岡山女児殺害事件その3(供述)
続報です。
1)捜査員によると「淡々と会話に応じても事件について言わない。証拠を詰めると容疑を認めたが、自発的な供述は一切しなかった」との事。
県内では他にも女児らが腹部を刃物で刺された未解決事件があったため関連を調べたが、岡山の事件を含め具体的な供述は得られなかったとの事。
2)捜査関係者によると、容疑者は「女児を見て、かわいい子だと思って後をつけた。玄関から家に侵入し、首を絞めた」と話しているとの事。
3)捜査関係者らによると、2人に面識はなく、容疑者は自分の車で1人で津山に来て、たまたま下校中の女児を見かけ、尾行して帰宅したところを襲ったとみられるとの事。
玄関から侵入し、逃走したと話しているとの事。県警によると事件当時、玄関は無施錠で、室内が物色された形跡は見当たらなかった。女児の着衣に乱れはなかったとの事。
4)調べに容疑者は「首は絞めたが、刃物で刺してはいない」などと殺意を否認。
関係者によると、「刃物は持って行っておらず、刺してもいない。首を絞めた後も女児は生きていた」と話しているとの事。
5)別の報道では
捜査関係者らによると、容疑者は事件当日、鳥取砂丘(鳥取市)に車で向かう途中に津山市に寄り、車を止めて女児の小学校近くを歩いたと述べ、その際、1人で歩く女児を偶然見かけて後をつけたとの事。女児について「かわいい子だった」とも供述しているとの事。
容疑者の説明では、帰宅した女児に、時間を尋ねるふりをして玄関で声をかけた。女児が部屋に戻って時間を確認しようとしたところを一緒に中に入ったとの事。
「騒がれたので首を絞めた。顔色が悪くなったので怖くなって逃げた」と話しているとの事。
別の報道では
具体的な状況については、いったん女児が自宅に入るのを見届けてから、「無施錠の玄関から入り、中にいた女児に時間を尋ねた」と供述しているとの事。
6)「これまでにトータル100回以上繰り返した、と供述した」
容疑者は、過去に、100回以上にわたって女児を狙う事件を起こしたと供述していたとの事。2015年5月の女子中学生に対する殺人未遂事件の公判(神戸地裁姫路支部)で、容疑者は、検察官からそう指摘されたとの事。
7)捜査関係者によると、いたずら目的で女児のあとをつけたと供述しているとの事。
8)女児の自宅からは事件後に刃物が持ち出された形跡はなく、県警は容疑者が事前に準備していたとみているとの事。
県警は30日に兵庫県加古川市の容疑者の自宅を家宅捜索したが、凶器に使われた可能性がある刃物は見つかっていないとの事。
9)捜査関係者によると、県警は昨年9月以降、容疑者を任意で事情聴取。女児の首を絞めたことを認め、動機について「女児の苦しむ姿を見たかった」などと話したとの事。
10)容疑者の近所の人は、「お父さんが警察官。お母さんは警察署に勤務していた。事務官だと思う」と話したとの事。
容疑者は高校卒業後、海上自衛隊に入ったものの、わずか4カ月ほどで辞めたとの事。別の報道では
高校卒業後、海上自衛隊に勤務するが、集団行動になじめず、半年足らずで退職。以後も郵便局や運送会社などで働いたものの、いずれも長続きしなかったとの事。
11)捜査関係者によると容疑者は「今回の事件後にも県内を複数回訪れ、女児に声をかけ、体を触ったことがある」と供述したとの事。
12)2015年3月、容疑者は自らの腹部を刺す自傷行為をし、出血が止まらなくなって救急搬送された。
医師の診察では、腹部を刺しすぎて腸が傷ついていた。当時、医師は「このままでは腸閉塞になる恐れがある」と容疑者に告知した。
容疑者が自傷行為を始めたのは、中学3年のときに受けた「いじめ」がきっかけだった。「自分の腹を刺して血が出てくるのを見ると落ち着いた」。以降、人間関係で過度なストレスがかかると、それから逃れるために自分の腹部を刺すようになったとの事。
高校時代には美少女キャラが登場するアニメに熱中するようになり、女の子が苦しむ様子を見たいという衝動が強まった。シャツを着たまま自分の腹部を刺したとき、流れ出る血がシャツを染めていくのを見て女の子が腹部から血を流して苦しんでいる姿を想像し、〝性的興奮〟を得るようになったとの事。
卒業後は職場での人間関係によるストレスから逃れたいという思いから自傷行為を続けたとの事。
13)前回事件の公判で被告の精神鑑定を担当した医師は法廷で、他人に身体的心理的な苦痛を与えることに性的興奮を抱く「性的サディズム障害」と、子供に対して性的興奮を抱く「ペドフィリア」(小児性愛障害)が複合した「サディズム型ペドフィリア」と説明したとの事。
時系列を更新
高校卒業後 自衛隊に入隊、約4ヶ月で除隊。その後、職を転々をするが長続きせず。2000年 複数の女児に対する暴行、強制猥褻事件(当時21歳と推定)
2004年09月 岡山女児殺害事件発生。(当時25歳と推定)
2006年09月 たつの市女児殺人未遂事件(参考として表示)
2007年10月 加古川市の女児殺人事件(参考として表示)
2009年 小1女児の殴打事件、懲役4年。(当時30歳と推定)
2013年 満期出所なら2013年に出所と推定、実際にはもっと早かったかな?
