北海道大雪山系遭難事故
7月16日北海道大雪山系トムラウシ山と美瑛岳で遭難があり、2パーティーと1個人の計10人の死亡が確認され夏山としては過去に例がない大規模遭難が起きている。
時系列情報
14日 ツアー客一行は旭岳温泉を出発、雨の中を白雲岳避難小屋まで歩いた。
15日 天候はは曇りで、同小屋からヒサゴ沼避難小屋へ。
16日3時55分 遭難の第一報 トムラウシ山、ガイド3人を含む18人が遭難
16日5時30分頃、次のツアーを待つ男性ガイドを避難小屋に残し、18人がトムラウシ山頂を経由してふもとのトムラウシ温泉を目指すコースへ出発した。気温は10~15度
16日11時頃山頂付近で女性1人が低体温で動けなくなり、ガイド1人が残り16人で下山
16日11時30分頃別の女性客が意識不明となる。男女5人でビバーク。
残る11人は下山を続けたが、このうち、男女3人が5合目に到着したところで110番した。下山途中でメンバーバラバラになってしまったようです。
16日17時50分頃、美瑛山で6人パーティーから救助要請
16日23時頃 トムラウシ山で下山していた男女3名のうち2名がトムラウシ山短縮コース登山口に到着した。
17日0時55分頃さらに二人がトムラウシ温泉付近に下山
17日4時36分 トムラウシ山、道警ヘリが男女2人を発見ヘリに収容、女性は心肺停止
17日6時30分頃 美瑛山、1人の遺体がヘリで搬送
トムラウシ山で18人で出発したパーティーは、山頂手前でビバークした4人が死亡。山頂を迂回(うかい)後に動けなくなった女性3人が死亡しているのが見つかった。結局、自力で登山口まで下りることができたのは、5人だけだった。
釧路地方気象台帯広測候所によると、16日のトムラウシ山山頂付近の天候は、低い雲がかかっていた。風速20~25メートルの西よりの強風が吹き、日中の最高気温は平年並みの8度ほどだったとみられる。同日夜の山頂付近は横殴りの雨という。
死亡した方の殆どは60歳前後の方です。
事故の起きたトムラウシ山は登山客には人気のスポットだったようだ。
しかし、2002年7月にも遭難事故があり二人の方が無くなっている。奇しくも無くなったふたりは今回無くなった方と同じ年代で59歳女性は低体温による脳梗塞。58歳女性は凍死でした。
なんと、7月に凍死ですからね、山の天候は本州以南の平地の天候とは全く違うと言う事ですね。
2002年の遭難で責任を問われたガイドについての裁判は
2004年10月5日旭川地裁判決公判で
北海道大雪山系トムラウシ山で、登山客の女性を遭難死させたとして、業務上過失致死の罪に問われた当時のガイド(49)の判決公判で、旭川地裁は5日、禁固8月、執行猶予3年を言い渡した(求刑禁固8月)。
判決理由で「台風が接近する中で登山を強行するという、プロとは言い難い軽率な判断をした責任は極めて重い」と指摘、同時に「事件後はガイドを辞め、被害者の遺族に謝罪している」と述べた。
今回の遭難でも道警新得署は17日、トムラウシ山のパーティーのツアーを企画した東京都千代田区の旅行代理店「アミューズトラベル」の社長(50)から任意で事情を聴いた。同署は業務上過失致死の疑いもあるとみて調べているとの事。
私は事故には2種類あると考えています。それは予測できる事故と予測できない事故です。
私は山の専門家でも無いので、なんとも言えませんが
前回2002年の遭難は台風の接近している中、下山し動けなくなりビバーク、そして死亡と言う事を考えれば、悪天候になった時の装備が用意できていたのか?が気になりますね。
警察庁によると、08年7~8月の山岳遭難の発生件数は453件(前年比43件増)、遭難者数525人(同79人増)で、死者・行方不明者数は79人(同31人増)。いずれも68年以降で過去最高を記録した。中でも40歳以上の遭難者数は416人(同89人増)で8割を占めた。このうち死者・行方不明者数は76人(同36人増)だった。
高齢者の遭難が多いようです、十分ご注意ください。
09/12/07追記
北海道大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)で7月、登山ツアー客ら8人が遭難死した事故で、日本山岳ガイド協会(東京都)の事故調査特別委員会は7日、中間報告書を公表した。ツアーを引率した男性ガイド3人の判断ミスや力量不足が遭難の原因と指摘。ツアーを企画した旅行会社「アミューズトラベル」(東京都千代田区)の危機管理体制の甘さを厳しく批判した。
報告書はA4判75ページ。パーティーが登山途中の岩場や北沼周辺で計約3時間にわたって強風雨にさらされたことでほぼ全員が低体温症になったと分析。岩場に入る前に避難小屋へ撤退するか、強風雨が収まるのを待つかの判断が必要だったと指摘した。
