千葉県野田市小4女児虐待死事件その4(沖縄からの経緯)
1)父親の男性容疑者(41)について、母親(31)が事情聴取に「事件前にも夜中に娘を起こして立たせることがあった。ずっと立たせるのはやめてと言ったが聞いてもらえなかった」と話しているとのこと。
捜査関係者によると、男性容疑者は女児を深夜に起こし、室内に立たせるようになった。親族が「しつけ名目で日常的だった」などと県警に証言しているとのこと。
「夜中に夫が娘を屋外に立たせることがあった。止めようとしても聞いてくれなかった」(母親)
2)男性容疑者は1月上旬、学校に女児は「沖縄の母方の実家にいる」と連絡し、学校を休ませていました。沖縄県にいる母方の祖父によると「1年半前に千葉に行ってからは全くの音信不通で、沖縄の実家には来ていない」と否定したとのこと。
3)男性容疑者が事件当日、女児に対し、「スクワットをさせた」「廊下に立たせていた」という趣旨の供述をしているとのこと。
男性容疑者(41)が「その日は午前10時から休ませずに立たせた」と供述しているとのこと。
男性容疑者が「(事件当日の24日は)娘を廊下に立たせた。親としてのしつけで、間違いだとは思っていない」と供述しているとのこと。
4)一家が2017年8月まで沖縄県糸満市内に住んでいたが同年7月には、父親で自称会社員の男(41)=傷害容疑で逮捕=から沖縄県中央児童相談所に対し「娘を祖父母が引き取ったが、返してくれない」という内容の相談があったとのこと。
糸満市によると記録上、一家は2009年に同市に転入し、17年8月まで住んでいた。転出時、女児は両親と生まれた直後の妹の4人家族だった。複数の関係者によると、市内に母親の実家があり、近くの小学校に1年から3年の1学期末まで通っていたとのこと。
県青少年・子ども家庭課によると、容疑者から児相に直接電話があったのは17年7月7日。「祖父母が娘を返してくれない」との内容で、児相の担当者は「児相が支援できるか検討したいので来所してほしい」と求めた。容疑者は結局、来所しなかったとのこと。
さらに1週間後の同月14日には糸満市から児相に対し、容疑者から妻への暴力が疑われる事案として、対応への助言を求める電話があったとのこと。児相は市の担当者に対し「情報が少なく判断が難しい。糸満市で支援体制を整えてほしい」と回答したとのこと。
沖縄当時の担任は親から市内の別の学校に転校すると聞いていたが、同年9月に千葉へ転校したとの知らせが学校に届いたとのこと。
5)糸満市は「(女児が容疑者から)どう喝を受けていて不安」と、親族から虐待を疑う相談を受けていたと説明したとのこと。
虐待や妻へのDVを疑う相談があったのは17年7月で、当時、女児は容疑者と2人暮らし。母(31)は次女(1)の出産で入院していた。市は、小学校に要請した調査などで身体的虐待を確認できなかったという。容疑者と2度、面談日程を設定したがキャンセルされ、家庭訪問もできなかったとのこと。
市によると同年8~9月に家族が転居した野田市に対する情報提供文には「(容疑者が妻に)支配的で、携帯を確認してメールを削除している」など精神的なDVの記述がある。虐待疑いの記載はないとのこと。
出産後も母の体調が優れず、次女も低体重で生まれるなど、一家をフォローが必要な「ハイリスク世帯」とみていた市は「担当職員が野田市側に電話する中で、虐待疑いも伝えた可能性はあるが、記録が残っていない」と話したとのこと。
野田市に連絡した際、親族から2017年7月に提供された「父から娘がどう喝を受けている」との部分を伝えていなかったと明らかにした。
どう喝の情報を伝えなかったのは、容疑者が「家庭訪問に応じず、虐待を確認できなかったため」としているとのこと。
6)父が沖縄観光コンベンションビューロー(OCVB)東京事務所の嘱託職員だったとのこと。
OCVBによると、容疑者は2018年4月から同事務所で観光関連のイベント運営業務などに携わっていた。仕事ぶりは真面目で、職員ともコミュニケーションも積極的に取っていたという。