2014年07月-12月 兵庫県明石市のかす機器製造会社で派遣社員として勤務。
2015年 中3女子の胸や腹をナイフで複数回刺す殺人未遂事件。(当時36歳と推定)
こんなところですね。
ちょっと、一部の報道を見ると、ホントに容疑を認めているのか?と言うのも疑問ですね。
「首は絞めたが、その後も女児は生きていた」と言うのは殺害を否定してますよね。
岡山の事件が発生したのは、2004年9月3日(金)時刻は午後3時35分ごろ
被害者が小学校に登校していたのだから、平日なんですよね。
容疑者は当時25歳ぐらいだと思いますが、仕事はしてなかったのかな?
2000年に逮捕された時は執行猶予の判決だし・・・そこから4年も立っているし、年齢的には仕事をしろと両親から言われるだろうね。
と思ったら、仕事のストレスで腸が傷つくほどの自傷行為をしていたのでは、仕事はできないでしょうね。当然、この事は両親も知っていたでしょうから、仕事をしろとは言えなくなっていたのかもしれませんね。
もしかすると、仕事だけでなく、家庭内のストレスで自傷行為をした事もあったかもしれません。仮にそうなら、やはり強く叱る事はできなかったのかもしれませんね。
一人で家に居てもつまらないから、気晴らしに車でドライブをするが・・・
サディズム型ペドフィリアの衝動を抑えられずに、小学校を見つけてターゲットを物色し犯行を行うと言う事なんでしょうけど・・・
自傷行為は中学の頃からあったようですが、後両親はこれに対して、メンタル面でのケアは行わなかったのだろうか?
気付かなかったは無いと思うんですけどね・・・ゴミ箱とかに、血のついた包帯とかティッシュとか大量に出ているような気がするんですけど・・・学校ならプールの時間や身体測定の時間などに腹部の傷に教師などが気付いたでしょう?
たらればの話だけど、この時期にカウンセリングなど受けていれば、ここまで重篤な症状にならなかったのではないのかな?・・・
ここまで見ると、起きるべくして起きた事件なのかな?と感じますね。
手口も巧妙ですね。
女児の後をつけて、自宅に入れた後に無施錠の玄関から入って、時刻を聞く。
玄関で家人が対応すれば、そのまま、退散して、別の女児を狙ったのかもしれません。女児が対応したことで、家人が留守である事を確認したんでしょうね。
面識が無いから家族構成も分からず、単純に自分の好みでターゲットを決めたんでしょうが・・・女児の姉が帰宅する前に逃亡したのは、ただの偶然だったのだろうか?
もし、姉が容疑者と鉢合わせしていたら、姉も被害者にあっていたかもしれません。
その意味では不幸中の幸いと言う事なんでしょうが・・・
今の所、容疑者が供述した動機は「猥褻目的」「苦しむのを見たかった」と言う事なので、単純に考えれば、その苦しむシーンを長く見ていたいと思う物だろうと思うわけです。
過去の事例だと、自殺志願者の首を絞めて、その苦しむ姿に性的興奮を覚える犯人がいました。その事件では、首を絞めて、その後、蘇生させる事を繰り返して、何度も首を絞めていました。
それと同じ感覚なら、やはりある程度、時間が必要な気もします。
けれど・・・イハマサさんのコメントにもありましたが・・・鳥取砂丘に観光にいく途中だったのなら、カメラやビデオを持っていたかもしれないですね?
それなら、そのシーンを撮影して後で楽しむと言う事で、犯行時間が短くできたのかもしれません。
他には、襲われた女児が咄嗟に姉に助けを求めたと言う可能性もあるかもしれません。「お姉ちゃん助けて!」その言葉で姉が居て、もうじき帰宅すると考えて、手早く殺害後に逃亡と言う可能性もあるかもしれませんね。
いずれにせいよ、供述の続報をまつしかありませんね。
最後にみなさん、沢山のコメントありがとうございます。
全部読んでいるのですが、記事本文を書くと、かなりの時間が必要で、コメントに返信する時間が無くってしまいまして、返信する事ができません。ごめんなさい。
時間が取れるようになったら、返信するようにします。
参考リンク
岡山女児殺害事件その2(容疑者逮捕)
記事中の何度も首を絞めた事件が2005年の自殺サイト殺人事件です。下を参照願います。
過去の快楽殺人事件
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