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2020/01/05

東京発のぞみ265号無差別殺傷事件その6(一審判決)

***判決公判(12月18日)***
1)求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。
 
2)判決を言い渡された被告は、裁判長の許可もなく、「控訴はいたしません。万歳三唱します」と叫び、実際に両手を3回、高々と上げたとのこと。
 
別の報道では
判決が言い渡され、被告人席に戻るように告げられると、被告は立ち上がって「控訴はしません。万歳三唱します」と述べ、手を上げて3回万歳をしたとのこと。
 
裁判長は閉廷を宣言。被告は刑務官に自席に連れ戻されたが、その表情には笑みが浮かんでいたとのこと。
 
3)判決理由で裁判長は、「本件の動機は、あまりにも人の命を軽視した、極めて自己中心的で身勝手なものである」とし、「反省の態度はなく、厳しい非難は免れない。刑務所での服役で、刑責の重さに向き合わせるのが相当だ」として、求刑通り無期懲役を言い渡したとのこと。
 
別の報道では
「動機は人の命を軽視し極めて自己中心的で身勝手。 (助けに入った男性)は危険を顧みず制止したにもかかわらず、命を落とし無念さや遺族の悲しみは計り知れない。 有期懲役を選択する余地は全くない」と糾弾。 一方で、「年齢や前科前歴などの情状等を考慮すると、死刑に処することがやむを得ないとまではいえない。 刑務所での受刑の現実に直面させることで刑事責任の重さに向き合わせることが相当」として被告に求刑通り無期懲役の判決を言い渡したとのこと。
 
4)判決が言い渡されたあと、被告はうれしいのを顔に出さないようにしていたのか、口元に笑みがこぼれそうになるのを必死にこらえ、また、「あす週刊誌に出る」などとうれしそうに話していたとのこと。
 
5)判決は、男性への攻撃が少なくとも78回あり、女性らへの襲撃も死に至る可能性が高かったと認定。強固な殺意に基づく残忍な犯行と述べたとのこと。
 
***判決後の週刊誌報道のメモ***
(実際には事件発生後の週刊誌報道の内容)
 
いくつかは既に報道されていますね。
 
実父は喫茶店で働いた後、いくつもの職業を転々とし、現在は、車関連の会社に勤務しているとのこと。
母親は共産党候補として市議会議員選挙に出馬した過去を持ち、現在は団体職員としてNPO施設で働いているとのこと。
 
5歳のころ、児童保育所から発達障害の一種である「アスペルガー症候群」の疑いを指摘されるが、両親は治療を行わず。
 
実父によると『成長は遅いと思っていたけど、学校の先生に“この子は普通ですよ”と言われたので、病院や特殊学級には入れなかった』とのこと。
 
親族によると
14歳のときに被告が自ら病院に行こうとしたときも、薬代が高いからと母親はお金を渡さなかったとのこと。
 
公判で話題になった水筒の件
新学期だから水筒が欲しいと。水筒を姉弟に渡した、姉が新品で、彼のが貰い物だった。
 
その日の夜中、私と妻が寝ている寝室に怒鳴りながら入ってきた。ウチにあった包丁と金槌を投げつけてきた。だけど見当違いのほうに投げたんで、私からヘッドロックのような形で抑えにいって、10分ぐらい揉みあって、(妻に)通報させた。
 
中学2年生の終わり頃、母親は、自身が勤務するNPO法人(自立支援NPO)代表に相談して、シェルターで預かる事になった。
 
被告は定時制高校に入学したのですが、成績はオール5で4年かかるところを3年で卒業したくらい優秀。
 
15年春に職業訓練校を卒業した容疑者は、在学中に取得した電気修理技師の資格を活かして、埼玉の機械修理会社に就職。一人暮らしを始める。
 
「彼は理解力が高く仕事は優秀で、人間関係も特に問題はなかった。親会社から発注される機械の修理を担当していましたが、いくつも資格を持っており的確にこなしていた印象です」
 