最初に女性客1人が動けなくなった際、リーダーの男性ガイド(当時61歳、死亡)が後方に残ったことは「パーティーの責任者が残るのは登山の常識では考えられない」と強調。その後、トムラウシ山の登山経験がある男性ガイド(32)がビバークして残り、初体験で低体温症にかかっていた男性ガイド(39)が一部のツアー客を引率して下山した判断も誤りとした。「パーティーを分散させないのもセオリーの一つ」「(ガイドの)判断の迷いや遅れによって対応が後手後手に回り、パーティー全体をどんどんピンチに追い込んだ」と指摘した。
一方、アミューズトラベルについては「社内に山の危機管理の専門家が少なく、年3回の研修会でも低体温症を取り上げていなかった」とした。予備日のないツアーの企画や、天候悪化に伴うリスク回避の判断基準が社内にない点などを挙げ、「リスクマネジメント体制ができていなかった」と批判した。
・・・しかし、なんと言うか、悲劇としか言いようがないね。
全てが間違いだったと言う事なの?
もともと、ガイドができる程の技量も知識も無かったと言う事なの?
このガイドさん達を擁護するつもりは無いんだけど・・・
彼らが生死を掛けた決断をした時、自ら考え出した選択子には知識不足、技量不足から、正解は無かったんだろうね。
正解が無い選択問題を出されて、コレだと思って選択した回答が間違いだった。
もちろん、自信を持って選択したかと言うわけではないだろうけど、その時はよりベターな選択だと判断したんだろうね。
死ぬかもしれない、あるいは誰かを死なせてしまうかもしれない。その判断に誤った選択子しか用意できなかった事が悲劇だよね。
そう言った判断しかできない人間をガイドに選んだ会社は批判されてもしかたないだろうね。
でもな・・・判断の時に外部のアドバイスは受けられなかったのかな?
自分自身で判断に迷った場合に携帯電話や無線機とかで外部と連絡は取れなかったのか?
もし、そうできたら、外部のアドバイスで正しい判断をできた可能性は無いのかな?
もし、これが実現可能で有効な方法であるならば、今後の事故防止の対策になるんじゃない?
と言うかもう既に、実施していてもおかしくないけどね・・・
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コメント
登り口ぎりぎりまで車で行って。登って、キャンプして、下る。だけでも。背中の荷物は10kg超でしょう。スーパーのコメの大きいほうの袋担いで、6~7時間も歩けるかって。老若男女混合パーティなら体力に合わせて軽重分散できるかもですが、女だけとか高齢ばっかだとかは、どうするんだか。装備がどうのっても、それ自体がはなから無理なのよね。重すぎたら、それでへたっちゃうから。それでも縦走したいワケカ。ガイド団に装備を全部担いで貰えば。と、暴論を語る。でした。
投稿: ナガイ | 2009/07/18 15:11
天候・気温のせいか。02年と同じか。
02年の場合。旭岳温泉→トムラウシ温泉コース組は転倒負傷して足が止まったようですが、ヒサゴ沼避難小屋からトムラウシ山頂まで5時間・・。なにかの理由で遅い。
今回の場合。やはり5時間以上。後から出発した組に途中で抜かれているみたい。
15日の状況が時系列では不明ですが、ふつうでも8時間はかかるようですし、その前の日も6時間以上歩いているはずですし。
それは歩くのが目的ですから、歩くのがどうのと言ったら始まりません。トレーニングも入念に重ねて来られたと思います。ただし。トレーニングのハイキングは日帰りですし、毎日のウオーキングはせいぜい2~3時間でしょ。それで、よっしゃと連日目いっぱいお歩きになったらどうなるか。このコースは尾瀬沼みたいな美しさらしいですが、山頂の北側は大岩ごろごろなんでしょ。
なぜ足が止まってしまったか。マラソンなら途中で不調になれば抜ければいいだけですが、山は抜けること自体がねえ・・・。
投稿: ナガイ | 2009/07/19 06:43
4人のガイドのうち一人がなぜヒサゴ沼避難小屋に残ったのでしょうか?謎です。
私も登山はよく知らないのですが、このことが不信に感じます。もしかして、ガイドらは危険を感じていたのではないでしょうか?この人も体調不良だったとか。
この団体には戻るという選択肢がなかったように思えます。下山すれば温泉が待っている。出発地点のヒサゴ沼避難小屋は、風雨が吹き込む悪コンディション。逃れたいと思った。しかし、このまま出発すれば8人が死亡することがわかっていたら、最初に一人が低体温症になった時点で、引き返すという選択はなかったのだろうか?
