世田谷一家殺害事件再考その184 (3D映像、裏の小道)
最初に書いてしまうと、警察の発表した3D映像にはほとんど「裏の小道」の映像はありませんでした。
ただ、この「裏の小道は」、侵入経路の有力候補である、風呂窓に面していて、さらに、飛び出しマンが飛び出してきた道と言われています。
それだけ、重要な部分のはずなのに、どうして警察はこの「裏の小道」に触れないのか?そのあたりも含めて考えみたいと思います。
順番に行きましょう。
まずは、裏の小道の入り口部分です。現在はバリケードによって封鎖されています。
しかし、このバリケードを良く見ると「成城警察署」の文字が見えます。
つまり、このバリケードは事件発生後に成城警察署によって設置された物なんですよね。
次に裏の小道の出口部分です。写真のように、現在は封鎖されています。
しかし、この状況はちょっと不自然です。もし、事件後に成城警察署によって封鎖されたのであれば、入り口と同じように、バリケードを置けば良い話ですよね。
つまり、この出口部分については、事件発生時には既に封鎖されていたと思うわけです。
では、誰が封鎖したのか?
ここで考えないといけないのは、この裏の小道を利用する人間がいるのか?と言う事です。事件当時、この裏の小道に隣接していたのは宮澤家と入江家の2軒しかありません。その内、裏の小道側から家の中に入れるのは、写真のように勝手口(と推定)が裏の小道側にある入江家のみでしょうね。
大きな引き戸が勝手口?と考えていますが ただの掃き出し窓の可能性もありますね。 ご存じの方がおりましたらコメントください。 |
とは言え、封鎖したのが隣家の祖母だったとは限りません。勝手口は無いけれど、家の窓際まで近寄れるような小道を、犬の散歩などでも、自由に関係の無い人間が通る事を宮澤家の人間も良しとはしなかったと思うんですよね。
なので、出口側の封鎖は入江家と宮澤家、両家の総意によって行われたと思います。
公園の管理事務所や都が封鎖したと言う可能性もありますが、公的機関が行ったにしてはちょっと乱暴ですよね。
あるいは、既に取り壊されている、出口に隣接した家の住民によって封鎖されていた可能性もあると思います。
出口側が封鎖されている事で、この小道を通り抜けする事ができないと言うのは、近所の人間には周知されていたのではないか?と思います。
そうでなければ、入り口側に「通り抜け不可」と言うような看板が付けられると思うんですよね。
で、この小道の使用目的は先ほども書きましたが、入江家の勝手口の専用通路となっていたと推測しています。
だから何と言う事も無いのですが、これによって、この小道を普段、使う人間は限られてくると言う事です。
ここで、念の為に断っておくと、使う人が限られているから、「使っている人間が怪しい」と言うわけではありません。
なにしろ、公園側の通りから見れば、この小道が宮澤家や入江家まで続いている事は一目瞭然なんです。だから、流しの犯人が偶然、この小道を見て、侵入経路や逃亡経路に選択したとしても不思議じゃないんですよね。
話を戻して、この小道を使う人間ですが・・・そう考えた場合、サザエさんの「三河屋」さんじゃないけど、勝手口に直接、荷物を搬入するような、お米屋さんや、酒屋さんぐらいしかないのかな?と思うわけです。
そして、入江さん一家が訪日していない日は、祖母の一人暮らしだとすると、お米屋さんぐらいなのかな?と思います。(ただ、バイクや自転車はUターンできないので、台車か手で運んだと言う事なのかな?)
ただ、お米なら隣家の宮澤さんに「車で買ってきて」とお願いする事も可能でしょう?10キロ単位ぐらいなら、玄関から運びいれても、問題にはならないと思います。
祖母が持てないなら、康子さんやみきおさんが手伝うでしょうね。
では、裏の小道は使われていなかったのか?
このあたりは、入江家に出入りしていた業者を探せば裏付けは取れると思います。
家計簿を付けていれば、領収書や請求書などが残っている可能性がありますよね。
使われていないのであれば、入り口側も出口同様に封鎖していると思います。
通りに面していて、公園事務所や警察の手前、派手に封鎖できないと言う事情もあったかもしれませんが・・・
ここまでは、裏の小道の事件当時の状況を推測したのですが・・・
問題はこの裏の小道を警察が積極的に取り上げていない理由です。
最初にも書きましたが、侵入経路と思われる場所なので、「事件当日にこの裏の小道で不審な人物を見た人はいませんか?」と情報を募る事もできると思うんですよね。
既に書きましたが、この小道は公園側の道路からは良く見通せる場所で、冬の為にポッポ公園側の木も葉が落ちています。ポッポ公園側の街灯の光が当たる場所なんですよね。夜でも明るくは無いだろうけど、月の光ぐらいの明るさはあったと思います。
侵入しようとしている目撃情報なら決定的だし、小道に入り込んでいただけでも、目撃情報としては価値があると思うんですよね。
と言うあたりを考えると、捜査本部は侵入口を風呂窓に断定していないのだろうと推測しています。
侵入経路を断定できないので、この裏の小道をクローズアップしていないのではないか?と言う事ですね。
逆に言うと、他にも侵入可能な経路があると言う事なんじゃないかな?
これまで、挙がっているのは玄関ですね。
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コメント
裏の小道を使って三河屋さんが配達、はありえない
男が跳びだし目撃された道路に配達車を駐車する必要が
あるから。そこへの路駐は非常に迷惑になる
道路幅。すれ違う時非常に気を使う状況
地元の人なら解る
投稿: | 2018/12/26 08:50
小道については地元の子どもたちがいちばん詳しいはず。
出口付近の塞ぎ方はまさしく「子ども除け」に見えます。
投稿: | 2018/12/27 04:58
名無しさん、こんばんは
そうですね、狭い公園通りに路駐されるのは迷惑ですね。
車だと、入り口の左側の空き地に駐車して台車で裏の小道からと言うあたりか、直接、玄関前に駐車して玄関から入って、台所まで運ぶと言うあたりでしょうか。
自転車や原付バイクなら裏の小道の入り口に車体を入れて駐車してしまえば、可能かもしれませんね。
しかし、実際に使われていたのか?は分かりませんね。
子供については、逆に子供が怪我をした場合の事を考えると、いい加減な封鎖はむしろ、事故が起きた場合に責任を問われるので、子供相手の塾をしている、両家にとって、そこは気を使うところではないか?と思いますね。
(つまり、禁止してもやるのが子供なので、封鎖していても、そこで子供が怪我をすると、封鎖した側の人間の責任を問われると言う事です)
裏のポッポ公園で遊ぶ子供の年齢層が気になりますね。
さすがに小さい子だと、親がついているので、封鎖している場所に子供が入る事は許さないと思うのですが、小学生以上になると、親もついていないかもしれませんね。
当時6歳でも、今なら24歳ですから、当時の子供たちにとって裏の小道がどういう位置づけがどうだったのか、教えてほしいですね。
投稿: ASKA | 2018/12/29 17:02