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2016/11/16

大阪府堺市4歳男児所在不明事件その2(容疑を認める)

大阪府警は11月8日、父親で鉄筋工の男性容疑者(35)を傷害致死容疑で、母親の女性容疑者(32)を保護責任者遺棄致死容疑でそれぞれ再逮捕した。

男性容疑者は「(男児が)死んだのは私の暴力が原因だ」と供述し、女性容疑者は「間違いありません」と話し、それぞれ容疑を認めているとの事。

男性容疑者の逮捕容疑は昨年12月中旬、大阪府松原市の当時の自宅で、長男に暴行を加えて頭部にけがをさせて死なせたとしている。女性容疑者の容疑は、男性容疑者の暴行で長男が衰弱しているのを知りながら、病院で受診させるなどせずに死なせたとされる。

女性容疑者は「言うことを聞かないので夫が暴力を振るっていた」と供述。女性容疑者の説明では、長男は昨年12月中旬、男性容疑者に頭を殴られた翌日、寒気を訴えた後に死亡したとの事。

この際、男性容疑者は自宅におらず、女性容疑者が人工呼吸をしたという。「夫の暴力を止められなかった罪悪感があった。警察ざたになるのが怖くて死んだことを隠してしまった」とも話しているとの事。

男性容疑者は「妻が話すなら正直に言おうと思った」と、11月8日になって長男を死なせたことを認め始めたとの事。

あいまいな供述を繰り返していたが、長男の遺棄についてだけは奈良県御所(ごせ)市の水越峠の崖を具体的に示し、「今年5月に布団にくるんで遺体を投げ捨てた」と詳述していたとの事。

傷害致死容疑で再逮捕された父親の鉄筋工、男性容疑者(35)は当時、勤務先で給料を前借りするなどし、一家は困窮していたとみられる。大阪府警は、家庭内で問題が積み重なり、長男への暴力につながった可能性もあるとみて、当時の生活状況とともに供述の裏付けを進めているとの事。

捜査関係者らによると、両容疑者は大阪府松原市に住んでいた平成25年12月、施設に入所していた長男と長女(7)を引き取った。26年8月には双子が生まれ、女性容疑者は「子育てが重なり、睡眠不足でいらいらすることが多かった」と供述。松原市のヘルパー制度の利用を希望したこともあったとの事。

長男は昨年12月中旬に死亡したとされるが、一家は同月下旬、家賃滞納のため2年間住んでいた松原市の民家を強制退去となり、堺市北区のマンションに引っ越していた。

男性容疑者が今春まで勤務していた建設会社の社長(53)は同時期について「経済的に悩んでいた。給料の一部を前借りすることもあった」と証言。女性容疑者は「夫は(昨年)12月に入って長男が言うことを聞かないことにいらだち、何度か殴ったり、ビンタなどの暴力を振るったりしていた」とも供述しているとの事。

また、捜査関係者によると、両容疑者は「生活が苦しく、しんどかった」と当時を振り返っているとの事。

両容疑者には長女(7)と2歳になる双子の次女と三女もいる。女性容疑者の説明では、男性容疑者が主に長女と長男の世話をしていた。女性容疑者は「双子の世話が大変で睡眠不足になり、いらいらしていた」と供述。男性容疑者の暴力については、「怖くて止められなかった」と話しており、府警は養育実態にも着目して捜査しているとの事。

また、府警は11月10日、両容疑者を大阪地検堺支部に送検した。

府警によると、長男は両容疑者が大阪府松原市に住んでいた昨年12月中旬ごろ、男性容疑者の暴行などで死亡したとされる。両容疑者らは同月末、堺市北区のマンションに転居。男性容疑者は「遺体は引っ越し後も、布団か毛布に包んで家に置いていた。異臭がしたので今年5月下旬ごろ遺棄した」と供述している。

一方、堺市北区役所は4月初め、松原市からの連絡で長男が定期健診を受けていないことを把握。府警に相談する5月下旬までに家庭訪問を4回、電話を6回して長男の所在確認を試みていた。

また、両容疑者は今春ごろから自宅マンションの家賃を滞納し始めたにも関わらず、男性容疑者は同時期、勤務先の建設会社を突然辞めていた。府警は、両容疑者にこの時期、トラブルなどがなかったかも調べるとの事。

捜査関係者によると、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された母親の女性容疑者(32)は長男について「昨年12月以降、夫が頭を拳で殴ったり、顔をたたいたりした」と供述しているという。頭にこぶができたり顔が腫れたりしたため、女性容疑者が冷却シートを貼るなどしたとの事。

