爆弾はもう一つあるかもしれない。
今回もASKAの独り言です。
以前、私は推理の見えない落とし穴で推理の危うさを書いたつもりでした。
だけど、もう一つ落とし穴があります。
そこを今回は書いてみましょう。
それは、「答えは一つじゃない!」あるいは「爆弾はもう一つあるかもしれない!」
と言う事です。
どういう事かと言うと、推理で答えを出すと、それが唯一無二の答えに見えてしまう事です。
耳の痛い人もいるかもしれないけど、具体例を出すと
あの香川3人殺害事件や愛知蟹江町一家殺傷事件で何が起きたのか?
当時のニュース報道などを覚えている人はおわかりの事だと思います。
香川3人殺害事件では死亡した姉妹の父親の犯行が疑われ、愛知蟹江町一家殺傷事件では1人生き残った3男の犯行が疑われました。
事件を知った各人が報道された情報から推理し、その結果、誰が怪しいと出した結論が「正しい」と自分自身で思い込んでしまう事が起きます。
特に自分で考えて推理しただけに、それが正しいように思えるのですが、問題はその先で、一つの答えを見つけた為にそこで思考を停止してしまい、他の答えを探す努力を止めてしまいます。
そう、実はもっと正しい答えが他にあるのに、考える事を止めてしまう為により正しい答えを見つける事ができなくなってしまうのです。
私はそんな時、こう自分に言うのです「答えは一つじゃない!」とか「爆弾は一つじゃないかもしれない!」
それは、爆弾魔が仕掛けた爆弾を探すのに似ているので私が勝手にそう考えるようにしてるんですけどね。
爆弾魔が仕掛けた爆弾が一つだと言う保証はどこにもない、それを知っているのは爆弾を仕掛けた爆弾魔だけですよね。
だから、一つの爆弾を見つけたからと言って、捜索を止めたらもう一つの爆弾が爆発してしまうかもしれないと言う事です。
蟹江事件の時、当然ですが私も3男狂言説も考えました。だけど、では3男以外に犯行は不可能なのか?と考えた時に他の人間にも犯行が可能だと気づいたのです。
そして、3男の供述の通りでも事件に矛盾が無いと言う答えを見つける事ができました。
そんなわけで、一度考え出した答えを見直したり、他にも答えがあるかもしれないと疑う事は大事だと思います。
| 固定リンク
コメント
さすがですね。管理人さんが時折みせる理系脳的側面を感じさせられました。
自分は、文系脳(文系型思考)と理系脳(理系型思考)の違い・隔たりを、次のように解釈しています。
・自分が正しいと思う(知ってる)ことに強い興味を示し、正しいと思うことを語りたがるのが文系脳(文系型思考)
・自分が間違っている(知らない)かもしれないことに興味を示し、間違っていた(新しい発見をした)ことを
語りたがるのが理系脳(理系型思考)
古くは、文系型思考の受け皿として宗教が発達し、理系型思考の受け皿として倫理学や哲学が発達しました。
掲示板で各々の見解を読む時に、文系型理系型の癖を発見するのも一つの楽しみでもあります。
ところがそれを(発見)する自分はすでにそれが(正しい)規定事実かのように錯覚をしていたりもします。
このトピックスは推理に限らず、人生訓としても成り立つと思います。
人は自力で難題を解いて自分の納得のいく答えを出せた場合、その答えに自信を持ってしまいがちです。
結果的に間違っていた(失敗した)時の言い訳や諦めや慰め、そういったもののために、自分の努力や労力を
肯定しながら生きていくようなところが往々にしてあります。その傾向が強い人を 努力家 と呼んだりもします。
「これで結果が悪かったとしてもしかたない、やることはやった・・」
例えば、名(迷)刑事の平塚八平衛氏などは努力家だったと思います。
投稿: | 2009/12/21 04:12