世田谷一家殺害事件再考その160(みきおさんとアニメ)
今回はみきおさんのアニメに関する活動について、時系列情報を発掘してみたので、忘れないうちにメモしておく。
青字がアニメ関係の活動です。
アニメ関連の情報はネット情報からなので、間違っているかもしれません。間違っていたら教えてください。
(年齢はASKAの推定です)
1956年 東京都板橋区で長男として生まれた。(みきおさん)
1959年 東京都大田区で二女として生まれた。(泰子さん)
○1978年 みきおさん、新宿アニメーションランドに参加(22歳)
○1979年 みきおさん、グループえびせんの創設メンバーとなる(23歳)
○1979年 みきおさん、人形劇「火宅」の撮影を手伝う(23歳)
○1981年 みきおさん、人形劇「蓮如とその母」の撮影を手伝う(25歳)
1981年 泰子さんが大学を卒業、その後、某有名化粧品会社に入社
○1981年 みきおさん、16mmの自主制作アニメを作成(3’00" バラはあこがれ)
1982年 東大農学部卒業(事件が2000年で44歳だから、卒業は26歳だな)
(大学では森林風致計画学を専攻し、建造物が風景に与える影響などを研究した。)
○1982年 みきおさん、8mmで自主制作アニメを作成(2’00" ペルセウス座物語)
大学卒業後は森林都市研究所の契約社員を経て、アニメの制作スタッフとなり、編集プロダクションを設立した。
1983年 泰子さんの父親が無亡くなる。
○1983年 みきおさん、NHKアニメガジェット警部の演出を担当。
○1984年 みきおさん、編集プロダクション「アルテア4」を設立。
○1986年 みきおさん、NHKアニメガジェット警部放送終了(注1)
1986年 自己啓発セミナーで知り合った、泰子さんと結婚(夫30歳、妻27歳)
1987年 米国系コンサルタント会社に入社してCIの仕事をする(31歳)
1988年 泰子さんが某有名化粧品会社を退社(29歳)
1989年 泰子さんが東急線目蒲線奥沢駅前に姉と共同で学習塾を開設
1990年 自宅購入(宮澤さん夫婦が泰子さんの母親や姉夫婦と共同で約一億五千万で購入した中古住宅。)
1990年 自宅に学習塾を開設(89年の塾とは別のようだね)
1992年 隣家に住む姉夫婦が事業の為英国に移住。隣家には母親が1人で暮らすようになる。
1992年 長女誕生
1992年 奥沢駅前の塾を隣家1階に移す
1994年 長男誕生
1996年 みきおさん、共著だがインターネット関係の本を出版
1997年 外資系の大手デザイン会社に移り、企業イメージ統合戦略を任されていた。
○2000年 みきおさん、8月広島国際アニメーションフェスティバルの運営に参加
2000年 12月事件により家族4人が死亡(44歳)妻(41歳)長女(8歳)長男(6歳)
こんな感じですね。
基本的な情報は2010年に殺人事件被害者遺族の会「宙の会」の集会に参加した、アニドウの会長のブログのコメントを参考にしています。
引用
僕と宮澤くんは親友というような近い関係ではないけれど、かつては毎月のように上映会をやっていたアニドウの黄金時代から、彼は参加してくれて、新宿アニメーションランドから「グループえびせん」の結成、川本喜八郎さんのスタッフとしてや、広島アニメフェスの運営委員など、多くの場所で同じようにアニメーションに関わってきた人でした。彼の会社名「アルテア4」もSFファンらしくて印象的でした。
さて、ではここまで調べたところで、疑問点がいくつかあります。
1)みきおさんのアニメ活動が途中中断しているように見えます。
84年の会社設立から2000年の広島国際アニメーションフェスティバルまでの間の16年間、アニメ関係の活動をしていたのでしょうか?
2)みきおさんの設立した会社「アルテア4」はその後どうなったのでしょうか?
設立の情報はあるのですが、87年にみきおさんは外資系コンサルタント会社に就職しています。
この事を考えると、この会社とは関係を絶っているように見えます。
3)2000年の広島国際アニメーションフェスティバルの運営を手伝うようになった切っ掛けは何だったのでしょうか?