長男の死亡について「昨年12月20日ごろ、夫が長男を殴った後にぐったりし、翌朝にけいれんを起こして死んだ」と話していることも新たに分かった。「長男が言うことを聞かなかったり、夜遅くまでぐずったり泣いたりしたので、夫が怒っていた」とも説明しているとの事。

捜査関係者によると、男性容疑者は当初、奈良県御所(ごせ)市の水越峠の崖から、「遺体を布団にくるんで投げ捨てた」と供述した。府警は11月4日から4日間、現地を捜索したが、長男につながるものは見つからずに中断していた。最近になって、「本当はもう少し大阪よりの川辺に遺体を埋めた」と供述を一変させたという。

今回の現場は水越峠の崖から西に約500メートル離れた川沿い。府警は14日、集中的に捜索したが、手掛かりは見つからなかった。15日以降も捜索を続ける。

遺体をくるんだという布団については、「水越峠の崖から捨てた」という従来の供述を続けている。また、「布団を入れていたポリ袋を、崖から少し離れた別の場所に捨てた」と話していることも分かった。

男性容疑者は「遺体は今年5月に捨てた」と説明しているが、保護責任者遺棄致死容疑で再逮捕された母親の女性容疑者(32)は「昨年のクリスマスの頃に夫が遺体を持って出て行った」と供述。遺棄の時期が食い違っており、府警は供述の信用性について慎重に捜査している。

男性容疑者は新たに、これまで遺棄したと供述していた崖から「(遺体をくるんだ)布団とゴム手袋を捨てた」とし、さらに奈良方面へ約200メートル進んだ山中で「(遺体を包んだ)ポリ袋を捨てた」とも供述。府警は前回の捜索でピンク色の布団1枚を押収したのに続き、この日は大型のポリ袋2枚を押収したが、ゴム手袋は見つかっていない。

卓容疑者は一時、長男の遺体を同村との境に近い奈良県御所(ごせ)市の水越(みずこし)峠の崖から捨てたと説明。その後、「水越峠の手前の川が流れている場所で、水辺に遺体を埋めた」と供述を一転させたため、府警は14日から男性容疑者が案内した川沿い周辺の捜索を開始。15日も40人態勢で範囲を広げて捜索を続けていた。

府警捜査1課によると、遺体は15日午後2時20分ごろ、男性容疑者が長男を埋めたと供述した同村の川沿いを深さ約40センチまで掘り進めた地中で見つかった。縦約50センチ、横約30センチほどの大きさで、かなり腐敗が進んでいたとの事。

全体がトレーナーとみられる布に包まれ、足側には両足分の小さな靴下、頭側にもニット帽のようなものが見えていることから、府警は丸まった状態の幼児の可能性が高いと判断したとの事。
長男の可能性があり、府警はDNA型鑑定などで確認を進める。

長男の所在は、3年ほど前から確認できていませんでしたが、15日、長男の祖父が証言、「去年、孫を預かっていた」と話しました。

「(男性容疑者は)僕の養子になって姓を変えた。去年7月に(長男を)預かった。今年1月2日に家に行ったが長男は部屋にいなかった。『実は施設に入れた』と聞かされた」(長男の母方の祖父)

男性容疑者は、長男の死亡時期について「去年12月に死んだ」と供述していて、警察は遺体を司法解剖して調べています。

捜査関係者によると、遺体は丸まった状態で、トレーナーとズボン姿。両足に靴下をはき、頭にはニット帽のような物も付いていた。男性容疑者が長男を遺棄した際の服装に関する説明と、ほぼ同じだとの事。

捜査関係者によると、男性容疑者は「遺体をくるんだ布団をポリ袋で包み、車に乗せて運んだ」と供述。同村と奈良県御所(ごせ)市との境にある水越(みずこし)峠の手前で道路脇に車を止めると、「袋や布団から遺体を取り出して川辺に埋めた。(腐敗による)においや遺体の体液が手に付かないようにするため、ゴム手袋をしていた」と説明しているとの事。

男性容疑者はゴム手袋について、一時長男の遺体を投げ捨てたと供述していた御所市の山中で、「布団と一緒に捨てた」と説明している。ゴム手袋はこれまでの捜索では見つかっておらず、府警は17日にも山中の捜索を再開する。

捜査関係者によると、見つかった幼児とみられる遺体は、一部が白骨化していたほか、川辺で長期間埋められていたためか、湿った場所や水中で長期間置かれた遺体に特有の腐敗状態が進んでいた部分もあったという。

