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2014/02/05

死刑制度についてのASKAの考え方

死刑制度については、このASKAの事件簿でも時々、コメントが荒れる話題なので、あまり取り上げたくない話題なのですが、リクエストがあったので、現状の私の考えを書いてみます。

結論から言うと、私は条件付で死刑容認と言う事になるのかな?
色々と考えなくてはならない事があるのですが・・・

1)死を持って償わなければならない罪があるのではないか?
(理由もなく何人も殺害してしまった人とか)

2)終身刑にすればよいか?(懲役200年とか)
終身刑は死ぬまで刑務所から出れないと言う点で、死刑と同じ効果があるのではないか?と考えています。
なら、終身刑でよいか?と言うとここが微妙なのが「反省」です。
反省する人間には終身刑が死刑と同等かそれ以上の罰になる可能性があるのですが、一方で反省しない人間には、まったく意味が無いのではないか?と思うわけです。

終身刑では結局、死ぬまで刑務所から出れないので、釈放される為に模範囚になろうとか言う努力が必要ありません。
なので、反省しない人間ならば、そのまま、刑務所の生活に適応して一生を過ごす事ができるわけです。

その中では、終身刑になった責任を被害者側に転嫁して、一生、被害者を恨んで死んでいく事になるのではないか?と思います。
それは、それで哀れな罪人の一生になるのでしょうが、被害者遺族の感情としては、受け入れられないのではないか?と思います。

このあたりは「反省させると犯罪者になります」」が参考になります。

なので、ポイントとしては、「反省するのか?しないのか?」と言う事になるのですが、これがまた難しいのが「外見や言葉から判断できない」と言う事です。

さらに言うと、「反省する為には時間が必要」なのも問題ですね。
つまり、「判決」が出てから反省が始まる事もあるわけで、反省するかしないかを裁判中に判断できません。
判決後の反省状態を予想して判決を出すと言うのも、難しいと思います。

なので、死刑確定し更に、10年経過後に一度、反省状態を見て再度、量刑を審査する裁判を行うとかも有りかもしれませんね。
結局ここでも、反省状況を判断するのが難しいのは同じですけどね。

逆に、現状で死刑と無期懲役の差が大きいと言うのも問題で、死刑がダメなら「終身刑」でと言うのも遺族感情としては有りだと思います。

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コメント

はい、被害者の立場にならないと死刑制度の善し悪しがわかりません、ある霊能者が言ってましたが、加害者も死刑になれば、亡くなられた被害者と別の世界で、ある一定の期間だけ同じ場所に居る事になり、見付かれば又殺戮が繰り返されると言う霊能者もいる。だから被害者が神に近付く一段上に上がるまで加害者を終身刑にしてもらいたいと言う被害者も世界には居るらしい。現実の話しに戻りますが、今の教育に道徳心を学ぶ時間を導入しないとダメです、人を殺めたらどうなるのかを、とことん教え込んで、洗脳していかないと、殺戮は終わりません。人は涙を流す事を忘れかけています、喜怒哀楽が今では順番が違う、怒楽喜哀になってる現世をどうにかせんといかん。人が過ちを犯すのを減少させねばならん。日本の景気の上向きと同時に進めていっていただきたい課題だと強く私は思う。※私的には凶悪犯には江戸で行われてた、張り付け拷問、引き回し、仇討ち、助太刀の復活を希望する。

投稿: | 2014/02/05 13:59

そうですね。死刑廃止ならば、他にどのような極刑が必要か、死刑廃止派の人たちに言いたいですね
(お花畑のような回答ですけど)

投稿: 荒木 | 2014/02/05 19:26

私は単純に、人を殺める人間は信用出来ないという事です。反省なんて信用出来ない。
意図的に人を殺すという事は社会を裏切っているという事なのです。
私達の社会を壊す人間はいらないし価値が無い。
自分で価値を下げた先に死刑という結果がある訳であり、
反省したからと言っても許される訳では無いし、死をもって償うべきである。
よく冤罪を持ち出して死刑廃止を訴える人がいるが、
それは逮捕・起訴の問題で死刑制度が有る事となんの関係も無い問題のすり替えである。
無期懲役から釈放された者がまた人を殺める事件が数え切れないほど有るのをご存知だろうか。
そういう人達の居場所は私達の社会には無い。つまり死がもっとも相応しい場所だという事です。