1月29日、OCVBの定例記者会見で会長から報告があり、「2度とこのような悲しい事件が起こらないよう役職員一丸となって内部管理体制および社員教育の強化に取り組む」と謝罪したとのこと。
時系列
2009年 一家が糸満市に転入
2017年
07月 母親が出産の為、父親と女児が2人暮らし
07月07日 父親が沖縄の児相に娘を帰してくれないと相談
07月14日 父親のDVが疑われる事案として市が児相に相談
08月 一家が沖縄県糸満市内に住んでいた
09月 女児が沖縄から野田市の学校に転入。
11月 当時通っていた市内の別の小学校で行われたアンケートの結果、容疑者からの虐待が疑われる事案が発覚。
11月07日 柏児童相談所が女児を一時保護、対象リストに掲載される。
12月27日 一時保護を解除、女児は親族宅で生活する。
2018年
01月 市内の別の小学校から現在の学校に転校
01月頃 女児の自宅の近所で怒鳴り声が聞かれるようになる。
02月までに、児相が親族宅を2度訪問し関係者と面談
03月 女児が自宅へ戻る。
04月 4年生になり半年間クラス委員長を務めた
父親がOCVBの東京事務所に嘱託職員として採用される。
12月 小学校の保護者面談で聞き取りせず
12月21日 女児の最終登校日
2019年
01月07日 始業式から女児は不登校、男性容疑者が学校に嘘の説明をする。
01月11日 男性容疑者が2月4日に登校させると学校に連絡
01月21日 小学校が児相に長期欠席を連絡。
01月24日
10:00頃 立たせたりの虐待を始める
23:10頃 110番通報により、事件発覚
23:20頃 救急隊が駆けつけたが、女児の顎などに軽度の死後硬直が生じていた。
01月26日 容疑者を千葉地検松戸支部に送検
こんなところですね。
時系列を見て気付いたのですが、この容疑者はトラブルが起きると引っ越しや転校をするようですね。
沖縄の糸満市でもDVが疑われ、虐待が疑われると本土に引っ越して転校、さらに、虐待を疑われると、転校と都合が悪くなると逃げ出しているような印象ですね。
本当に自分に後ろめたい事が無いなら、そのまま、生活を続けそうなんですが・・・やはり、自分なりに虐待の自覚があったのかもしれませんね。
それで居て、逃げ出してしまうのは、自分自身を変える事ができなかったからなのかな?
で、もう一つ気になったのが、仕事です。以前から観光関係の仕事をしていると言う事ですが、その仕事についたのが2018年の4月なんですよね。
野田市に転校したのが2017年9月なんですが、その時はどんな仕事をしていたのだろう?
沖縄にいた時から虐待やDVが指摘されていたようなんですが・・・7月に生まれた子供も低体重児だし、母親の体調も良くないと言う状態で、家庭の事を考えれば、母親の実家がある糸満市に住んだ方が、実家からの支援を受けやすいし、容疑者にとっても色々と都合が良かったと思います。
それでも、引っ越してしまうのは、それだけ居づらかったと言う事なのか?あるいは、神経質というか外から視線に対してすごく敏感なタイプだったのかな?
この部分は、沖縄時代からずっと変わっていないようですね。
糸満市で母親の実家とトラブルになった理由が今のところ出てないですね。
想像するに、男1人で子供(女児)の面倒を見るのは大変だろうと、善意で女児を引き取ったけれど、女児から虐待の話を聞いて、容疑者の元に戻す事を拒否したと言うあたりだろうか?
しかし、児相に電話で相談するも、実際には児相に出向く事はなく、女児を取り戻す事に成功したと言う事なのかな?
それで、実家との折り合いもわるくなり、DVや虐待の話もでて、野田市に引っ越したと言うあたりなんだろうか?
でも、もし、この時、女児を容疑者から引き離す事ができてれいば、この事件は起きなかったかもしれませんね。
それから、事件の原因には容疑者の人格が大きく影響しているように見えますね。
次回に続く
参考リンク
千葉県野田市小4女児虐待死事件その3(児相の1月28日会見)
千葉県野田市小4女児虐待死事件その5(アンケート)
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