捜査関係者によると、男性容疑者は長男の遺棄場所について、大阪市の「南港」などの海や奈良県御所(ごせ)市の山中と次々に変遷させた。だが男性容疑者が12日になって「これまでうそを言っていた」と話し、今回遺体が見つかった大阪府千早赤阪村の山中を流れる小川の周囲を詳述した。

府警はこの新供述に基づき、14日に同村の山中で捜索を再開したが、遺体は見つからず、同日夜に捜査員に問い詰められた。その際、男性容疑者が手を合わせて「今度こそ本当です」と捜索の継続を求めたとの事。

翌15日の捜索で、男性容疑者が指し示した場所付近の土の中から、幼児とみられる遺体が見つかった。

時系列
2003年02月頃  富田林市の生後約5ヶ月の男児の遺体を埋めた(富田林市の事件の供述による)
2012年04月   富田林市の男児不明事件が発覚。
2013年08月   公訴時効の為、不起訴となる。
2013年12月   施設に預けていた長女(7)と不明の男児を引き取り松原市内で暮らし始めた。
2014年08月   双子の姉妹を出産
2015年06月   不明男児の3歳半検診の通知を送るが6回に渡り、延期
2015年07月   祖父が長男を預かる。
2015年12月20日頃 長男が死亡(女性容疑者の供述)
2015年12月末  家族が堺市に引っ越す。(家賃滞納で強制退去)
2016年
01月02日 祖父が家を訪問した時には長男の姿は無かった。
01月04日 引っ越した事を松原市に電話連絡する。
数日後     不明男児の3歳半検診が未受診である旨の確認の連絡を未来子供室が受ける。
03月01日 地域保健課が双子(いずれも2歳)が1歳半健診のリストに無いとし同室に再び連絡
03月16日 子供未来室が容疑者家族の引っ越しを確認
03月30日 子供未来室が堺市に不明男児が3歳半検診が未受診である事を連絡。
05月   男性容疑者が遺体を遺棄した(男性容疑者の供述)
05月18日 堺市から松原市に不明男児の所在確認ができず府警に相談していると連絡
05月下旬 松原市が両容疑者が4年前の男児不明事件の関係者と把握した。

こんなところですね。
ここまでの経緯を見ると、男性容疑者は妻で長男の母親の女性容疑者が供述しなければ、ずっと否認するつもりだったように見えますね。

まー同居して全てを見ていた妻が犯行を認める供述をすれば、男性容疑者としても否認する意味が無いと言う事なのかな?

その一方で、男性容疑者は供述を始めるも、遺体の場所は嘘を続けていた。
しかし、何らかの心境の変化があって、本当の事を話した。
心が折れたのかな?

虐待の理由は経済的困窮によるストレスが主だった理由かもしれませんが、このあたりの供述もこれから出てくるでしょうね。

遺体が発見されなければ、心のどこかに無罪になるかも?と言う期待があったかもしれませんが、遺体が発見されれば、もう覚悟を決めるしかないでしょう。

ただ、これまでと事件の印象が少し変わってきました。
もっと悪質な人達なのかな?と思っていたのですが・・・

経済的困窮のストレスで虐待と言うのは、虐待事件では良くあるパターンですね。
12月に死亡して、その12月に引っ越したのは、事件を隠蔽する為?と思っていましたが、家賃滞納の為に強制退去させられたので、逃げる為では無かったんですね。

2013年12月に子供2人を施設から引き取り、翌年8月に出産なので、子供を施設から引き取った時点で妊娠に気付いていたか?は微妙なところですね。
妊娠に気付いていて、更に子供2人を引き取ったのなら、ちょっと無謀かもしれません。

施設から引き取る以前に男性容疑者にどの程度の子育て経験があったのか?も分かりませんね。
少しはあったのかもしれないけど、しばらく施設に預けていたので、ブランクは長かったかもしれません。それが、8ヶ月後には双子の新生児も含めて4人の子供を子育てすると言うのは、それだけでかなりのストレスだったろうと思いますね。

もし、最初の長女の時に一通りの育児を経験していれ、あるいは耐性もあったかもしれませんが・・・それでも、双子は厳しいでしょうね。

そんな中で更に追い打ちを掛けるように、経済的な困窮もしてしまう。
困窮の理由も知りたいですね。
もともと収入が少なかったのか?それとも、何か浪費でもしたのか?