投稿: フリフリ | 2014/02/08 07:19

囚人として模範的だったからといって
服役後に模範的な人間として人生を全うできるどうかはわからない。

被害者や遺族のためにも、新たな被害者や遺族を生まないためにも、
犯罪者が新たな罪を重ねないためにも、出てこないほうがいい犯罪者、
死刑も致し方ない犯罪者は存在します。

投稿: アヒル | 2014/02/11 02:20

 死刑についての議論では、まるで自分が判決し執行するイメージを持っている人達が多いですが、死刑の議論は「国家にどこまでの刑罰権を与えるか?」の問題です。
 自分が今まで会った一番嫌な警察官・検事・副検事・裁判官の顔を思い浮かべて下さい。そいつらが適当な私人を捕まえて「死刑!」とやる訳です。「あなたはそれでもいいですか?」と言うのが議論の根本。志布志事件や足利事件を想起して下さい。あの担当刑事や検事や裁判官やその程度の連中が、これからも刑罰権を行使続けるのです。私は彼らに刑罰権そのものを与えることすら怖ろしい。
 おそらく死刑賛成論の方の本音は死刑賛成ではなく「私刑賛成」だと思います。本当はそちらの方がいいのかもしれません。
 ところで、死刑賛成派の方は、例えば、麻原死刑囚の執行は絶対になく、ある時点で「人道的見地」から釈放されると予想されることについて、どう思われるのでしょうか?死刑の執行のみならず獄死しても、彼は「現代のキリスト」として神聖化される危険があるからですが、死刑執行すら「法の下の平等」の無いこの国家に、本当に刑罰権として死刑にする権限を与えて良いのでしょうか?

投稿: すぐやるゾウ | 2014/02/11 16:59

みなさん、こんばんは
すぐやるゾウさんへ

そうですね、死刑は社会のルールを破った人間に対する罰の一つですよね。
それを個人が罰を与えるような事になると、独裁者になりかねないから、やはり、罰を与えるのは国家が法に沿って行うべきだと思います。(私刑ではもっと多くのも問題が出そうです)

これは誰かがやらなければならないので、ベストではないが、ベターな方法として国家が妥当なのかな?と思いますね。

冤罪については、別で考えた方がよさそうな気がします。

麻原死刑囚については、すぐやるゾウさんの仰る通りになったとしても、特殊な事例に思います。

特殊な事例で全体を判断するのは難しいと思います。

投稿: ASKA | 2014/02/11 19:14

社会生活を送る中で社会秩序を壊されて平気という人は居るのでしょうか。
壊されてはならないという気持ちが反映された死刑制度であり、私刑とは違います。
再犯を確実になくせます。
死刑廃止を望む人は再犯で命を失った方々についてどう思われるのでしょうか?

今の時代誰でも告発出来る時代となり昔に言葉を投げかけてばかりというのも疑問を感じます。

あくまで予想は予想でしかありません。


投稿: フリフリ | 2014/02/15 04:49

 罪のないひとの命(人生)を故意に奪った者の罰は、死が妥当でしょう。
 反省するとか、したとかは、関係ないでしょう。
 犯罪を犯した少年ですら、更正出来ないのに、議論の余地無し。
 三つ子の魂、百まで。
 反省など、せんせん。

 有期刑の上は、死刑。
 終身刑も、無期懲役もいらない。
 何故罪深い犯罪者を、罪のない人々や、ましてや、被害者が、長期に渡って、養い続けなくてはならないのか。
 他人の人権を踏みにじった者の人権など、考慮不要。

 なお、冤罪は、別の話。

投稿: おきゅうと | 2016/01/25 00:43

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