調べてみると、みきおさんは学生時代にアニメに関してかなり入れ込んでいたのは分かりました。
アニドウ、日本アニメーション協会などにも参加しているようですし、実際に自主制作グループの活動にも参加して、自主制作アニメも作成しています。
しかも、最後には会社まで設立している。人間関係だけなら、日本アニメ界の中枢近くにいたと思います。
みきおさんは、アニメを仕事にしようと考えていたようですね。
しかし、87年にはコンサルタント会社に就職しているので、設立した会社は失敗したのかもしれませんね。
で、私の自分勝手な推測なんですが・・・
みきおさんが設立した会社は失敗したのでは無いでしょうか?
それが切っ掛けで自己啓発セミナーに参加した。その結果、泰子さんと知り合い、結婚する。
そして、結婚を機にアニメ界から足を洗ったのではないのかな?
結婚の翌年には外資系コンサルタント会社と、アニメには関係の無い会社に就職してますよね。
この事件でみきおさんの人物象を考えると、アニメと深い繋がりがあるように考えてしまいます。
蛍光染料もアニメ関連ではないか?とか演劇関連ではないか?とかね。
だけど、みきおさんは、2000年当時は、アニメの制作現場には関わってないのでは無いのか?
と言うのが私の疑問です。
だけど、2000年の広島アニメフェスティバルの運営は手伝っているんですよね。
なぜここが気になるのか?と言うと、みきおさんのプライベートの時間の割り振りと言うか、時間の使い方はどうだったのだろう?と言う疑問に繋がります。
みきおさんは事件当時、会社に勤めていましたし、現場のリーダーとしてそれなりに忙しかったと思います。
家庭では2児の父です。
子供はにいなちゃん8歳、礼君6歳、しかも礼君には程度が分からないが発達障害があった。
妻の泰子さんは、学習塾の経営をしている。(専業主婦ではない)
だから、家庭に取られる時間はかなりあったと思うわけです。
にいなちゃんの宿題を見るとか、泰子さんが食事を作っている時間に子供達をお風呂に入れるとか、そのぐらいの事はやっていてもおかしく無いですよね。(ただ、事件のあった12月はみきおさんの帰宅が遅かったと入江さんの本に書かれてますね)
そして、趣味のアニメです。これがただの趣味なら、優先順位は低いのですが、広島国際アニメーションフェスティバルの運営まで手伝うと言う事であれば、優先順位は少し上げなければなりません。
まー、事件当時は8月の広島国際アニメーションフェスティバルは終了し、2年に一度の開催なので、次回は2002年だから、次回の準備がそれほど忙しい時期では無いと思います。
しかし、他にも何かイベントの運営などに関係している可能性はあるのではないか?と思うわけです。
だから、それが怪しいと言うのではなくて、一部の週刊誌の報道では、みきおさんはアルバイトや副業をしていたのではないか?との報道がありますが、みきおさんは別のアルバイト的な仕事をする時間の余裕は無いのではないか?と言う事です。
アルバイトや副業が無いなら、その方面は考える必要が無いと言う事ですよね。
2021/12/31 1986年のガジェット警部の放送終了を追記、注1を追記
注1:ガジェット警部は日本、フランス、カナダ、アメリカの合作アニメ、フランスでの放送が83年から86年の全65話、日本では90年に26話を放送、その後、94年から96年に再放送で残りも放送されている。
Wikiによると、みきおさんは第1シーズンの演出を担当している。続編として「ガジェット警部の事件簿」と言うのがあるので、私としては、最初の65話が第1シーズンと考えています。
なので、フランスの放送終了の86年で制作は終わっているので、みきおさんもこの制作終了に伴い、ガジェット警部との関係は切れていると思われます。
87年の就職は86年のガジェット警部の終了が何か関係しているかもしれないですが、このあたりはわかりません。
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コメント
ASKAさんお久しぶりです。
みきおさんの趣味なのですが、警視庁成城警察署の作成した情報提供を呼びかけるPDFでは、はっきりと「趣味:アニメ、学生時代は人形劇、演劇」と書かれています。
以前のPDFでは、「趣味:学生時代、人形アニメ制作や演劇をされていました。」とあったので、今現在は、明らかに「趣味:アニメ」が強調されていた形になっています。
警察の方も、みきおさんの家に残されていたアニメの録画ビデオや、アニメ関連書籍などで、かなりディープなアニメファンだと判断したのではないでしょうか?
