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2009/12/03

千葉英会話講師殺害事件その13

続報と逮捕後の様子です。
1)12月2日、殺人と強姦(ごうかん)致死の両容疑で再逮捕された。
遺体から採取した体液を鑑定したところ、DNAの型が容疑者のものと一致したとの事。

2)11月10日に逮捕後、県警の取り調べに黙秘している。

3)逮捕後2週間以上もお茶などを飲むだけで絶食を続けてきたが、同24日から食事を取るようになった。弁護士からパンを差し入れられて食べる事もあるようだ。
食事は逮捕されてから13日間とらず、医師から1度、栄養剤を注射された。しかし11月24日昼に出された和食弁当を初めて平らげ、それ以降は毎回食事を取っているという。

4)取り調べに対し、容疑や事件についてはうつむいて黙秘してきた。身上などについては逮捕直後は短く答えていたが、今は何も話さない。接見した弁護士によると、差し入れたノートに取り調べの内容を書き込んでいるらしい。

5)県警は健康状態を観察する必要があるとして、同日に行徳署から千葉市内の拘置施設に身柄を移した。現在の健康状態に問題はないらしい。

さて、こんなところですね。
予想はしてましたが容疑に強姦致死がつきましたね。
相変わらず、黙秘しているようです。

逮捕後の絶食の件はちと、興味深いですね。
容疑者の性格を物語っていると言うか・・・

ホントにそのまま餓死するつもりなら、文字通り死ぬまで続ける事もできた。
もちろんそんな事を警察が許すはずもないので、医学的な栄養補給はするでしょう。

だけど、結局は心が折れて、食事を取り始めますよね。
多分、絶食の件は逮捕後に思い付いて実行したんでしょう。良く考えればそれで状況を大きく変える事などできないからね。

ノートの件もそうですね。冤罪事件などでどんな取り調べがあったのかを記録しておくケースはあると思うけど、こんな酷い取り調べでしたとかね。
ただ、今回の事件の場合はそういう目的ではないだろうね。

容疑者は「臆病」で「短絡的」なタイプなのかな?
(容疑者を誹謗中傷しているわけではありません。)
今後の対応に備えてやれる事をやろうとして、思いつきで行動しているように見える。
それは、逃亡中の行動にも出ているんじゃないかな。

参考リンク
千葉英会話講師殺害事件その12

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コメント

初めてコメントします。
このノートは弁護士(人権派とでもいうのでしょうか)が
取り調べ内容を書き留めておく様にと持たせたという事らしいです。

投稿: 匿名 | 2009/12/03 18:39

先日、公判前整理手続きがありましたし秋ぐらいに初公判でしょうかね。
事件の真相はほぼ解明されていますし、公判では殺意の有無が焦点になりそうですね。
それよりもこの事件には大きな謎が2つ。
1つはなぜこの事件の懸賞金が1000万円という破格の額だったのか?世田谷一家殺害事件の懸賞金が300万円という額だという事を鑑みれば異常に高額な懸賞金だという事が分かります。
2つ目は警察を振り切って逃走した07年3月26日から、神戸で働きだしたとされる08年2月28日までの被告の足取りです。事件が発覚したあの日、行徳駅前から自転車でどのようにして闇夜に消えたのか?匿った人物は存在するのか?非常に気になります。

投稿: 闇の彼方 | 2010/07/09 12:54

ネット寄せ集めですが

①土木作業や、大都市の風俗街(ボーイまたはゲイの店)を転々として逃走資金を稼いでいた。(親族の金銭チェックは警察から厳重な監視のため、逃走資金を送るのは無理)
②幼少期から何度か整形をしていた。母親が「公開された整形後の写真が、元の顔に近い」との発言はこのため。

投稿: | 2010/11/24 16:05

第2回公判が5日、千葉地裁で開かれ、司法解剖を行った医師の証人尋問が行わた。解剖医は検察側の質問に「窒息死させるため、最低でも3分首を圧迫したと考えられる」と証言した。
 検察側は冒頭陳述で「少なくとも3分程度首を圧迫し続けた」とし、殺意があったと主張。被告側は「声を上げ逃げる被害者を制止しようとして首を押さえた。殺意はなかった」と訴えている。
 解剖医は、被害者の気道周りの軟骨が折れていたと指摘。「首の中心部、狭い範囲に強い力が加わったと認められる」と述べた。
 一方で、被告側が主張する首を絞めた際の腕の状態などについても「あり得る」と答えた。

投稿: ASKA | 2011/07/05 22:58

初公判の罪状認否で被告は「殺意はありませんでした」と殺意を否認した。

第2回公判では、遺体の司法解剖を行った女性医師が証人として出廷し、裁判員からも質問が行われた。

6人の裁判員のうち3番の男性裁判員は、被害者の顔への暴行について「顔面の写真は痛々しかった。特に右目の回りに傷、あざがあったが、どれくらい暴行すればあの程度の傷になるのか」と質問。

