« 練馬包丁男事件その2 | トップページ | 世田谷一家殺人事件再考その51 »

2006/11/03

ご主人の経歴

≪経歴≫みきおさん(四四)は、都立戸山高校から東大農学部を昭和五十七年(1984)に卒業した後、テレビアニメの制作にも携わったほか、テレビのクイズ番組の出題も担当したことがあったという。

 その後、米国系のコンサルティング会社に就職し、マーケティングコンサルタントを担当。数年前に外資系の大手デザイン会社に移り、企業イメージ統合戦略を任されていたという。アニメ関係者の団体の会員登録は続けていた。

宮沢みきおさんは、英国系コンサルタント会社に勤務し、企業のイメージを変えるCI(企業イメージ確立戦略)の専門家として活躍していた。

 1987年に米国系コンサルタント会社に入社してCIと出合い、大手パソコン通信会社「ニフティ」、群馬県水上町、富士銀行などのCIプロジェクトの中心メンバーとして活躍した。「CIは通常の企業コンサルティングと違い、デザイナーやクリエーターとしての感覚が必要とされる。彼は貴重な人材でした」。現在の上司は言う

 妻の泰子さん(四一)は東洋英和女学院を卒業後、有名化粧品会社の宣伝部勤務などを経て、平成二年(1990)ごろから、自宅一階で公文式の塾を開き、週二回、約二十人の小・中学生に数学、英語、国語の三教科を教えていた。アシスタントの講師として六人を雇っており、教育熱心な先生として知られていた。 (事件当時約45人の生徒がいたようだ)

年表形式にすると(06/11/05一部修正)
1956年 東京都板橋区で長男として生まれた。(みきおさん)
1959年 東京都大田区で二女として生まれた。(泰子さん)
1981年 泰子さんが大学を卒業、その後、某有名化粧品会社に入社
1982年 東大農学部卒業(事件が2000年で44歳だから、卒業は26歳だな)
   (大学では森林風致計画学を専攻し、建造物が風景に与える影響などを研究した。)

大学卒業後は森林都市研究所の契約社員を経て、アニメの制作スタッフとなり、編集プロダクションを設立した。
1983年 泰子さんの父親が無亡くなる。
1986年 自己啓発セミナーで知り合った、泰子さんと結婚(夫30歳、妻27歳)
1987年 米国系コンサルタント会社に入社してCIの仕事をする(31歳)
1988年 泰子さんが某有名化粧品会社を退社(29歳)
1989年 泰子さんが東急線目蒲線奥沢駅前に姉と共同で学習塾を開設
1990年 自宅購入(宮澤さん夫婦が泰子さんの母親や姉夫婦と共同で約一億五千万で購入した中古住宅。)
1990年 自宅に学習塾を開設(89年の塾とは別のようだね)
1992年 隣家に住む姉夫婦が事業の為英国に移住。隣家には母親が1人で暮らすようになる。    
1992年 長女誕生
1992年 奥沢駅前の塾を隣家1階に移す
1994年 長男誕生
1996年 みきおさん、共著だがインターネット関係の本を出版
1997年 外資系の大手デザイン会社に移り、企業イメージ統合戦略を任されていた。
2000年 8月広島国際アニメーションフェスティバルの運営に参加
2000年 12月事件により家族4人が死亡(44歳)妻(41歳)長女(8歳)長男(6歳)

多分、卒業後の5年間に
「卒業後にテレビアニメの制作にも携わったほか、テレビのクイズ番組の出題も担当したことがあったという。」
これは在学中には「SF・アニメ研究会」に所属と言う事でもともとアニメには強い興味があったんだね。その方面の活動は積極的で2000年にもアニメイベントの運営にも参加しているし、継続して活動してたんだね。

