被害者の事を考えてもそれで、犯人にたどり着けるとは言えないのだけど、スリッパのDNAの事もあるので、みきおさんの思考、趣味、嗜好などを考えてみたいと思います。
みきおさんについての報道はかなり少ないのですが、少ない報道を列挙すると
・みきおさんは亡くなる前日まで、日々の行動と出費を細かく日記に付けていた。
みきおさんの父親の証言
・みきおさんが勉強する姿は見たことがないが、1浪後に東京大学に合格。だが、趣味の演劇に没頭して2度留年。6年目、「そろそろ卒業せい」という良行さんの言葉を受け入れた。
金銭への執着が少なく、その後もアルバイトで生計を立てた。「このまま好きに生きるのかな」と半ばため息をついていると、泰子さんがお嫁に来た。
経歴情報
みきおさん(四四)は、都立戸山高校から東大農学部を昭和五十七年(1984)に卒業した後、テレビアニメの制作にも携わったほか、テレビのクイズ番組の出題も担当したことがあったという。
その後、米国系のコンサルティング会社に就職し、マーケティングコンサルタントを担当。数年前に外資系の大手デザイン会社に移り、企業イメージ統合戦略を任されていたという。アニメ関係者の団体の会員登録は続けていた。
宮沢みきおさんは、英国系コンサルタント会社に勤務し、企業のイメージを変えるCI(企業イメージ確立戦略)の専門家として活躍していた。
1986年 自己啓発セミナーで知り合った、泰子さんと結婚(夫30歳、妻27歳)
1987年 米国系コンサルタント会社に入社してCIの仕事をする(31歳)
1988年 泰子さんが某有名化粧品会社を退社(29歳)
1989年 泰子さんが東急線目蒲線奥沢駅前に姉と共同で学習塾を開設
1990年 自宅購入(宮澤さん夫婦が泰子さんの母親や姉夫婦と共同で約一億五千万で購入した中古住宅。)
(以前は中古住宅と報道されてましたが、入江さんの本では、建てた、設計した。とあるので、新築と思われます)
1990年 自宅に学習塾を開設(89年の塾とは別のようだね)
1992年 隣家に住む姉夫婦が事業の為英国に移住。隣家には母親が1人で暮らすようになる。
1992年 長女誕生
1992年 奥沢駅前の塾を隣家1階に移す
1994年 長男誕生
1996年 みきおさん、共著だがインターネット関係の本を出版
1997年 外資系の大手デザイン会社に移り、企業イメージ統合戦略を任されていた。
2000年 8月広島国際アニメーションフェスティバルの運営に参加
2000年 12月事件により家族4人が死亡(44歳)妻(41歳)長女(8歳)長男(6歳)
週刊誌の報道
・事件の前、別の会社へ「役員格」でヘッドハンティングの話があり、定時後に頻繁に新会社のミーティングに参加していた。
・みきおさんは周囲が残業する場合でも、残業しなかった。
入江さんの本
・事件前の12月はみきおさんは仕事で帰宅が遅かった。
・写真が趣味、ライカのコレクションがあった。
・子供用のPCを用意して子供にPCを触らせていた。
・頻繁に家族旅行をしていた。
・机の上の本が曲がっていても気になるような几帳面な性格
・使っていたPCはマッキントッシュ
・家の設計はみきおさん
報道されている情報はこんな所かな。
これ以外にみきおさんの人物像を考える手がかりなんですが、私はみきおさんが設計したと言う家にあると思います。
入江さんの本では、建てた、設計したとありますから、新築でみきおさんが基本レイアウトを設計したのでしょう。
その設計思想にみきおさんの人物像が表れていると思います。
あの家はユニークと言うか、一見すると変わった構造になってますが、かなり考えられた家だと思います。
あの家が変わって見える原因は家の左右で分割されて、床の高さが違うと言う事でしょう。
では、なぜ、そんな構造になっているかと言えば、その原因は1階のガレージにあります。
ガレージは車が入る高さがあれば良いので、通常の部屋よりも、天井を低くする事ができます。
その為、家の左右で2階の床の高さに差ができているわけです。
しかし、みきおさんはそれを上手に使い、狭い空間を有効に活用する為にガレージの上にあたる3階部分にあたるロフト部分を夫婦の寝室にしたのだと推測しています。
そして、一番広く使える、2階部分に生活の場を設定したのでしょうね。
リビングとキッチン、ダイニングを一つのフロアに置き、子供部屋、風呂、トイレ、洗濯室を配置してます。
1階にリビングを設定した場合に、子供部屋は2階になってしまうので、そのあたりを嫌ったんでしょうね。
正直なところ、子供二人の子育てをするには、少々この家は狭いと感じます。
実際にガレージがなければ、子供部屋か応接室ぐらいは、もう1部屋、作る事ができたはずです。
それでも、ガレージを優先する理由がみきおさんにはあったんでしょうね。
時系列では、結婚が86年で家を購入したのが90年、92年に長女が誕生です。
結婚した段階でふつうに子供を作る事は想定していたと思います。
だから、車は子供の育児の為に必要だと考えたのかもしれません。
・・・が、車を所有するなら、別にガレージが必須と言う事でもないですよね。
実際、ガレージの前の部分に車1台ぐらい止められそうにも見えます。
(報道写真では事件発生時、車はガレージの前に止めてありますね。)
他にも、近くに駐車場を借りる事もできたでしょう。
それでも、ガレージを作ったのは、「車」に思い入れがあったのかな?と想像しています。
乗っている車も外車でシトロエンみたいですね。