翌年、社内いじめで退職。
 
地元愛知県一宮市に戻った被告は市内で一人暮らしを始めるがすぐに引きこもり状態になる。
 
その後、家でを繰り返す。
 
2017年2月からは、地元の専門病院に2カ月あまり入院、ここで自閉症と診断される。
 
退院後、当時彼が同居していた母方の祖母と養子縁組をする。その後も引きこもり状態になる。
 
2017年11月障碍者支援施設で働き始める。
が1か月もしないうちに退職。
理由は「ホームレスになりたいから」
 
その後、家出。
 
時系列を更新
5歳の頃に児童保育所から「アスペルガー症候群」の疑いを指摘されるが、治療せず。
14歳のときに被告が自ら病院に行こうとしたときも、薬代が高いからと母親はお金を渡さなかった。
中学時代  不登校となる。
中学2年の終わり頃 家族とトラブル、精神疾患の診断。自立支援施設に入所。
(容疑者14歳と推定)
2011年03月 中学を卒業と推定
2011年04月 地元の定時制高校に入学
2014年03月 本来4年の定時制高校を3年で卒業。成績は優秀。
2014年04月 職業訓練校に入学(1年コース)
2015年03月 職業訓練校を卒業(19歳)。(就職が決まるまで施設に入所)
2015年04月 埼玉県の機械修理会社に就職
2015年08月 愛媛県で勤務。(治療の為、4ヶ月間、入院した。入院の時期が不明)
2016年02月 当時務めていた機械修理会社を退職。(1年で退社)
2016年04月 容疑者が両親とのトラブルで伯父方で暮らす。(容疑者20歳と推定)
2017年
02月-03月 岡崎市内の精神病院に入院。
     精神疾患の診断を受け、伯父が保健所に相談。
09月   容疑者が祖母と養子縁組。
10月   岡崎市内の就労支援事務所に就職したが、約1カ月で退職。
12月   容疑者が自殺すると言って家を出る。(1月説もあるが12月を採用)
2018年
03月頃  祖母の電話を養子縁組を解消すると誤解
06月09日
午前中に東京に移動。
21:23  のぞみ265号に容疑者が乗り込み、東京駅を発車。
21:42  新横浜駅をのぞみ265号が発車(時刻表による)
     この時、容疑者の両隣の席に被害に遭う女性が乗り込む。
21:45頃 事件発生。乗客が警察にに通報。
21:47頃 非常ブザーが鳴り、緊急停車。その後、小田原駅に移動。車掌が通報。
21:50頃 車内の乗客からJR東海に連絡。
24:50過 のぞみ265号が小田原駅を離れる。
06月11日 容疑者を殺人容疑で送検
2019年12月18日 一審判決、無期懲役(求刑無期懲役)
 
こんなところですね。
判決で検察や裁判長が考慮していた家庭環境と言うのはこのあたりの事なんでしょうね。
事件後の報道で実父が被告の事を〇〇君と呼んでいたのが印象的です。
 
さて、判決は無期懲役です。死亡が一人なので、重くても無期懲役と言う事なんだろうと思います。
動機は一生、刑務所で暮らす為との事ですね。
公判での刺激的な言動が注目されてしまうのですが・・・目的から、その実現の為に発言していると考えると、それなりに、芝居ががっているけど納得できる言動なのかな?と思います。
 
ただ、それでも、違和感がある部分がありますね。
最大の違和感が無期懲役の判決後の万歳三唱です。
 
この時点では、無期懲役の判決は出ているので、この万歳三唱は無期懲役になる為とする目的に対して意味がありません。
 
なので、私としては「本当に無期懲役になる事だけが目的だったのか?」と疑っています。
 
一言でいえば、「当てつけ」あるいは、「間接的な復讐」です。
折り合いの悪い両親に対して、「息子がこんな犯罪者になりました」と社会にアピールしているんじゃないのか?と疑っています。
 
その根拠の一つが公判中に被告が話した「また週刊誌に出る」と言う言葉です。
報道される事が無期懲役になる事は直接関係ないですから、報道される事に意味や目的を持っていると思うわけです。
 
他には、公判中の言葉で「刑務所に入るのが子供の頃からの夢だった」と言う言葉も検察側の証言に対する後付の言い訳か、逆に利用しようとした言葉なのではないか?
 