とこの期間に迷探偵にゃんこさんの情報によると
webでこまめに被害者宮澤さんの経歴について調べてみると、大学卒業後、短期ですがある「造園関係の研究所」に勤めていることがわかります。この研究所は大学の先生が、いわば、自分の活動拠点としてそう名乗っているようなもので(しかし、時には株式会社として紹介されていることもあります)小規模のもののようです。「造園」といっても伝統的な日本庭園ではなく、公共施設などの園庭を設計する立場です。「ランドスケープ」という概念を用いて心地良い空間を提供するというのがその研究所の目的であるようです。
(卒業後に研究所の契約社員となっている情報は新潮45の2002年2月の記事がニュースソースですね)

ここからは私の妄想だけど
大学卒業が26歳だろ、卒業後にテレビ番組の制作に関わっているようだけど、ここが疑問だね。普通に考えれば東大農学部卒業なんだからその方面に就職するのが普通じゃないか?と思うのだけど・・・
(調べると、相当なアニメファンであり、製作会社の設立にも絡んでいる、2000年のアニメイベントの運営にも参加してるし、進路は悩んだのかもしれないね)
その意味では造園関係の研究所に就職と言うのは説得力があるね。
ただ、契約社員と言うのが気になる。本来なら正社員の方が色々都合が良いはず。
契約社員になったのは本人の希望だったのかな?

86年に結婚しているのだが、この時、無職だったとは考えにくいんだけど・・・
ちなみに2人は自己啓発セミナーで知り合ったと言う事だね。
そして翌87年にコンサルタント会社に就職だね。
その翌年に妻の泰子さんが退職。その翌年に学習塾を始める。
これは始め姉夫婦と共同で初めた。

06/11/05追記
先週発売の週刊誌に絵本を出版した姉のコメントが書かれていたのだが、それによると
事件発生当日は隣家には母親と姉夫婦とその子供がいたようだ。
第一発見者は母親だが、その後姉夫婦も現場に行っている。
(年末年始で里帰りをしていたと言う事かな)
隣家と言っても、壁1枚を隔てただけなんだよね。

|

« 練馬包丁男事件その2 | トップページ | 世田谷一家殺人事件再考その51 »

コメント

こんばんは。初めまして。つまらない疑問ですが、26歳で卒業ですか。ということは、かなり浪人したんですかね?それとも、留年ですかね?浪人したとなれば、その間、予備校に行っているはずですよね。東大じゃ独学では難しいのではないかな。僕は高卒なので、その辺の心理は、詳しくは、わかりませんが、浪人してまで農学部を志望したのだから、何か将来そういった関係に進みたい夢があったのでは?と、勘繰っています。

投稿: マクリ狼 | 2010/03/08 02:02

記事のとこに造園関係の研究所に勤務したらしい経歴がありますね。
農学部へ進学する人々の理由は様々で。学部と就職は別物に考えれば、学部より大学の人もいて、実力に合った学部優先もあり。農家だと、後継者有無を問われる場合には有力な証明になるのかな。最近では植木屋さんや花屋さんは農学部や農大みたいで。葬式で花飾っている青年も農学部。食品・栄養もあるし、生物・バイオもあるし、都市・住居・農業土木もあるし、風景学のようなものまであるようで。
にゃんこ様のランドスケープということについてだと。この分野は美大もいるし土木からの転向もいるし。要するに、予算を公園や街路整備へとか言っちゃったから。仕事があるところに人が集まり、専門がどうのこうのより食うためには形振り構わず頑張っちゃうわけね。多少の才があれば、恥も外聞もない方が強いんだから。ただし、所詮は入札で争うか、はなっからピンはねされて仕事が回ってくる業界のことだから。数やってなんぼで。成功者になりたかった向きには、どうだったんだか。

投稿: ナガイ | 2010/03/08 03:41

ご夫妻が出会った自己啓発セミナーはIBDかも
しれないです。

このあたりの情報は無いですね。
ただ、結婚が86年なので、それ以前に設立活動していた団体になると思います。いくつかあるようですね。
by ASKA

投稿: 事件解決を望む者 | 2015/11/10 19:21

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 練馬包丁男事件その2 | トップページ | 世田谷一家殺人事件再考その51 »