さらに無い選択肢は、出発の時点で、思いとどまって救助を待つこと。これなら全員助かったかもしれないが、結果論だろうか?
投稿: 明智 | 2009/07/19 22:57
この遭難は、これから生還者さんたちの証言が出ると思います。
ガイド1名残しは計画のようです。ここでお客様の中継をしていたようで。
これから生還者さんたちの証言が出ると思いますが、とくに後尾にいた方の証言が重要になると思っています。最初に落伍された方はビリのガイドとビリ3のベテランさんにサンドされています。それはなぜだったのか。ビリ3さんはご自分の簡易テント(シェルター?ツエルト?)を渡して先を急がれました。(へ?ガイドはもっていなかった?)
落伍された方の付き添いガイドさんは小屋の同僚に連絡して引き返すつもりだったと勝手に推測します。しかし、ビリ3さんが急がれた先には、さらに3人の女性が衰弱されていたようです。
その3人の方を収容したテントのヘリからの写真をみると、場所も張り方も申し分ないと思われます。テントは2張りの装備があったそうです。雪渓を踏み、ごろごろの岩を避けて水みちのようなところを歩かれたのでしょうか。泥だらけの前進が目に浮かびます。
引き返す選択は。どうでしょう。山頂付近まで5時間かかってきています。向こうに下るのも雨が弱まれば5時間ぐらいのようです。午後は止むと思っていたら。
実際は。ルートとしては向こうに下る方が難しそう。テープだのペンキだのが目印のところもあるようですから、暗くなったらおじゃん。沢は増水しているでしょうし。しかし、救援される確率は下りた方が高そうかも。小屋の方は2日の行程ですが、下りる方は半日の行程ですから。
小屋へ全員で戻ったら。また5時間かかって戻っても、18人ですからねえ。はみ出してテントかも。
ぼくも登山もキャンプもしません。蚊に悩まされながら星空の下で濡れた石の上に寝るなど真っ平。感想のところは。ぜーんぶ、空想で書いています。
投稿: ナガイ | 2009/07/20 00:14
http://jiji-bibouroku.blog.so-net.ne.jp/2009-07-19-4
上記の記事を読みますと、やはり過酷な条件に進んで行ったようです。低体温症は表現が柔らかいですが、凍死に直結しています。私の感想としては、過失致死かと思います。つまり人災です。登山途中に急に天候が急変したのとは違うようです。さらに、装備がまったく不十分な人もいて、亡くなったようです。野口健氏の話では、出発した避難小屋のようなところでも、小屋の中にテントを張って暖をとり、体温を保つとのこと。今回の犠牲者たちは、避難小屋での1泊ですでに体温が下がっていた可能性があるようです。
投稿: 明智 | 2009/07/20 01:11
運転免許の更新へ行くと。事故のビデオや解説の講習がつきものです。産業界でも資格取得や更新の講習があると思うのですが、事故は講習し難いかな。
事故はそもそも原因が当事者たちに納得されていないことが多い(直接の原因に達するまで複雑な積み重なりがある)ですから、このような事故がありましたとは言えても、原因はこうですと断言しにくい。業界の講習では事故の当事者関係者を目の前にしてですからねえ。
事故を憎んで人を憎まずも難しく、人を憎んで事故を憎まずになってしまいがちでもあります。
当事者たち以外には直接の影響は今日明日あることではないので、原因をなんたらかんたら言っても仕方ない、気をつければいいのだから、と流れていく。かくして飲酒運転は続きますし、もし袖捲くりでやったら。飲酒運転を制止して亡くなった方がいました。法を改正して厳密化を断行した建築関係では、深刻な不況まで起きました。