女性医師は「右目の皮下出血は下の筋まで挫滅していました。かなり強い力が加わったと思います。ただ、同じところを何回も殴ると、同じ部位に皮下出血ができるため、強い打撲ではありましたが、回数は不明」と述べた

投稿: ASKA | 2011/07/05 23:08

弁護側によると、被告が逃亡生活の様子などをつづった「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」(幻冬舎)は、既に約1100万円の印税があり、税引きした900万余りが2回にわたり振り込まれている。被告は法廷で、被害者の両親らに渡すことを申し出る意向という。

初公判が4日午後、千葉地裁で開かれ、検察側は、被告が「レッスン料を家に忘れた」と言って被害者を自宅に誘い出したことを明らかにした。
3月25日午前9時前、被告は行徳駅前で被害者と会い、「レッスン料を家に忘れた」と言って被害者を自宅に誘い出した。被告は部屋に入ると、被害者の顔を殴りつけるなどし暴行、窒息死させたという。

午後1時20分前、被告は入廷すると突然、土下座を始めた。検察官の後ろの席に座る被害者の父(58)、母に向かって頭を下げたが、係官に立つように促され、立ち上がりながらさらに2回頭を下げて席に座った。

殺意を否認した被告は、「怖い思いをさせて死なせたのは私。本当に本当に、申し訳ありませんでした」と謝罪。「事件の日に何があったか裁判で話すことが私の義務」とも語った。

投稿: ASKA | 2011/07/10 12:39

第2回公判では、司法解剖を担当した医師の証人尋問が行われ、検察、弁護側は尋問を通じて互いの主張の妥当性を説明した。

検察側は、弁護側が冒頭陳述で「被告は被害者の意識が無くなったあとで救命措置を取っていた」と主張していたことについて、医師に「遺体には救命措置の痕跡があったか」と質問。医師は「一般に、心臓マッサージをした場合、胸骨の骨折などが生じることがあるが、痕跡はなかった」と述べ、救命措置があったとは認められないと答えた。

弁護側は医師に死後硬直の状況による死亡推定時刻の算出方法を尋ねた上で、「死亡日時は(19年3月)25日午後から26日深夜になるのでは」と問うと、医師は「計算上はそうなる」と回答。検察側が強姦致死罪の適用を求めていることから、市橋被告が乱暴したとされる25日午前10時ごろから死亡まで、時間に開きがあることを強調した。

第3回公判が7日、千葉地裁で開かれた。午前中は被害者の友人のカナダ人女性の証人尋問が行われ、女性は被告の刑罰について「死刑を望む。そうでなくても、二度と社会に出てほしくない」と述べた。

女性は事件当時、被害者と同居し、同僚でもあった。検察側の証人尋問では、変わり果てた姿の被害者と対面したときの様子を振り返り、「髪は切り取られ、顔は腫れ上がっており、痛ましかった」と声を詰まらせた。

投稿: ASKA | 2011/07/10 12:42

第3回公判が7日、千葉地裁で行われ、被告は被告人質問で「被害者と親密な関係になれたらいいと思った」と当時の考えを述べた。

被告は弁護側の被告人質問で、平成19年3月25日に被害者に英会話の個人レッスンを喫茶店で受けたあと、レッスン料を取りに被害者とタクシーで被告の自宅のあるマンションに行ったいきさつを説明。

4階にある被告の部屋に向かうためエレベーターに2人で乗り込んだときの思いについて、被告は「タクシーが行ってしまったから、被害者は仕事に間に合わないと思いました。このまま被害者と親密な関係になれたらいいな、と勝手に思っていました」と述べた

弁護側の被告人質問で被告は、平成19年3月25日の犯行状況を詳述。被害者を自宅マンションに誘い込むなり、玄関でいきなり抱き、廊下に押し倒したという。被害者は強く抵抗し、被告は手首と足首に結束バンドをはめ、暴行に及んだという。

両足首を縛られ、被告に上に乗られながらも助けを求め、はって逃げようとしていたという被害者は、最後までもがき続けていたという。

被告によると、被害者は乱暴後、体を洗おうと浴室に連れて行こうとした被告に「殺すつもりね」と激しく抵抗。顔を殴られた後も、被害者は「私は子供をたくさん産みたい」と将来について語ったほか、「ルームメートが外出しているから、(着衣が乱れた状態で)家に帰っても今なら大丈夫」と解放するよう説得していたという。

