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2019/04/05

千葉県野田市小4女児虐待死事件その10(虐待の詳細)

1)当日の暴行の詳細
男性被告は女児が死亡する2日前から妻の女性被告(32)=傷害幇助(ほうじょ)罪で起訴=に食事を与えないよう指示し、女児を飢餓状態にさせた。さらに、長時間、肌着のまま居間や暖房のない浴室に立たせ続け、十分な睡眠を与えなかったとのこと。

 女児が死亡した1月24日の午後1時ごろからは、既に肌着が水でぬれていた女児に「5秒以内に服を脱げ」と命令。「5、4、3、2、1」とカウントダウンした上で頭からボウルに入った冷水を数回浴びせかけ、さらに「シャワーで流せよ。お湯じゃないだろう」などと言って体に冷水シャワーをかけた。

 同4時ごろには居間の床にうつぶせに寝かせた女児の背中に座り、両脚をつかんで体を反らせるなどの暴行を加え、同9時50分ごろ、女児が寝室に入ろうとすると、「なんでいるの。駄目だから」と叱り、「ちょっと来い」と浴室に連れ込み、シャワーの冷水を顔面にかけ続けた。女児は同11時8分ごろ、死亡したとみられるとのこと。

2)地検は女児の死因を3つの可能性に絞ったとのこと。
A)健康状態では弱アルカリ性の血液が飢餓状態などで酸性になる「ケトアシドーシス」によるショック死
B)致死性不整脈
C)溺死
のいずれかと判断。女児が長期間の虐待で、強いストレス状態にあったこともその死に影響したとみているとのこと。

3)暴行の疑いで再逮捕された父親が3月9日、千葉地方検察庁に送られました。

4)千葉県野田市の小4女児死亡事件を巡り、文部科学省の永山賀久初等中等教育局長は3月15日の衆院文科委員会で、県柏児童相談所が2017年に女児を一時保護した後、「学校からの虐待情報が発端だった」と保護者に伝えていたと明らかにした。
野田市も同様の内容を保護者に伝えていたとのこと。

5)県警は3月18日、女児を立たせ続けるなどしたとして、強要の疑いで父親の男性容疑者(41)=傷害致死罪などで起訴=を再逮捕した。逮捕は4回目。

再逮捕容疑は今年1月5日ごろ、自宅で女児を怖がらせて浴室に追いやり、立たせ続けるなどした疑い。

男性容疑者から押収したスマートフォンの画像などから立件が可能と判断したとみられるとのこと。

6)父親が、年末年始に家族で出かけることができなくなったことに腹を立て、女児を浴室に立たせ続けるなどしたとみられるとのこと。

父親の男性容疑者は女児に対し、「年末に戻せ。時間戻してくれよ」と責めた上、浴室に立たせ続けるなどした疑いで、18日、再逮捕された。

捜査関係者によると、男性容疑者が年末年始に家族で出かけることができなくなったことについて、女児を責めていたとみられるとのこと。警察は、男性容疑者が、日常的に女児を追い詰めていたとみて調べているとのこと。
7)強要の疑いで再逮捕された父親が、3月20日朝に送検された。

8)3月28日、父親からの虐待を訴えた女児のアンケートのコピーを父親に渡した市教委学校教育部次長兼指導課長(58)を停職6か月とするなど、職員12人を懲戒処分とした。指導課長は主幹に降格させたとのこと。

市は、指導課長の行為について「地方公務員法と市個人情報条例に違反する」とし、「市教委と市、児童相談所などの情報共有が足りず、重篤性や緊急性の認識が欠けていたことが事件の一因」と説明した。懲戒処分はこのほか、学校教育部と市児童家庭部の幹部職員ら6人を減給10分の1(3か月)、5人を戒告とした。

鈴木有市長と今村繁副市長、佐藤裕教育長については既に、いずれも減給2分の1(3か月)とする関連議案が市議会で可決されている。鈴木市長は記者会見で、「幼い子供の命が失われたことや、社会的影響の大きさに鑑みて厳正な処分を行った」と述べたとのこと。

