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2019/03/18

千葉県野田市小4女児虐待死事件その6(母親逮捕)

1)沖縄県糸満市が父(41)=傷害容疑で逮捕=の児童虐待や母親(31)に対するDV疑い相談を受けていたのに、女児本人に事実関係の聞き取りをしていなかったとのこと。

糸満市は「もし、話を聞き取っていても、虐待の有無を判断するための事実の一つであり、虐待があったと言えたかは分からない」としているとのこと。

2)女児が沖縄県に住んでいた当時、女児の同級生が虐待の痕跡を目撃していた。

幼稚園から同級生だった女児(10)は小1の時、女児から「お母さんがいないとずっとパーで殴られる。痛くていつも泣いている」「お父さんは裏表がある」と打ち明けられたとのこと。

女児は学校では明るく過ごしていたが、背中やすねにあざ、手や腕にひっかき傷があるのを、体育の着替えなどの際、他の同級生も目撃していたとのこと。

女児には2年の時に、あざについて「お父さんにやられた」と明かしたが、一方で「お父さんは優しいよ。自分が言うことを聞かなかったのが悪い」と告げたとのこと。

「(父親の男性容疑者は)裏表があるとか。友達の前では優しいのに、お母さんがいなくなったときにたたくから、お母さんにいつもいてほしいと言ってました」と話したとのこと。

そして食事についても、沖縄時代の同級生は「朝昼晩、決まった時間に食べていなくて、1日1食とか2食しか、食べてなかったと思う」と話したとのこと。

3)アンケートには自筆の書き込み以外に、担任だった女性教諭が聞き取りした「なぐられる10回(こぶし)」「きのうのたたかれたあたま、せなか、首をけられて今もいたい」「口をふさいで、ゆかにおしつける」「おきなわでは、お母さんがやられていた」といった内容も書き込まれ、被害を具体的に打ち明けていた様子がうかがえるとのこと。

4)転居前に女児が通った糸満市立小学校が、市役所から見守りを要請されたのにもかかわらず、対応を記録していなかったとのこと。

5)県警は2月4日、共犯として、母親の女性容疑者(31)を傷害容疑で逮捕し、発表したとのこと。捜査関係者によると、男性容疑者による暴行を長時間、黙認したことを重くみたとのこと。

6)一家は平成29年8月まで女性容疑者の実家がある沖縄県糸満市に住んでいた。一家の転居に際し同市は野田市に対し、男性容疑者がなぎさ容疑者に「支配的」とし、「外出や携帯電話のチェックをしている」などとしてDVが疑われるとの情報を提供していたとのこと。

糸満市で近所に住んでいた女性(65)は「女児が小さいときから母親はふさぎ込みがちだった。(男性容疑者は)結婚前は優しかったのに、結婚後、急に様子が変わったことが原因だと聞いた」と話したとのこと。

関係者の話によると、男性容疑者は約10年前に、沖縄出身の女性容疑者と結婚。女児が生まれた数年後に一度離婚したが、2017年ごろに再婚したとのこと。

その頃から、女性容疑者が男性容疑者から家庭内暴力(DV)を受けているとの情報が、行政に寄せられていたとのこと。

最初は17年7月。当時、一家が住んでいた沖縄県糸満市に、女性容疑者の親族から「妻が夫から暴力を受けている。子ども(女児)も恫喝されている」と相談があった。女性容疑者が、殴る、たたくといった暴行や「お前は無能だ。何もできないバカだ」との暴言を受け、親族や友人との連絡を禁じられているという内容だったとのこと。

電話やお金の使い方も細かく管理されていたとのこと。市は女性容疑者への聞き取りを試みたが、次女(1)が低体重で生まれた後の入院で、DVの有無を確認できなかったとのこと。

7)男性容疑者が昨年1月、アンケートを見せるよう学校に詰め寄った際には、女性容疑者も同行。その後、男性容疑者は女児が書いたとされる同意書を市教委側に提示したが、その内容に間違いないと確認したのは女性容疑者だったとのこと。

8)逮捕した母親の女性容疑者(31)が、女児が死亡した1月24日、父親の男性容疑者(41)=同容疑で逮捕=と共に「午前中から自宅にいた」と逮捕前の任意聴取に話していたとのこと。

9)県警が傷害容疑で逮捕した母親の女性容疑者(31)が「事件数日前から、夫から言われて娘に食事を与えないことがあった」と逮捕前の任意聴取に話していたとのこと。

捜査関係者によると、司法解剖の結果、女性の死因は不明。極端にやせている状態ではなかったが、胃に内容物はほぼなく、県警は事件当日も含め、十分に食事を与えられていなかった疑いがあるとみているとのこと。