被告は弁護人の質問に答え、「声を上げないよう、逃げないようにするために、左腕で顎付近を覆ったが抵抗されるので、体を前に倒すようにして覆いかぶさると動かなくなった」と説明。動かなくなった際、「大変なことになったと思った」と涙声で語った。

さらに、弁護人から、「殺害しようと思っていたのか」と問われ、「思っていませんでした」と殺意を否認。「死んでしまうかもと思わなかったか」と尋ねられ、「思わなかった。すみません」と涙声で答えた。

被害者が死亡する直前の状況については、「(07年3月)26日午前0時半頃、当時交際していた女性に『1週間ほど会えない』とメールした後、眠り、午前2~3時に目覚めた」と述べた。

投稿: ASKA | 2011/07/10 12:53

第4回公判が8日、千葉地裁であり、弁護側の質問に対し、被告は、被害者から「早く帰してほしい。警察には言わない」と言われたが、暴行の発覚を恐れて監禁を続けたことを明らかにした。

被告は「被害者から『外国人登録証も渡すから』と言われ、(家に)帰してあげたいと思ったが、顔を殴っていたので目の下が黒くなっており、周囲が問題にすると考え、帰すことができなかった」と述べた。

また、被害者の首に左腕を回し、押さえつけて死亡させた後、意識を12時間程度失ったと証言。「目が覚めた時、最悪な状態になったと思った。これが夢であってほしいと考えた」と語り、言葉を詰まらせた。逮捕後に黙秘し、起訴直前に供述を始めた理由については「自分は弱く、自分に有利な証言をしてしまうと考えていたが、遺族は愛する家族がどう死んだか知りたいものだという話を聞かされ、話すべきだと考えた」と説明した。

被告人質問で検察側は、被害者の髪の毛がついた粘着テープが、被告の部屋の廊下の柱に貼られていたことを指摘。

被告は「被害者が亡くなった後、私は4畳半に倒れていたはずの被害者と、(取り外し可能で4畳半に置かれていた)浴槽を浴室に運びました。私はそのことを覚えていないのですが、私がしたはずです。被害者のご遺体と浴槽を浴室に入れた後、私は被害者の髪を切っているはずです」とあいまいに答えた。

テープは、その後、床に落ちた髪の毛を取った粘着テープの可能性があるとし「覚えていないのですが、テープが柱についたのはそのとき以外に考えられません」と述べた。

被告本人への被告人質問に続いて、検察側は被害者の死亡が確認された平成19年3月26日の数日後に作成された調書被害者の父の調書を読み上げた。

「霊安室で会った被害者は、私たちが知っている、美しい、輝いていた被害者ではありませんでした。私たちは深い絶望に突き落とされました。夢があり、多くの人を助けてきた娘を失ったことから立ち直ることはできません。私たちにとって娘は『命』そのものでした」と述べた。

傍聴する被害者の父は、朗読を聞く間、あふれる涙をハンカチでぬぐい続けていた。

そして被告が死体遺棄罪で起訴された後に作られた被害者の父の「厳しい処罰を望む」との調書が読み上げられた。

検察側の証人として立った被害者の父は、公判を通じての被告について「彼は悔いていません。証言は計算されつくし、リハーサルされたものです。私たちは何度も強く自首を求めました。しかし彼はあざ笑うように逃げ続けていました。法廷でもまったく悔いていないことは明らかです」と述べた。

最後に「この邪悪な男は娘に邪悪の限りのことをしました。私たち家族は、彼に最高刑を与えたいということだけで気持ちを一つにして頑張っています」と顔を紅潮させて訴えた。

被害者の父の証人尋問中、体と顔をガタガタと震わせていた被告。閉廷後、刑務官に両脇を支えるようにして立たせると、腰が抜けたように前屈みになり、刑務官たちに引きずられるようにしながら退廷した。

投稿: ASKA | 2011/07/10 13:03

邪悪な奴、生きる資格なんてないよ、死刑になって欲しかったです。

投稿: 在日外国人 | 2011/07/23 18:57

、2審の東京高裁も被告(33)に無期懲役の判決を言い渡しました。

1審の千葉地裁は、求刑通り無期懲役の判決を言い渡し、弁護側はこれを不服として控訴していました。11日の判決で、東京高裁は「自己本位な動機のもとに、欲望のままに暴力に訴え、残忍な行為に及んだ」「逃亡生活を続けて懸命に刑事責任を逃れようとしていて、真摯(しんし)な悔恨の態度はうかがえない」と指摘し、弁護側の控訴を退け、被告に改めて無期懲役を言い渡しました。

投稿: ASKA | 2012/04/11 20:31

漏れてましたが、刑が確定しています。

2012年4月25日の上告期限までに検察側、弁護側双方が上告せず、刑が確定しています。

投稿: ASKA | 2015/10/21 12:23

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