千葉県野田市小4女児虐待死事件その3(児相の1月28日会見)
1)女の子の腹部に大きなアザがあることが分かった。
2)県警捜査1課などによると、男性容疑者は24日午後11時10分ごろ、「娘を風呂場に連れて行ってもみ合いになり、意識や呼吸がなくなった」と自ら110番した。救急隊員が約10分後に駆け付けたが、既に女児の体は顎などに軽度の死後硬直が生じていたとのこと。
3)県警は1月28日、司法解剖の結果、女児の死因が明らかにならなかったと発表したとのこと。
発表によると、遺体は水でぬれており、致命傷となるような外傷や骨折、内臓の損傷はなかった。ただ、捜査関係者によると、胸や腹に古いあざのようなものが複数あったとのこと。
4)千葉県柏児童相談所が、虐待の疑いがあるとして実施した女児の一時保護を解除後、一度も家庭訪問をしていなかった。柏児相が1月28日に記者会見で明らかにし、「対応に不足があった」と説明したとのこと。
柏児相によると、2017年11月7日、男性容疑者から女児への虐待が疑われると市から連絡があり、女児の右ほおにあざがあったため同日中に一時保護。女児は保護前の学校の聞き取りに「母がいないところでたたかれる。『てめえ早く宿題やれ』と言われる」などと訴えた。
保護中には女児や男性容疑者らと計8回面談した。女児は「家に帰りたくない」「(同容疑者に)背中をたたかれたり、『てめえ、宿題しろ』と言われたりする」と話した。同容疑者との面談後、「まだ父が怖い」と訴えることもあったとのこと。
男性容疑者は虐待を認めなかったが、女児が親族宅でしばらく暮らすことなどを条件に、柏児相は12月27日に保護を解除したとのこと。
柏児相は18年2月までに親族宅を2度訪問し、女児や男性容疑者、親族と面談。虐待の再発がなく、女児が学校生活を元気に送り、自宅での生活を望んだことなどから、女児は3月に自宅へ戻ったとのこと。
当時、柏児相は女児の家庭生活についても情報を関係機関と共有することにしていたが、当初のけがが軽かったことなどから、状況確認は学校が女児に聞き取るだけで十分と判断していたとのこと。
しかし、学校は随時、虐待や相談がないかを尋ねたものの、女児から申し出はなく、体の見える部分に傷もなく、虐待は認知できなかったとのこと。
男性容疑者は今年1月、女児を1カ月ほど休ませると学校に連絡し、柏児相もこれを把握したが、その際も自宅の確認や家族への連絡は誰も行わなかったとのこと。
柏児相は男性容疑者が以前住んでいた沖縄県で妻に暴行を振るったとの情報があったり、柏児相に対して不信感を口にしたりするなど、虐待の潜在的なリスク要因があることも把握していた。柏児相所長は「保護解除の判断は妥当だったと思うが、その後、様子を観察して変化に気づくための対応は足りなかった」と話したとのこと。
5)女児の一時保護を解除した後の約1年間で、女児が2回にわたって学校を長期間欠席したにもかかわらず、児相の職員は一度も自宅を訪ねていなかったとのこと。
6)県柏児童相談所は1月28日、女児の長期欠席を把握したのは事件発覚の3日前だったとのこと。
柏児相によると、女児は昨年12月21日の最終登校日を最後に、市立二ツ塚小学校に登校していなかった。冬休み明けの今年1月7日、父親の男性容疑者(41)=傷害容疑で逮捕=が小学校に電話して「沖縄にいる」と伝え、11日には「2月4日に登校させる」と連絡した。しかし、同校が柏児相に連絡したのは21日で、柏児相もこの後、家庭訪問などの対応をしなかった。
千葉県の虐待防止マニュアルは、こうしたリスクがある場合は学校や児相が連携して対応するよう定めている。柏児相の所長は女児について「以前も長期の休みを取って問題がなかったので、今回も問題ないと思っていた」と釈明したとのこと。
時系列
2017年
09月 女児が沖縄から野田市の学校に転入。
11月 当時通っていた市内の別の小学校で行われたアンケートの結果、容疑者からの虐待が疑われる事案が発覚。
11月07日 柏児童相談所が女児を一時保護、対象リストに掲載される。
12月27日 一時保護を解除、女児は親族宅で生活する。
2018年
01月 市内の別の小学校から現在の学校に転校
01月頃 女児の自宅の近所で怒鳴り声が聞かれるようになる。
02月までに、児相が親族宅を2度訪問し関係者と面談
03月 女児が自宅へ戻る。
04月 4年生になり半年間クラス委員長を務めた
12月 小学校の保護者面談で聞き取りせず
12月21日 女児の最終登校日
2019年
01月07日 始業式から女児は不登校、男性容疑者が学校に嘘の説明をする。
01月11日 男性容疑者が2月4日に登校させると学校に連絡
01月21日 小学校が児相に長期欠席を連絡。
01月24日
10:00頃 立たせたりの虐待を始める
23:10頃 110番通報により、事件発覚
23:20頃 救急隊が駆けつけたが、女児の顎などに軽度の死後硬直が生じていた。
01月26日 容疑者を千葉地検松戸支部に送検
こんなところですね。
既に分かっていますが、時系列が変です。
1月28日の児相の会見の内容だと、3月に自宅に戻っている事になりますが、しかし、女児は1月には同居して虐待を受けているんですよね。(後の報道で12月22日頃に自宅に戻っている)
で、このあたりの経緯も後の報道で出てきます。
学校も、児相もかなり楽観的に見ているのが不思議ですね。
自分の身近で事件が起きないと、緊張感が持てないのかもしれませんが・・・
千葉県内でのASKAの事件簿に残っている、虐待事件の記録だと、似たような年齢の児童に対する事件では
2012年 千葉県富里市9歳男児虐待事件、内蔵破裂の重傷です。
ぐらいかな?酷い事件は他にもありますけど、もっと小さい子が多いのかな。
とは言え、全国で見れば、他にも沢山、事件はありましたから、まさか自分の所では起きないだろうと言う楽観は出来ないと思うんですよね。
次回に続く
参考リンク
千葉県野田市小4女児虐待死事件その2(事件の予兆)
千葉県野田市小4女児虐待死事件その4(沖縄からの経緯)
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