まず、子供の頃から刑務所に入りたいと言うのは、常識的に考えて無いでしょ?
仮にもしそうだったとしても、万引きや怪我を伴わない家庭内暴力では少年院にも入れない、それ自体を被告自身が、結果的に少年院に入っていない事で証明してますからね。本当に入りたかったら別の方法を実行しているはずです。
 
被告が無期懲役になりたいのは、一生刑務所で暮らす事が目的ではなく、本当の目的は両親が一生、息子が刑務所にいる事を後悔させる為なんじゃないのかな?と・・・
 
もう一つの根拠は、公判で両親と祖父母に対するコメントを求められて、「黙秘」した事ですね。
 
ただ、ここが微妙なのが、メンタルの問題によって、この万歳三唱が行われた可能性があるのか?と言う事なんですよね。
 
メンタルの問題によって、他人の感情を推し量る事ができないと言う可能性があるのか?とも思うのですが、公判中に裁判長から「もし大切な人が殺されたら、どう思う?」と聞かれて、まっとうな回答をしていますから、他人の感情が分からないわけじゃないと思うんですよね。
 
つまり、万歳三唱をしたら、被害者や遺族がどう感じるか?と言うのは、被告にもわかっていたはずで、無期懲役の判決が出た後で、無期懲役になる為に万歳三唱する意味は無いと思うわけです。
 
なので、希望通りの無期懲役になった事が嬉しかったと言うのは本当だろうと思いますが、加えて、派手なパフォーマンスで報道されたいと言う計算があったのではないのかな?と思うわけですね。
 
で、もう一つ、公判の中で違和感があったのが、直接のきっかけとなった、祖母の電話が事件の3か月前だったと言う事。警察での取り調べで凶器は3月頃に購入している。電話の時期と一致してますね。
 
3か月の時間が必要だった理由を、体力を回復させる為と話しているのですが・・・
事件の前には餓死による自殺も考えたと被告は公判で話してます。
 
以前の報道には
容疑者(22)が、事件直前までの数カ月、長野県岡谷市の日帰り入浴施設「ロマネット」を繰り返し利用していた。事件前日の8日にも目撃されていたとの事。
 
今年2月ごろから週1~3回ほど施設を訪れたとの事。提供される室内着に着替え、長時間滞在。早朝から夜の終業時間までいることもあり、持参したパソコンを長時間使ったため、施設はコンセントにテープを貼って使えなくしたとの事。
 
お金は持っていたので、もう少し、体力回復になる方法があったと思うんですよね。
 
犯行のきっかけは別にあったのではないか?と思うのですが・・・
事件前日の8日のニュース報道で彼の琴線に触れそうなのは、「秋葉原事件から10年」のニュースがあります。
 
秋葉原事件のような派手な事件を起こすと言う報道が直接のきっかけなんじゃないかな?と・・・・
 
本当のところは、本人に語ってもらうしかないですね。
 
私としては、被告が無期懲役になりたかったのは本当だと思いますが、その目的は単純に刑務所で一生を過ごす事では無いだろうと考えています。
 
この事件を防ぐにはと考えると、原因の一つが5歳の頃までさかのぼると言う事で、問題の根が深すぎて、簡単には思いつきません。
 
ただ、被告の病状を受診して、治療して、正しく理解していれば、例の水筒の事件は起きなかったのではないか?と思います。あの事件が起きなければ、家族関係が決定的に破綻する事は無く、家を出る事も無かったのではないか?と思いますね。
 
まー子供にとって家族がどれほど大切かと言う事を思い知らされる事件ですね。
 
亡くなった男性のご冥福と怪我をされた女性の回復をお祈りします。

参考リンク
東京発のぞみ265号無差別殺傷事件その5(一審公判)
東京発のぞみ265号無差別殺傷事件その7(手記)

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