今のところ、男性容疑者がなぜか当時の勤務先を退職したと言うあたりが気になる所ではありますね。
経済的困窮から、児童手当は欲しいし、手当をもらうには生存を偽装しなければならない。

前回の富田林市の事件もあって、もっと悪質な印象だったんですが、すごく運が悪い人達なのかもしれないと言う気もします。
もっとも、だからと言って許されるわけでは無いのですが・・・

長男は今年で4歳と言う事なんだと思いますが・・・施設には何歳から入っていたのか?
もし、生まれてすぐに施設に預けられたのなら、もしかして愛着障害などの可能性もあるのかな?
愛着障害が無くても、活発な男子なら子育ては苦労しますよね。

妻が夫の虐待を黙認してしまったのは「怖いから」だったようですが、本当の理由は今度は自分が虐待されるのが「怖かった」からなのではないのかな?

それも、また良くある理由の一つなんですけどね。
あるいは、夫の経済力がなくては、子供を抱えて生活する事ができないと言う事かもしれません。
それも、また良くある理由ですね。

最後に一つだけ疑問があります。
2015年06月   不明男児の3歳半検診の通知を送るが6回に渡り、延期
この時、長男は生存していたはずなのに、なぜ、検診を受けなかったのかな?
双子が生後10ヶ月で忙しかったのかもしれないけどね・・・

亡くなった長男のご冥福をお祈りします。

参考リンク
大阪府堺市4歳男児所在不明事件

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コメント

自宅で長男に暴行して死なせ、遺棄したとして傷害致死や死体遺棄の罪に問われた父親の男性被告(36)=写真上=と母親の女性被告(33)=同下=の裁判員裁判の初公判が9月26日、大阪地裁堺支部で開かれた。

罪状認否で男性被告は単独での犯行を主張。女性被告は「共謀していない」と傷害致死罪について無罪を訴えた。遺棄についてはいずれも認めたとの事。

検察側は冒頭陳述で、借金苦からいら立ちを募らせた男性被告が、事件の約1週間前から長男に暴行するようになり、女性被告もそれを制止しなかったとして、共謀が認められると述べたとの事。

起訴状によると、両被告は共謀して平成27年12月17日ごろ、同府松原市内の当時の自宅で、長男が寝ないことに腹を立て、頭をたたいて壁に打ち付けるなど暴行し、翌日に死亡させた。さらに遺体を布団で包み、圧縮袋に入れて同市や堺市の転居先に放置。昨年5月ごろ、千早赤阪村の山中の河原に穴を掘り、埋めたとしているとの事。

弁護側が冒頭陳述に入ったとき。「ヤミ金から借金をして、金に困っていた。子育てで精神的にも追い詰められていた」。弁護人が当時の困窮具合を説明すると、男性被告はハンカチで目を押さえ、はなをすすった。女性被告も目を潤ませているように見えたとの事。

いよいよ公判開始ですね。
二人とも認める部分は認めているし、女性被告は共謀について否認、男性被告も単独犯を主張したわけですね。

共謀しているような場合、互いに罪をなすりつけ合うような事が起きますが、どうも、この事件ではそんな事は無いようです。

その意味では、ホントの事を話しているように見えますね。

どういった事情があったのか明らかにして欲しいです。

公判の行方に注目です。

投稿: ASKA | 2017/09/26 19:35

第2回公判
2人は26日の初公判で、傷害致死については「男性被告が行ったもので女性被告の共謀はなかった」と主張したとの事。
27日の被告人質問で男性被告は長男への暴行について、「寝付かないことに腹が立ち、脱衣所に連れて行った。自分がはたいた反動で壁に5、6回頭を打ちつけた。女性被告に止められたが、その後も体を叩いたりした」などと話したとの事。

きょうの裁判で男性被告は、「死亡に至る暴行は、妻が止めにきて右ひじをつかんだが、振り払って続けた」と証言。
「ヤミ金への借金がかさんで、家の立ち退きが決まり、精神的余裕がなかった」などと話したとの事。

ストレスが高まると、自分自身をコントロールできなくなる事もあるけど、子供には家の事情はわからないし関係ないからね。
気持ちは分からなくもないけど・・・罪のない子供に八つ当たりをしてもね・・・結局は未熟と言うその一言に尽きてしまうのかな?
そんな状態なら子供を施設に預ければ良かったと思うけど・・・そこに考えは及ばなかったのかな?

