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2019/03/13

千葉県野田市小4女児虐待死事件その5(アンケート)

1)アンケート全文
女児はアンケートの自由記入欄に「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています。先生、どうにかできませんか。」と記載。

このほか、選択式の設問では、
「あなたは今いじめられていますか」との質問に「はい」
「いじめを誰から受けましたか」との質問に「家族」などと回答。
いじめの内容を問う設問では、9つの例のうち
(1)いやなことを繰り返し言われたり、怖い言葉で言われたりする
(2)思い切りぶつかられたり、たたかれたり、蹴られたりする
(3)いやなことや恥ずかしいこと、危ないことをされたり、させられたりする
(4)その他-を選択し、(4)に「ぼう力を受けている」と記入していたとのこと。

2)2017年12月末に一時保護が解除され、18年1月12日に校長や担任らが、両親と面談した。容疑者は「(アンケートの)実物を見せろ」と要求。学校側は「児童の同意なしに渡せない」と答える一方、同容疑者の求めに応じ、「児童への対応が必要な場合、保護者への情報開示を即座に実施する」などとする念書を作り、同容疑者に渡したとのこと。

容疑者は1月15日、女児の「同意書」を持って市教委を訪れ、応対した担当課長らは上司や児相に相談せず、独断でアンケートのコピーを渡した。課長は「威圧的な態度に恐怖を感じ、屈して渡してしまった」と話したとのこと。

課長は「(12日の面会で担当者が)大きな声で恫喝され、威圧的な態度に恐怖を感じ、強い要求に屈してしまった。その後、どのような影響が出るか、心にひっかかりながらも渡してしまった」と話したとのこと。

厚生労働省は、市教委の行為が違法だった可能性を指摘しているとのこと。

その後、女児は18日に市内の別の学校に転校。2回あったアンケートでいじめを訴えることはなかったとのこと。

野田市の会見「(教育委員会は)恐怖感に屈した部分が多かった。一時保護に納得できない訴訟も辞さないというような怒りを鎮めるために、恐怖感から(アンケートを)出してしまった部分が大きい」

また、市は一時保護の後、容疑者が小学校の校長に対し、今後、女児を保護する際にはすぐに父親に情報を開示することなどを約束させる「念書」を書かせていたとのこと。

別の報道では
一時保護解除後の30年1月12日、女児の父母、小学校、市教育委員会の三者が会談。児相は都合がつかず、市児童家庭課も父親と関係が悪かったので、参加しなかった。

父親はアンケートのことを知っていたようで、コピーを渡すよう求めてきたが、女児の同意を得ていなかったので、拒否した。

だが、同月15日、女児の手書きと思われる同意書を父母が市教委まで持ってきたので、アンケートのコピーを渡してしまった。

指導課長 12日の三者会談で、父親は「訴訟を起こすぞ」「名誉毀損だ」「保護が解除されたということは暴力がないという証拠じゃないか」などと大声を出し、恫喝のようだった。父親の威圧的な態度に押されてしまった。配慮を欠いていたとのこと。

アンケートのコピーを渡したことは、約1カ月後の2月20日に開かれた「要保護児童対策地域協議会」の会議で配布した資料に記載する形で、初めて報告。市は、アンケートが情報公開条例の不開示情報に該当し、「渡してはならないものだった」と指摘。地方公務員法の信用失墜行為などを視野に、職員の処分を検討するとのこと。

時系列
2009年  一家が糸満市に転入
2017年
07月   母親が出産の為、父親と女児が2人暮らし
07月07日 父親が沖縄の児相に娘を帰してくれないと相談
07月14日 父親のDVが疑われる事案として市が児相に相談
08月   一家が沖縄県糸満市内に住んでいた
09月   女児が沖縄から野田市の学校に転入。
11月06日 女児が学校でアンケートに回答する。
その後  当時通っていた市内の別の小学校で行われたアンケートの結果、容疑者からの虐待が疑われる事案が発覚。

11月07日 柏児童相談所が女児を一時保護、対象リストに掲載される。
12月27日 一時保護を解除、女児は親族宅で生活する。
12月28日 学校が一時保護解除を知る。
2018年
01月12日 容疑者が学校との面談でアンケートの閲覧を要求、学校側は念書を渡す。
01月15日 容疑者が女児の同意書を持って市教委にアンケートのコピーを要求、恫喝に屈して、コピーを渡す。
01月18日 市内の別の小学校から現在の学校に転校
01月頃  女児の自宅の近所で怒鳴り声が聞かれるようになる。
02月までに、児相が親族宅を2度訪問し関係者と面談
02月20日 市教委がアンケートのコピーを渡した事を「要保護児童対策地域協議会」の会議で配布した資料で報告。
03月   女児が自宅へ戻る。
04月   4年生になり半年間クラス委員長を務めた
     父親がOCVBの東京事務所に嘱託職員として採用される。
12月   小学校の保護者面談で聞き取りせず
12月21日 女児の最終登校日
2019年
01月07日 始業式から女児は不登校、男性容疑者が学校に嘘の説明をする。
01月11日 男性容疑者が2月4日に登校させると学校に連絡
01月21日 小学校が児相に長期欠席を連絡。
01月24日
10:00頃 立たせたりの虐待を始める
23:10頃 110番通報により、事件発覚
23:20頃 救急隊が駆けつけたが、女児の顎などに軽度の死後硬直が生じていた。
01月26日 容疑者を千葉地検松戸支部に送検

こんなところですね。
時系列を見るとアンケートのコピーを渡した後から、虐待が酷くなっているのでは?と思われるんですよね。

渡した人達も、渡せばどうなるか?と言うのは分かっていたと思います。
それでも、結局は自分達を守る為に、渡してしまったんですね。

とは言え、その責任が現場の担当者だけに有ると言うのも、私としては違和感があります。

こういう事態と言うのは「想定の範囲内」だと思うわけです。
だから、組織としてこの場合、どう対応するのか?と言うのは、あらかじめ決められていて然るべきだと思うんですよね。

その意味では上層部も含めて、危機感が無かったのではないのかな?

とは言え、課長級以上の人間がその場にいたのであれば、「この場では判断できないので、持ち帰って検討します」ぐらいの機転は必要だったかと思いますね。

このアンケートの件で女児がその後のアンケートに虐待の事を書かなくなったのは、アンケートにあった「ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」が破られてしまい、誰も信られなくなってしまったからなんだろうと思いますね。

もし、このアンケートが渡されなかったら、その後のアンケートでも虐待を訴えて、一時保護に動いた可能性が高いですよね。

本当に救えた命だったのだと思うとやるせないですね。

次回に続く

参考リンク
千葉県野田市小4女児虐待死事件その4(沖縄からの経緯)
千葉県野田市小4女児虐待死事件その6(母親逮捕)

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