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2012/06/13

大阪市中央区東心斎橋通り魔男女殺人事件その3(続報)

引き続き続報です。
***(1)***
容疑者(36)の尿などを鑑定した結果、覚醒剤は検出されなかったらしい。
大阪府警南署捜査本部は、過去の使用歴が何らかの影響を及ぼしたかどうかなどについて、慎重に捜査している。
捜査本部は12日、容疑者を殺人と銃刀法違反容疑で大阪地検へ送検したとの事。

関係者によると、容疑者は過去に覚醒剤の使用を繰り返し少なくとも2回服役したらしい。
今回5月24日に出所した当日、紹介された栃木県那須町の薬物依存者の支援施設へ入所したとの事。6月8日に「働ける場所があるので出ていきたい」と申し出て退所したらしい。

捜査関係者によると、この間は薬物を入手できる状況でなく、施設を出てから大阪へ着くまでの間も薬物に接した形跡はなかったらしい。

***(2)***
捜査関係者によると、容疑者は調べに、「家も仕事もなく、自殺しようと思ったが死にきれなかった。人を殺せば死刑になると思ってやった」と供述し「友達に裏切られ、死にたかった」とも話したらしい。

友人への恨みを一方的に募らせ、凶行に及んだ可能性もあるが、これまでの調べで、友人らとのトラブルは判明しておらず、府警は供述の真意を慎重に調べているとの事。

また、その後の調べで、容疑者は大阪に来てからも、市内を観光したり、酒を飲んだりして、知人の男性と具体的な仕事の話はせず、うその供述をしている疑いがあることがわかったらしい。

***(3)***
容疑者(36)が刑務所を出た直後、栃木県の内装業者に「仕事を下さい」と懇願していたことが分かった。栃木では仕事が見つからず、事件前日に知人を頼って大阪に行っており、大阪府警南署捜査本部は、大阪でも仕事が得られないと思い込み自暴自棄になったとみて調べているらしい。

関係者によると、容疑者は5月24日に薬物事件で服役していた新潟刑務所を満期出所後、以前働いたことがある宇都宮市内の内装業者に電話で「刑務所を出て更生施設に入りました。仕事を下さい」と訴えたらしい。
また、2006年に逮捕された際、かつて勤めた同県下野市の内装業者に拘置所から「出所した後も仕事がしたい」と手紙を送っていたらしい。
白い便箋2枚に「反省し、今は真面目にやっています。一日も早く出所できるよう頑張ります」などと書かれ、同年9月21日の日付があったとの事。 

***(4)***
大阪府警南署捜査本部の調べに対し、自暴自棄になった理由について、「人間関係で悩みや不満があった」と供述しているらしい。
大阪に来たのは「知人に仕事を紹介してもらうため」と説明しているが、知人に具体的な相談をしていなかった可能性が高いらしい。

捜査本部は、容疑者の供述が断片的で、説明がつかない面があることから、慎重に裏付け捜査を行い、動機の解明を進めるとの事。

大阪府警などは、容疑者が被害妄想を膨らませて事件を起こした可能性があるとみて精神鑑定も検討しているらしい。

***(5)***
容疑者(36)が服役する前に、2人の兄とトラブルになり、絶縁状態となっていたらしい。
両親はすでに他界しており、大阪府警南署捜査本部は、出所後に身を寄せる場所が地元になかったことが大阪に向かった背景になったとみているとの事。

親類によると、容疑者は3人兄弟の末っ子で5歳のときに母親が亡くなったとの事。

小学校高学年のときに父親が経営する材木店が倒産したため、栃木県那須塩原市から同県石橋町(現・下野(しもつけ)市)へ移り住んだらしい。

その後、年が離れていた2人の兄は独立して別居したが容疑者の生活は、学校に進学したあたりから、次第に荒れ始め、非行に走るようになったらしい。

容疑者をよく知る地元の知人によると、中学卒業後すぐに地元の暴走族グループ「石橋寿辺苦絶悪(スペクター)」に入り、やがて約30人の構成員をまとめる「総長」として活動したらしい。

成人後まもなく、同県小山市内にあった暴力団に所属し、覚醒剤に手を出すようになったとの事。

平成12年ごろ、暴力団が解散したことから地元の下野市に戻って内装関係の仕事に就き、13年には父親と2人で新築のアパートに入居したが18年夏ごろ、家賃の滞納が続いたため、退去を求められたらしい。

滞納分は保証人になっていた兄が全額立て替えたらしい。こうしたトラブルなどで容疑者は2人の兄と絶縁状態になったうえ、父親も20年に死亡し、容疑者に身寄りはなくなったとの事。

そのころに覚せい剤取締法違反罪で黒羽刑務所(栃木県大田原市)に服役しいったん出所したが、再び覚醒剤に手を出して懲役1年10月の判決を受け、新潟刑務所に収監されていたらしい。

親類によると、父親にはきょうだいが多く、叔父や叔母らがいたが、いずれも疎遠で交流はほとんどなかったらしい。
兄を含む大半の親類は、容疑者が刑務所に入ったことや出所したことも知らなかったとの事。

さて、一旦ここで時系列にまとめてみようかな。
2012年
06/10 大阪の東心斎橋で事件発生
06/09 薬物依存支援施設を退所、栃木から大阪に移動、友人と観光、酒を飲む
05/24 新潟刑務所を出所、その日のうちに薬物依存支援施設に入所
     1年10ヶ月前に覚せい剤で新潟刑務所に服役
2008年頃 黒羽刑務所に覚せい剤取締り法違反で服役し一旦出所している
       この頃、同居していた父親が死亡

2006年夏頃、家賃を滞納してアパートを退去するが滞納した家賃を兄が全額立替、これを境に兄とは絶縁状態となる。

2001年頃 父親と二人でアパートに入居
2000年頃 暴力団解散により地元で内装関係の仕事をする
1996年頃 暴力団に入り、覚せい剤を始める
1992年頃 中学卒業後に暴走族に入り、その後総長となる(構成員約30名)
1989年頃 中学入学頃から非行に走る。
その後   年の離れた二人の兄は別居
1988年頃? 小学校高学年の頃に父親の木材店が倒産して引っ越す
1981年頃 5歳の時に母親が死亡

とこんな感じですね。
色々と同情できる点もありますね・・・
覚せい剤を始めたのが96年ごろで最初に服役したのが2008年だとしたら、この間、10年以上も覚せい剤をやっていたら、立派な依存症になっていたのではないのかな?
だから、仕事もできなくなるだろうし、お金は覚せい剤に使って経済的にも破綻してしまった為に、家賃を滞納して退去となったが、お金がないから、保証人の兄が全額立て替える事になったと・・・これが原因で兄弟は絶縁状態って感じかな?

とりあえず、長くなるので、この事件を防ぐには?と言う事も絡めてもう少し落ち着いてから書くことにしましょう。

参考リンク
大阪市中央区東心斎橋通り魔男女殺人事件その2(続報)
大阪市中央区東心斎橋通り魔男女殺人事件その4(続報)

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