2014年の年末に東京都公安委員会の委員長が被害者宅のリビング床面を見ていたとフジテレビの報道がありましたが、その場所にはテレビ台とその中にはビデオデッキが収まっていたと――3Dプリンタで被害者宅の模型を作ったときにそう記憶しています。
デッキの側には、アニメを録画したビデオテープなどがあったのでしょうか?
その後は、被害者宅の取り壊し計画は中止されたようです。
投稿: ベビールース@Babyruth_Detect | 2016/07/12 18:31
ベビールースさん、こんにちは
そうなんですよね、調べていて気付きましたが、みきおさんは普通のアニメファンでは無いような気がします、みきおさんは若い時は短い期間だったかもしれませんがアニメのプロだったんですよね。
そのみきおさんが普通のアニメファンのように、単純にアニメがおもしろいから見ていると言うような見方はしないと思うんですよね。
この「演出家は良い仕事をしている」とか「ここはこうした方が良い」とかそんな目線でアニメを見ていたのではないかと思っています。
だとすると、制作現場から離れたみきおさんがはたして、コミケと言った物に興味を持つのだろうか?と言うのが疑問なところです。
他にも、「祖師谷パークスタジオ」はアニメから足を洗っているなら、みきおさんのアニメスタジオでは無いと言う事になります。(なので、泰子さんの塾の名前になりますね)
趣味がアニメと言われているけど、普通のアニメファンと同じような楽しみ方だったのか?と言うところは確認したいですね。
逆に普通にアニメファンでも、広島アニメフェスティバルの運営に参加したいと言う人は少ないと思うんですよね。
それに、アニメ界の関係者は捜査に協力しているとも言われてますから、このあたりの事情は警察は既に調べているはずなんですが・・・
投稿: ASKA | 2016/07/14 17:24
みきおさんはアニメを趣味としていましたが、あくまでそれはクリエイターとして、ではないでしょうか。アニメの自主製作は今でこそ珍しくないかもしれませんが、1980年代ともなればかなり大変な活動だと思います。みきおさんに思い入れがあったからこそこういった活動をされていたのが想像できます。
しかし、結婚後はパタリと活動をしなくなりますよね。広島国際アニメーションフェスティバルは運営としてですからあくまで裏方。制作して活動していただけではないとおもいます。
問題は「アニメ関連でここまで残虐な事件が起こりうるか?」ということです。近況でさして目立ったアニメ関連の活動をしていた訳でもないし、ましてコミケが絡んでいるのかというと…。
転職も順調に話が進んでいたらしいですし、アニメ関連の仕事で誰かと揉める要素がないんですよね。
投稿: 裏銭 | 2016/07/14 17:56
アルテア4とはSF映画禁断の惑星から頂いたようです。
またみきおさんが編プロ時代に関わった日米合作アニメ
『ガジェット警部』は1999年にハリウッドで実写映画化
されています。日本ではビデオスルーで邦題は
『Go Go ガジェット』です。
広島アニメフェスティバルでみきおさんは審査員側
でしたが落選させたアーチストは調べたのですかね?
投稿: 事件解決を望む者 | 2017/05/31 00:29
事件解決を望む者さん、おはようございます。
いつも情報ありがとうございます。
広島アニメフェスティバルでは、みきおさんは審査員だったんですね。
完全な裏方と言う印象だったんですが、審査員となると意外に時間がかかる仕事だったのかもしれませんね。
事前に参加作品を視聴して評価しなければならないわけですよね。
それに、「審査員」となると、それなりに業界で名が通っている人が行う物だと思うんですよね。
だから、「アルテア4」以後も、アニメ業界に関わる仕事はそれなりに続けていたのかもしれませんね。
投稿: ASKA | 2017/06/01 05:41
https://m.imdb.com/name/nm2695523/filmotype?ref_=m_nm_flmg
みきおさんのインターネットムービー(テレビ)データベースです。
ガジェット警部放送は1983~86年です。
投稿: 事件解決を望む者 | 2021/12/30 20:14
事件解決を望む者さん、こんばんは
コメントありがとうございます。時系列に情報を追加しました。
65話、3年もやっていたんですね。その間に会社も立ち上げています。立ち上げた会社のアルテア4との関係とかいろいろと謎は残りますね。
投稿: ASKA | 2021/12/31 19:47