経済的な事やメンテナンスの面を考えれば、国産車の方が良いと思いますけど、「シトロエン」を選択したのも、「こだわり」なのかなと推測しています。
たまたま、友人や知人から安く入手する事ができたと言う可能性もありますけどね。
そもそも、都市部だと公共交通機関が発達しているから、自家用車が無くても、それほど困らないでしょう。
礼君の事があるから、車での移動の方が問題が少ないとも言えるけど、礼君が生まれる前に家を設計してますからね。
車も家を購入した時点かそれ以前に所有していたんでしょう。
車については、このぐらいにして、家の事に話を戻すと、
この家については、泰子さんはあまり、歓迎していなかったのではないか?と推測してます。
・玄関を開けると、直ぐにみきおさんの書斎になっていますが、主婦としては、目隠しが欲しいのかな?と
・小さい、子供が居るので、階段からの転落事故の可能性を考えると、生活の場が2階と言うのも、抵抗があるかと
1階に玄関から階段までの廊下を作ってしまうと、その分、部屋が狭くなってしまうので、廊下を作らずに部屋の中を通路にした方が部屋が広く使えるとの判断でしょう。
階段の転落についても、当然考えたでしょうが、そこは子供用のゲートを使え事故を防げるとの判断でしょうね。
で、最後に寝室をロフトにするのは良いのですが、ハシゴでの上り下りは、若い内は良いけど、年を取ってからは厳しいと思います。
そのあたりを考えると、みきおさんは、あまり長い期間、この家に住む事は考えていなかったのではないか?と推測しています。
子供が成人すれば、寝室を子供部屋に移す事ができるかもしれません。それは20年ぐらい先ですし・・・
その前に子供が二人いるので、中学生ぐらいになれば、子供部屋をもう一つ欲しいと言うのもあったかもしれません。
祖師谷公園の整備計画はずっと以前の昭和18年に決まってますし、それを考えると、引っ越しは織り込み済みだったのかもしれません。
家の設計は全体として、ガレージを使う前提で設計しているが、それをカバーする為に空間を有効に活用する設計になっていた。
最後にまとめてしまうと
1)みきおさんは、基本的に几帳面だった(日記がそれを物語っている)
2)理系で合理的な判断を好む人だと推測しています。(家の設計思想)
3)趣味は多彩で、演劇、アニメ、カメラ、パソコン、パソ通(インターネット)そして車も好きだと推測してます。
4)趣味に対しては、お金と時間を掛けるタイプと推測しています。
その反面、興味の無い事にはお金は掛けない(父親のお金に執着が無いの証言)
5)97年に一度転職しており、更に事件直前にもヘッドハンティングの噂がありますね。
この話が本当なら、上昇志向が強いのか、あるいは、家族や趣味の為により高い収入が欲しかった可能性がありますね。
他には、純粋に「やりたい仕事」だった可能性はあります、収入より「やりたい事」を優先した可能性もありますね。
しかし、疑問なのは入江さんの本にある12月は帰りが遅かったと言う事なんですよね。
みきおさんの仕事に対する報道の中に同じ職場の人が残業するような時でも、みきおさんは残業はしなかったと言うのがあります。
自分の担当じゃないからと言う、「割り切り」なのかもしれないし、仕事をしながら、子供二人を育ている泰子さんへの配慮で家事や育児を手伝う為だったかもしれません。
その一方で12月は帰りが遅かったと言うのが、例え、転職の為の打ち合わせといってもね・・・
当然、まだ転職してないから、転職先から残業手当や通勤手当が出るはずも無いですし・・・
もともと、残業しない人なら、転職前の打ち合わせで1ヶ月も、打ち合わせする事ってあるの?
と言うのが疑問なんですよね。
むしろ、みきおさんは、趣味の為に遅かったのではないか?と言う疑問さえ出てきます。
周囲には趣味で遅くなるなんて事は言えるはずもありませんから、「仕事で遅くなる」と話すしかないと思います。
しかし、もう一つ、入江さんの本でみきおさんは「仕事の帰りにタクシーを使う」事もあったと記載されています。
東京の会社で、終電後まで仕事した時、帰宅にタクシーを使うと、タクシー代を会社に請求できるとかと言う話は聞いた事がありますね。
でも、その場合は仕事じゃなきゃダメなので、趣味なら終電に間に合うように帰ると思うんですよね。
そう考えると、あまり残業しないと言う話は、そもそもが誤報なのかな?と言う疑いもあります。
そもそも、ヘッドハンティングされるなら、それなりの実績と実力が必要ですから、毎日定時で帰っていてそれほど評価されるような実績が残せるのか?と言うのもありますよね。
だけど、外資系だと能力を重視するので、残業が多いのはあまり評価されないと言う話も聞きますけどね。
子供の教育についても、それなりに熱心だと思うのですが・・・そのあたりは情報がありません。
しかし、趣味が多彩なので、仕事に趣味とかなり忙しい人だったのではないかと思いますね。
みきおさんの交際範囲としては、やはり、仕事よりも趣味の人間関係が広いと思いますね。
性格的にトラブルがあるとしたら、理系の合理的な判断が誤解されて逆恨みするような事があるかもしれないですね。
経済性とかスケジュールを優先して、それが他の人間の不利になるような事とか、感情を刺激するような事とか・・・
色々、考えてきたのですが、全ては私の妄想です。
なので、みきおさんの友人、知人の方に「本当はこんな人でした」と情報をいただけると助かります。
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