続報を待ちましょう。

投稿: ASKA | 2017/09/27 17:55

論告求刑公判(10月2日)

1)検察側は男性被告に懲役10年、女性被告に懲役7年をそれぞれ求刑した。

2)検察側は論告で、男性被告について「偶発的でなく、次第にエスカレートする暴行の中で生じるべくして生じた事件。暴行も一方的で粗暴で悪質」と指弾。女性被告に関しても「男性被告の暴行を予見認識し、止めることが可能だったのに放置した」としたとの事。

検察側は「養育すべき立場でありながら暴行を止めなかったことは、男性被告と相応に重い」と指摘。「女性被告が暴行を制止しようとした」とした男性被告の証言も「信用できない」と述べたとの事。

さらに「(長男は)信頼していた父親から暴行を受けた恐怖と、大好きな母親から助けてもらえなかった絶望で、精神的苦痛は大きかった」と述べたとの事。

3)弁護側は最終弁論を行い、「当時、精神的、経済的に追い詰められていた」と述べたとの事。また、女性被告について「男性被告に寝かしつけを依頼しただけで暴行も制止している」として傷害致死の無罪を主張したとの事。

弁護側は最終弁論で、男性被告は懲役6年程度が相当とした上、女性被告は傷害致死について無罪だと主張したとの事。

男性被告は最終意見陳述で「本当に申し訳ない気持ち」などと述べたとの事。

裁判の最後に女性被告はこう述べた。

「当時自分がもっとしっかりできていればという思いです。息子を守り切れなかったことを悔やんでいる」

判決公判(10月6日)
4)大阪地裁堺支部で、裁判長は、男性被告に懲役7年、女性被告に懲役3年の実刑判決を言い渡した。

5)判決によると、男性被告は2015年12月17日、大阪府松原市の当時の自宅で、就寝しない長男に腹を立て、頭を数回たたいて壁に打ち付けて死亡させた。女性被告も男性被告の暴行を止めず、共謀して遺体を16年5月、同府千早赤阪村の山中の河原に埋めたとの事。

6)女性被告は、傷害致死罪について「たたいていない」などとして無罪を主張していたが、検察側は「男性被告の暴力を容認しており、共犯にあたる」として懲役7年を求刑するとともに、予備的訴因として、ほう助罪を追加し、この場合は同4年が妥当としていたとの事。

7)裁判長は判決で、「女性被告は暴行するよう頼んだ訳ではない」などとして傷害致死罪の成立を否定する一方で、「暴行を予見できたのに声をかけていない」と述べ、ほう助罪を適用したとの事。

男性被告の量刑については「自宅の明け渡しが迫るなど精神的に追い詰められ、1週間前から暴行を始めたが、日常的な虐待ではなかった」と述べたとの事。

8)暴行を加えた男性被告に関しては「強い非難が向けられるべきで、わが子の遺体を長期間放置するなどあまりにもひどい」と指摘。女性被告に対しても、暴行を阻止する行動を取らなかったとした上で、「暴行に与えた影響は小さくなく、責任は重い」と述べたとの事。

こんなところですね。
事件までのいきさつには同情する点もあるけど・・・
そもそも、なぜ多額の借金をする事になったのかな?
男性被告は、当時は建設会社に勤務していたんですよね。
しかし、給料を前借りするなどしていた。
そして、闇金にも手を出している。

最初から闇金に手を出す事は無いだろうから、サラ金とかキャッシングとかいうあたりから始まったのかもしれないですね。

が・・・その理由がはっきりしませんね。
遊興費に使ったのなら、自業自得と言うあたりなんだろうけど・・・

そのあたりが知りたいですね。

とは言え、収入自体が低くて、何か怪我や病気などで、仕事ができず、やむを得ず、借金したけど、返済できずに借金が膨らんでしまったと言う場合もあるかもしれません。出産費用なども自費で出したらかなりの高額ですし。

事件の本当の原因ははっきりしませんが・・・経済的困窮が原因ならば、やはり、人生はしっかり生きなきゃダメと言う事なんでしょうね。

そこに、「運」と言う不確定要素が入ってきてしまうけど・・・しっかり生きている人なら、誰かが助けてくれそうな気がするんですよね。

二人とも、天涯孤独と言うわけじゃないでしょ?仮にもしそうだったとしても、役所なども相談できたと思うんですよね。

なので、もし、大阪府や堺市がこの事件について調査をするのであれば、そのあたりの経緯も調べて欲しいですね。

亡くなった男児のご冥福をお祈りします。

投稿: ASKA | 2017/10/06 20:53

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