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2010/02/17

心理学化する社会

心理学化する社会 (河出文庫)

ASKAの事件簿の常連さんの一人、にゃんこさんのお勧めの一冊です。
にゃんこさんの推薦文も一緒に紹介しましょう。

著者は「精神医学者」であり、メディアでもしばしばコメントを行っていますが、事件報道等における「過剰な心理学化」への警告を発しています。
ラカン派精神分析を応用する筆者ですので、ポストモダニズムをはじめとする現代思想の知識がほんのちょっと必要なのですが…

この本も指摘しているのですが、「こころ」を対象とした学問分野というものが、一体どうなっているのか?ということは意外と知られていないものです。実は…

1)精神医学
長い伝統をもち、精神のトラブルに対して、生理学的な局面からの臨床を行ってきた領域。現在では後に述べる臨床心理学や、心理学より発展した精神分析を応用した方法も用いるが、他分野とことなるのは「投薬」による治療であること。

2)心理学
19世紀のヴントに始まる、「心理の科学」。心理を「科学的に研究」するだが、基本的にその対象は「人間一般の心理」であって、異常心理の研究は、実は裾野の部分である。フロイト、ユング、ラカンなどはここに属するが、彼らの理論は人間一般の心理の研究であると同時に「精神分析」という技術としても発展した。

3)神経科学
神経系一般の科学で、神経医学や神経生理学などを含む。「こころ」との兼ね合いで言えば、精神医学の臨床を実現するための基礎研究と言っえる。伝統的に「脳を科学的に研究」してきた領域はここ。

4)臨床心理学
「心理学」の研究のうち、精神分析などを臨床に生かしたもの。ただし、日本やアメリカで「カウンセリング」と呼んでいるもののほとんどはロジャーズ式の来談者中心療法であり、これは20世紀中葉以降の「若い科学」。

5)脳科学
ここ数年盛んだが、これは学問上の分野?
FMRIなどの技術革新によって、「これまで脳の観察などできなかった人々」が脳の観察を始め、それぞれの科学的見地からの発言を行っている、というのが実態。
具体的には、教育学、運動生理学、認知心理学などの分野の研究者が「脳」について発言する場合、マスコミがこれを「脳科学者」と紹介するわけである。(「脳科学学科」という学門はありません。)
それらの発言には、人間の行動と脳の関係について従来見られなかった斬新な切り口がある一方、長年、脳の研究を行ってきた神経科学分野から見れば「単なる仮説」に過ぎないものが多い。

「右脳・左脳、ゲーム脳…脳科学の『神話』ご注意」(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100122-OYT1T00980.htm
(神経科学学会による啓発↑)

これ以外にも脳外科なんか関連がありますが、一般には1)~5)までが混同されて語られているのが実情だと思います。
今日の社会では、特に4)や5)が脚光を浴びるようになりましたし、犯罪報道などでしばしばこの手の「コメンテーター」が活躍する世の中になりました。
やがて、それらは犯罪捜査などにも応用されそうな勢い(すでにTVドラマの中ではそうですね)ですが、私個人は、心理に対する4)や5)の理解の仕方に疑問を感じています。

最初に挙げた本は、そうしたもやもやした疑問を見事に説明してくれた本でした。

3年前ですが、こんな事件もありました。
会津若松母親殺害事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E8%8B%A5%E6%9D%BE%E6%AF%8D%E8%A6%AA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

酒鬼薔薇事件や、幼女連続殺害事件などが「心理学的」に理解される一方、上記の事件は報道後、ほぼマスコミが「沈黙」せざるを得なかった事件といえます。

また、母親を殺害した少年が犯行後インターネットカフェで「ビースティー・ボーイズ」を聞いていた、という話は何かこの出来事の核心部分を突く様でいて、多くのマスメディアの人々を「肩透かし」にあわせたのでした。

コロンバイン高校銃乱射事件の犯人たちがマリリン・マンソンの信奉者であったという「情報」は、マスメディアの「心理学化」によって、特定のアンダーグラウンドメディア批判を惹起する「物語」になりました。

重大な犯罪の発生に対してマスメディアは、「問題の原因を解明する(少なくともその手がかりを提供する)」という立場を「見かけ上」とっていますが、実際には事件を「わかりやすい物語にして処理」しているのに過ぎないのではないか?

