる可能性があると言う事です。対岸の火事とはいえませんね。
そう言えば、大学では例のスーパーフリーが集団暴行事件を起こしてましたし、(犯行現場は学内ではありませんが)常に危険は身近にあると考えて間違いはなさそうです。
| 固定リンク
コメント
犯罪者がいなければ過剰な防衛をする必要もない。
世には犯罪者ありき、で考えるその思考こそ、おかしいのではないですか?
投稿: | 2006/09/26 00:47
↑無名さん ASKAさん こんばんは
>世には犯罪者ありき、で考える思考こそ、おかしいのではないですか?
うーん 個人が生活する上で個人判断(自己責任で)に委ねるほか無いんじゃないのかなぁ~と思うんですが・・・私は。 例えが悪いかも知れませんが 時代的: 江戸・明治・大正・昭和・平成 犯罪内容に変化は・・? 都会と地方: 都会犯罪内容と地方との違い(都会はセキュリティ重視・地方はそうでもない) 凶悪犯罪の低年齢化 ネットによる過情報簡単入手 電子 電話 知能事件など現代社会問題も多様複雑になったと思います。 悲しいかな・・・時代背景からして、国・企業・個人すべてが【突発的な時を想定し】危険予知(危機管理対策)を備え自己自衛時代になったのではと・・・・あくまで持論です。
投稿: 空 | 2006/09/27 02:40
名無しさん、空さんこんばんは
>犯罪者がいなければ過剰な防衛をする必要もない。
>世には犯罪者ありき、で考えるその思考こそ、おかしいのではないですか?
たしかにその通りで、実際に犯罪が無い世の中であれば、自己防衛の必要もないでしょう。
けれど、毎日のように報道される凶悪事件をみると、私は犯罪が無いと仮定して生活するには不安が残りますね。
投稿: ASKA | 2006/09/28 00:25