時系列
男性容疑者の出身は千葉県野田市
2009年頃 両親が結婚、女児が誕生
2009年  一家が糸満市に転入
数年後に離婚
2017年頃 両親が再婚
2017年
07月   母親が出産の為、父親と女児が2人暮らし
07月07日 父親が沖縄の児相に娘を帰してくれないと相談
07月14日 父親のDVが疑われる事案として市が児相に相談
08月   一家が沖縄県糸満市内に住んでいた
09月   女児が沖縄から野田市の学校に転入。
11月06日 女児が学校でアンケートに回答する。
その後  当時通っていた市内の別の小学校で行われたアンケートの結果、容疑者からの虐待が疑われる事案が発覚。
11月07日 柏児童相談所が女児を一時保護、対象リストに掲載される。
12月27日 一時保護を解除、女児は親族宅で生活する。
12月28日 学校が一時保護解除を知る。
2018年
01月12日 容疑者が学校との面談でアンケートの閲覧を要求、学校側は念書を渡す。
01月15日 容疑者が女児の同意書を持って市教委にアンケートのコピーを要求、恫喝に屈して、コピーを渡す。
01月18日 市内の別の小学校から現在の学校に転校
01月頃  女児の自宅の近所で怒鳴り声が聞かれるようになる。
02月までに、児相が親族宅を2度訪問し関係者と面談
02月20日 市教委がアンケートのコピーを渡した事を「要保護児童対策地域協議会」の会議で配布した資料で報告。
02月26日 児相職員が親族宅で男性容疑者と面談、男性容疑者が女児の書面を提示した。男性容疑者が「きょうで娘を連れて帰る」と発言。
02月27日 児相から市に「女児が父のもとに帰っている可能性が高い」と報告。
02月28日 児相が女児を自宅に戻す決定をする。
03月02日 児相が死に再度一時保護の可能性を報告。
03月上旬 女児が自宅へ戻る。(実際には2/26に戻っていると思われる)
03月19日 児相が女児と面談、書面は書かされたと知る。この時、女児から戻った時期を聞いた。
04月   4年生になり半年間クラス委員長を務めた
     父親がOCVBの東京事務所に嘱託職員として採用される。
09月   女児がしないの親族宅で生活を始める
12月   小学校の保護者面談で聞き取りせず
12月21日 女児の最終登校日
12月22日頃 冬休みで女児が自宅に戻る。
2019年
01月07日 始業式から女児は不登校、男性容疑者が学校に嘘の説明をする。男性容疑者が初出勤
01月11日 男性容疑者が2月4日に登校させると学校に連絡
01月21日 小学校が児相に長期欠席を連絡。男性容疑者が体調不良で仕事を早退
21日以降は男性容疑者はインフルエンザを理由に欠勤
01月22日 24日まで断続的に女児を立たせ続ける。
01月24日
10:00頃 立たせたりの虐待を始める
23:10頃 110番通報により、事件発覚
23:20頃 救急隊が駆けつけたが、女児の顎などに軽度の死後硬直が生じていた。
01月26日 容疑者を千葉地検松戸支部に送検
02月04日 母親を共犯として傷害容疑で逮捕
02月05日 母親を送検
02月14日 父親を別の傷害容疑で再逮捕
02月15日 父親を送検
02月25日 母親を別の傷害事件で再逮捕
03月06日 両容疑者を起訴
03月09日 父親が送検
03月19日 父親を強要で再逮捕
03月20日 父親を送検

こんなところですね。
虐待の詳細が分かりましたが、家族旅行ができなくなった理由が女児にあると言う理屈が分かりません。
女児は冬休み前の3ヶ月間を親族宅で生活していたわけですが、冬休みに自宅に戻っています。
なので、年末年始に家族で出かける事ができなくなったと言うのは、女児が不在でできないと言う事では無いんですよね。

・・・そうか、アザですね。女児の見える所にアザができた為に、女児を外出させる事ができなくなったのが理由ですね。
しかし・・・そりゃあ、アザを作ったのはアナタ(容疑者自身)ですよね?とツッコミたくなりますね。

しかも、「しつけ」と言いながら、その内容はしつけとは言えない物ばかりですよね。

まるで、子供のイジメやケンカみたいですよね。

本来、親が子供に持つであろう愛情など、微塵も感じる事ができません。
「しつけ」を理由としているのは、自分の暴力行為を正当化する為の後付の理由でしょう?
最初の動機は結局、何だったのか?

再婚した直後から虐待やDVが始まっているので、再婚前に理由があったとしたら、離婚の理由が女児に関係していたのかな?
でも、離婚の理由は男性容疑者からのDVですよね?

このあたりは、公判で出てくるでしょうね。
続報も出なくなりました。

次は公判ですね。

参考リンク
千葉県野田市小4女児虐待死事件その9(起訴)
千葉県野田市小4女児虐待死事件その11(女性被告の初公判)

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コメント

年末に旅行できなかった件、時系列から見るに女児抜きでの家族旅行の予定だったのが彼女が戻ってきてダメになってしまったとか、女児が体調を崩してしまったとか、父親との接触を怖れた女児が外に出ると泣くからとか考えたのですが。アザといった明らかな虐待の証拠もありえますね。

今までの虐待死事件と今回の事件、どこが異なるかと言えば被害者本人の意志が児童相談所や学校のアンケートなどで記録されている点、そして素人目にも公的機関側の落ち度が明らかであった点でしょうね。
公的機関へのSOSが意味をなさなかった(むしろ状況を悪化させた可能性がある)となると、政治的にも法整備が必要であると認識されるのではないでしょうか。
ストーカー殺人なんかでもそうでしたね。警察に相談に行き、身内のいる場所へ避難するという自衛をしても事件が起こった結果、法律が成立しました。
今回は父親に強く出られる存在が不在であったのが1つのポイントであったため、警察OBの配置をすることになったのでしょう。
以前は問題児に疲弊した家庭を守る役割が大きかったイメージですが、「お上」としての強権を発動して虐待から子どもを守る役割が期待されるようになってきたため、課か何かを増設して人手&役割分担を増やすのが行政としてできる方策かもしれません。

投稿: つれづれ | 2019/05/02 19:10

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