捜査関係者によると、女性容疑者は「どうしようもなかった」という趣旨の供述をしているとのこと。

母親の女性容疑者(31)が「娘が暴力を振るわれていれば、自分が被害に遭うことはないと思った。仕方がなかった」といった供述をしているとのこと。

10)捜査関係者によると、女児に対する直接的な暴行は男性容疑者が行っていた。女性容疑者は一連の暴行の過程で、「廊下で立ってなさい」「正座しなさい。ごはんは抜き」などと、一緒になって叱責したとのこと。

千葉県警の任意の事情聴取では、男性容疑者が夜中に娘を起こしてずっと立たせるのを制止していたと話していた。捜査関係者によると「暴行を止められなかったことを反省している」と供述しているとのこと。

11)県警は2月5日、女性容疑者を千葉地検松戸支部に送検した。

12)一時保護解除後の2018年2月、男性容疑者(41)が女児に「お父さんにたたかれたのはうそ」「4人で暮らしたい」などと書かせた書面を柏児童相談所に提示していたとのこと。児相はその翌々日、女児に確認しないまま自宅に戻す決定をしたとのこと。

書面には「お父さんにたたかれたというのはうそです」「児童相談所の人にはもう会いたくないので来ないでください」「(父、母、妹と)4人で暮らしたいと思っていました」などと書かれていたとのこと。

児相は女児に自分の意思で書いたのか確認しないまま、28日に自宅に戻す決定をした。女児は3月上旬、自宅アパートに戻った。ところが同月19日、児相職員が小学校で女児と面会して確認したところ、「父親に書かされた」と打ち明けたとのこと。

父親から母親にメールで届いた文面を「見ながら書き写した」と打ち明けたという。職員が「書いてあったのは(女児の)気持ちと違う感じ?」と尋ねると、女児は「お父さん、お母さんに早く会いたい、一緒に暮らしたいと思っていたのは本当のこと」と答えたとのこと。

児相は「最初から書かされた可能性があるとは思っていた」と釈明したうえで、「父親が虐待を認めない中、自宅に戻すことはリスクと考えたが、学校内での見守りができており、何かあればすぐに介入できる体制をとっていたことから、総合的にみて自宅に帰した」としているとのこと。

13)女児が書かされた書面の内容

 お父さんにたたかれたというのはうそです。山崎小学校の先生に聞かれて思わず言ってしまいました。お父さん、お母さん、妹、親族の人たち(※実際は親族の名前)に、たくさんの迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい。

 ずっと前から早く4人で暮らしたいと思っていました。この前のときにも言いました。お父さんに早く会いたいです。

 児童相談所の人には、もう会いたくないのでもう会いに来ないでください。会うと嫌な気分になるので、今日でやめて下さい。お願いします。

14)県警が傷害容疑で逮捕した母親の女性容疑者(31)が「娘が夫にたたかれていたことは知っていた。夫に言われ、今年に入ってから娘を外出させなかった」と供述しているとのこと。

女性容疑者が男性容疑者(41)が学校に「娘は沖縄にいる」と、うその欠席連絡をするのを容認していたとのこと。

時系列
2009年頃 両親が結婚、女児が誕生
2009年  一家が糸満市に転入
数年後に離婚
2017年頃 両親が再婚
2017年
07月   母親が出産の為、父親と女児が2人暮らし
07月07日 父親が沖縄の児相に娘を帰してくれないと相談
07月14日 父親のDVが疑われる事案として市が児相に相談
08月   一家が沖縄県糸満市内に住んでいた
09月   女児が沖縄から野田市の学校に転入。
11月06日 女児が学校でアンケートに回答する。
その後  当時通っていた市内の別の小学校で行われたアンケートの結果、容疑者からの虐待が疑われる事案が発覚。