長年親しんできたレジャーまで、予測される事故と防止策をハイおばちゃんじいちゃん言ってみて!では人生の楽しみもあったものではないですが、その現地で実際に起きた遭難ぐらいは参考にならなかったでしょうか。
投稿: ナガイ | 2009/07/20 09:29
山に憧れ 山に行き 言葉少なに 唯歩む
ってな御年齢ではなかったでしょう。それなりに賑やかで楽しいツアーだったと存じます。けど、今は皆様。
ひとり寂しく 佇めば タバコの煙 唯ひとすじ
かな。(詩はひとりの山という歌です。歌詞も曲も・・ですが、今もヒッソリ人気ある?)
なんの関係もないぼくですが、この遭難は残念です。どんな下手くそなドシロート写真を見ても、これは美しいトコダなあ。
星空の下に眠りにつかれた方々のご冥福をお祈りすると共に、生還者の方々もガイドの方々も、どうかご無事をお祈り申し上げます。お忘れになった方がいい方は、浮世の義理などにはシレットシテお忘れになるのも・・。
投稿: ナガイ | 2009/07/20 18:47
この事件には関係ないですが「シャルウィーダンス」って邦画がありました。
年代としては私はこちらの主人公の方に近いですね。
今回の遭難でも同じように人生の節目を超えた方々が人生の楽しみや生き甲斐を色々な事に見つける。
その一つが登山やハイキングだったかと思います。
私も同じ年代になれば、同じ事をしたかもしれない。
そんな思いもあり、今回の遭難は非常に残念です。
それに個人でと言う事ではないですからね、ツアー会社もガイドもいましたし・・・
投稿: ASKA | 2009/07/20 21:32
このコースを歩いたことがあるのですが、本州の山とは違う意味で難易度の高いコースだと思います。
小屋の少なさや天候はともかく、本州にはいないヒグマ対策を考えないといけないのが、大きな制約になりました。
夕方ヒグマが動き出す前に、その縄張りから脱出する必要があるので、かなり無理にスピードを上げて下山する必要がありました。
投稿: 元農学部学生 | 2009/08/01 01:43
1年がたち。ぼつぼつと本なども出るみたい。この事件簿の世田谷一家もヘビーですが、トムラウシ遭難を考察したブログがあって。読んでも読んでも、スクロールバーが下がっていかない。一体どのぐらい書いちゃったのよ。メインの部分だけで何字あるの?ぎょー!31万字。一体、全部でどのぐらいあるの。新聞記事から、公文書みたいなものから、直接関係者の人のメール、ふつうの人のコメント。図あり、写真あり。管理人様もスタンスが揺れながら書き伸ばされたことをメモされている。
遭難では、ガイドに自衛隊出身の人がいて、レスキュー技術を自己紹介に記していますが、このガイドも動けなくなりそうになり、子どもいるんでしょ!と客のばーちゃんに叱咤される。もう休むしかないと足を止めようとした健脚の男性客を、あんた死んじゃうわよ!とこれまた別のばーちゃんが叱咤する。この人ね、シレットして下山してきた人。受けちゃったというか、なんという気丈だと仰天したものでした。
なんでも黙々と取り組む人がいるもので。ご本人は、そのへんの山しか行ってねーよ、それも犠牲にしてトムラウシを書いたけど、別にちっとも楽しくなんかねーよ、とさらっとおっしゃるのだから。取り組むということが人を鍛えるものでしょうか。
投稿: ナガイ | 2010/08/07 12:06