1週目 警察の発表を詳細に
2週目 会社や学校の人々の印象から
3週目 生い立ち、家族との関係から
いつもこの手順を繰り返していないか?TV局よ。

マスメディアとて利潤の追求をしているという当たり前すぎる前提を置けば、「大衆に事件を消費させている」と言い換え得ることです。

何人もの新聞記者やニュースのアンカーマンたちが、事件後「初めて聴いたビースティー・ボーイズの音楽」にがっかりとさせられことでしょう。それらは、彼らの期待する「悪魔的な音楽」や「虚構の世界の残虐」とは180度逆の、明るく粗暴なバカ騒ぎという見かけ(PVの多くはモンティパイソン風コメディー)を装い、LA風ストリートカルチャーをベースにほんのりとしたシニシズムを調味料に加えた「きわめてオシャレな白人ヒップホップ」だったからです。(ちなみに彼らは、中国のチベット侵攻を批判し、チベットの自治拡大を訴えた「チベタンフリーダムコンサート」の提唱者でもあります。)

しかし、私は会津若松母親殺害事件の犯人の少年にこそ、「心理学」は徹底した分析を行うべきであり、その背景に、今の社会に生きる人々の何らかの問題が潜んでいると直感的に思うのです。
この事件に対する「熱くない報道」から、この少年と母の暮らしが、どのようなものであったか、進学校に進みながら孤立していた彼の学校生活がどのようになったのか、知る由もないのですが、(おそらく最も)愛していた母の殺害後、ビースティー・ボーイズを(おそらく大音量で)聴いた彼の心情を、なんとなく推し量れるような気がするのです。いや、そういうことをもっとよく考えないといけないと感じるのです。(でも、どうしても言語化できない…)

殺人というのはどこから見ても、「忌まわしい犯罪」であるのですが、それを行う、あるいは行わざるを得なかった心理的な経緯については、我々は、せめて、見て、少しくらいはどうしてか考える義務程度はあるのでは…
とろこが、現実には起きた事件のうち「説明しやすい素材」だけが選ばれ、「大衆に受け入れ易い言説」をお約束どおり言ってくれるコメンテーターが「分析」という「商品」を提供し、人々はそれを「消費」してゆく。熱が冷めれば人々は、日常に戻ってゆく。
過ぎ去った事件に対して人々は「ああ、そんな『異常な事件』があった。でもそれは『異常な人間』がやることであって、その『異常』は専門家が説明しているじゃないか。オレの日常には関係がないんだよ。」と思えばよい…そうした態度は、どこまで言っても「オレ」や、この社会の内部の異常性から目をそらす行為を助長させるだけではないのでしょうか。

私には、賢かった犯人の少年が、そうしたことまで見越した上で、何か、非常にわかりにくい「警告」を、私たちに対して発している…そんな気がするのです。

ここまでがにゃんこさんの紹介文です。
私の感想ですが、大変興味深い事が書かれています。ASKAの事件簿の管理人としては、少々耳の痛い所もありますね。

それから、この本ですが限られたページ数に非常に広い範囲を書いていて、ポイントが絞りにくい感じです。
上のにゃんこさんの紹介文を読んでから読んだ方がよいかな。

最後に治療の現場でアダルトチルドレンの考え方は有効のようですね。
やはり、使う人間が正しく使えば治療に使えるようですね。

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コメント

よもやま話ですが。

海外の殺○地下ビデオを見た人間が、
鑑賞直後に「くまのプーさん」を
借りに走ったというエピソードがあります。

自身のキャパを超えたものを見て
わすれたい、気分を切り替えたい、
といった心理や行動ですかね。

人は十人十色ですが殺害の体験とは
いずれ、苦悩、懺悔、恐れのどれかを
生み出しますよね。正常者なら。

投稿: % | 2010/02/18 22:21

ASKAさん

無駄に長い書き込みを取り上げてくれてありがとうございました。

この本も指摘していることですが、臨床心理学のアプローチのすべてが、商業主義的であり、無効であるというわけではないと、私も思っています。

会津若松母親殺害事件の事後残念だったのは、報道が早めに収束してしまったことであり、まさにそのことから、マスメディアが「人口に膾炙した解釈」しか好まないことがありありと感じられてしまったことです。

wikiによれば、犯人の少年は「ビィースティー・ボーイズ」を聞いたあと、母親の生首を入れたバックを持って警察に出頭しています。

応対に出た女性警官は、それを見て卒倒したそうです。

動機については「誰でもいいから殺そうと考えていた」「戦争やテロが起きないかなと思っていた」と語ったそうです。

私には忘れられない事件です。

投稿: 迷探偵にゃんこ | 2010/02/19 20:10

たいていの人は、自分で意識と無意識の両面で殺戮本能を制御しているので
殺人者になる確率は1/100000くらいだそうです。 ところが、遺伝的あるいは
器質的な欠陥でこの確率が1/400くらいにはねあがる人も存在するらしいです。

こういう欠陥に社会的なアプローチで対峙するのは賢明とはいえません。
早期発見早期治療早期教育で対象者に適正を与えることも必要でしょう。

投稿: | 2010/02/20 02:42

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