11月07日 柏児童相談所が女児を一時保護、対象リストに掲載される。
12月27日 一時保護を解除、女児は親族宅で生活する。
12月28日 学校が一時保護解除を知る。
2018年
01月12日 容疑者が学校との面談でアンケートの閲覧を要求、学校側は念書を渡す。
01月15日 容疑者が女児の同意書を持って市教委にアンケートのコピーを要求、恫喝に屈して、コピーを渡す。
01月18日 市内の別の小学校から現在の学校に転校
01月頃  女児の自宅の近所で怒鳴り声が聞かれるようになる。
02月までに、児相が親族宅を2度訪問し関係者と面談
02月20日 市教委がアンケートのコピーを渡した事を「要保護児童対策地域協議会」の会議で配布した資料で報告。
02月26日 児相職員が親族宅で男性容疑者と面談、男性容疑者が女児の書面を提示した。
02月28日 児相が女児を自宅に戻す決定をする。
03月上旬 女児が自宅へ戻る。
03月19日 児相が女児と面談、書面は書かされたと知る。
04月   4年生になり半年間クラス委員長を務めた
     父親がOCVBの東京事務所に嘱託職員として採用される。
12月   小学校の保護者面談で聞き取りせず
12月21日 女児の最終登校日
2019年
01月07日 始業式から女児は不登校、男性容疑者が学校に嘘の説明をする。
01月11日 男性容疑者が2月4日に登校させると学校に連絡
01月21日 小学校が児相に長期欠席を連絡。
01月24日
10:00頃 立たせたりの虐待を始める
23:10頃 110番通報により、事件発覚
23:20頃 救急隊が駆けつけたが、女児の顎などに軽度の死後硬直が生じていた。
01月26日 容疑者を千葉地検松戸支部に送検

こんなところですね。
母親も逮捕されました。父親の犯行を黙認していた、同調していたと言う事で共犯関係にあると言う見方なんでしょうね。
ただ、それが母親自身の意思だったのか?と言うのは公判で争点になると思いますね。

今回の報道で興味深いのは、男性容疑者との結婚の流れですね。
若干の差違はあると思いますが、10年前に両親が結婚して、女児の年齢が10歳なので、結婚と同時期に生まれたのが女児だったと言う事になると思います。

結婚が10年前なので、現在の両親の年齢から逆算しすると、父親が41歳、母親が31歳なので、結婚当時の年齢は31歳と21歳ぐらいですね。女性の方は少し若いかな?と思わなくもないけど、男性の方は31歳、仕事でも中堅のポジションになるぐらいの年齢だから、結婚が早いと言う年齢では無いと思いますね。

ところが、数年後に離婚しているようです。
離婚の理由は分かりませんが・・・近所の住民の話によると
女児が小さいときから母親はふさぎ込みがちだった。(男性容疑者は)結婚前は優しかったのに、結婚後、急に様子が変わったことが原因だと聞いたとのことで・・・

詳細が分かりませんが、優しい人がそうで無くなったと言うのは、DVの兆候がこの頃からあったのでしょうか?
だとしたら、離婚の理由も納得ではありますが、詳細は不明です。

ところが、2017年頃に再婚してます。
再婚したから2017年に下の子が生まれたんでしょうけど・・・どういう事なんだろう?と思うわけですね。
再婚が男性容疑者39歳、女性容疑者29歳。

男性容疑者の側は結婚を望むなら、年齢的に厳しい時期になって来てますから、自分の子供と一緒に暮らしたいと言うのであれば、再婚と言うのはベターの方法だったのかもしれませんね。

ただ、女性容疑者の方は再婚を急ぐ理由があったのか?は分かりませんね。
実家で子供と暮らしていたのであれば、経済的な援助なども受けれたと思いますし。育児も手伝って貰えていたと思うんですよね。

で、下の子が生まれてまもなく、DVが始まっているようですね。
ここも分かりませんね。DVする為に再婚したのではないか?とさえ疑りたくなります。

そう考えると、実の子の女児への執拗な虐待も説明できるけど・・・何のために?
常識的に考えると、そんな事をする理由がありませんね。

なので、メンタル面で何らかの問題があったのかな?と思わなくもないですよね。
人格の偏りだけでは、説明できない様な気がします。

離婚した理由と再婚した理由が知りたいですね。

それから、もう1点、女児の沖縄時代の証言で、「母親の居ない時にたたかれる」とあり、男性容疑者が母親に知られないようにしていた可能性があります。

しかし、死亡当日は母親のいる時に暴行してますから、次第に母親の存在が虐待の障害でなくなったと言う事なんでしょうね。これが、母親が虐待に同調した事による結果だとしたら、やはり、母親は虐待を止めるべきだったと思います。母親が止めていれば、虐待がエスカレートする事は無かったと言う事なんでしょうが・・・

その一方で、虐待を止める事は自分自身がDVの被害を受ける事の裏返しですから、根本的な対策をしないと、虐待もDVも止められない状態だったと言う事なんだろうと思いますね。

その意味では、DVを止めさせる事が、根本的な解決方法だったのかもしれませんね。
虐待に注目が集まってかすんでしまいますが、DV対策はどうだったのだろう?

次回に続く

参考リンク
千葉県野田市小4女児虐待死事件その5(アンケート)

千葉県野田市小4女児虐待死事件その7(首相動く)

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