滋賀県守山市女性バラバラ事件その3(一審判決)
ちょっとややこしいです。
***死体遺棄、損壊罪の初公判(2018年8月21日)***
起訴内容を認めたが、殺害を否認
結局、この死体遺棄、損壊罪の公判は後の殺人罪の公判に吸収されました。
***2018年9月11日殺人容疑で再逮捕***
***勾留理由開示の手続(2018年9月27日)***
殺人の疑いで再逮捕された看護師の女が、27日、法廷で母親について「自らを殺めた」と話し、自殺を主張したとのこと。
9月27日は大津簡易裁判所で勾留理由開示の手続きが行われ、容疑者による意見陳述の時間が設けられました。この中で、容疑者は「私が殺意を持って母を死なせたというのは誤りです」と話したとのこと。
そのうえで母親については「自らを殺めた」と自殺を主張し、「不当逮捕に強く憤り」を感じているとしました。
***2018年10月2日 殺人罪で追起訴***
***2019年11月11日 公判前整理手続き***
弁護側は、死体遺棄と死体損壊の罪については、心神喪失または心神耗弱状態だったとして、責任能力を争う方針を明らかにした。殺人罪については無罪を主張するとのこと。
***殺人と死体遺棄損壊の初公判(2020年2月12日)***
1)起訴状などによりますと、元看護師の被告(33)はおととし1月、滋賀県守山市の当時の自宅で母親(当時58)を何らかの方法で殺害。遺体をのこぎりなどで切断し、胴体を守山市の河川敷に遺棄した罪に問われています。
2)被告は遺体の損壊と遺棄については認めましたが、殺害については「私は母を殺していません」と否認した。
母親は自殺と主張。
3)弁護側は死体遺棄などについても被告に精神疾患があり責任能力を争うと主張。
4)検察側は冒頭陳述で、被告は母親から生活態度や進路について「執拗に叱責を受けて憎んでいた」と述べ、殺害の動機があることを指摘。また「被告は数日前に刃物を使用した殺害方法をインターネットで検索していた」として、「強い殺意に基づく計画的な犯行だった」と述べたとのこと。
別の報道では
検察は、被告は犯行前に「殺害の仕方」をインターネットで検索し、犯行直後と思われる時間帯にはSNSに、「モンスターを倒した。これで一安心。」と投稿していると、不審な行動について指摘しました。さらに、被告は、母親から看護師になる進路を反対されていたなど、母親は、“邪魔な存在”であったと殺害の動機について言及したとのこと。
更に別の報道では
検察側は「被告は看護師になりたかったが被害者から助産師になるよう執拗な叱責を受け、憎んでいた。事前にネットで殺害方法を調べるなど犯行は計画的だった」と指摘したとのこと。
***第二回公判(2月13日)***
被告人質問
検察:なぜ、警察に通報しなかったのか?
被告:国立の助産学校の受験に落ち、母を追い詰めたので、私が死なせたのも同然と説明し、「自殺を隠したかった」と話した。
さらに、受験について叱責を受けていたことから、母親が亡くなり、「ほっとした、解放されたと思った」と当時を振り返ったとのこと。
検察側が殺害の状況証拠としたSNS投稿について、被告は関連性を否定した。
被告は、自身の助産師学校の不合格をきっかけに母親は自殺した、と改めて説明。「モンスターを倒した」とツイッターに投稿したことについて、「自分が死なせたも同然。母は怪物のような存在で解放感があった」とした。医学部に入るため、浪人生活を9年間強いられ、鉄パイプなどで暴行を受けたりしたことなどを語った。胴体以外は焼却ごみに出したことも明らかにしたとのこと。
***第三回公判(2月14日)***
証人尋問
遺体の胴体を司法解剖した医師
被告は、これまでの裁判で「母親は自殺し、首から大量に血を流していた」と話していましたが、法廷に立った医師は「解剖した遺体の臓器や血管には血液が十分残っており死因は失血死ではない」としたとのこと。
***論告求刑公判(2月19日)***
1)検察側は懲役20年を求刑
2)検察側は論告で、「母親は包丁で首を切るなどし自殺した」とする弁護側の主張を司法解剖結果などを基に否定。遺体を切断、遺棄し、死亡事実の隠蔽を図った点などから殺害は明らかとし、「人間の尊厳を無視した残忍な犯行」と批判した。動機は母親が進路に強く干渉したためとしたとのこと。
3)弁護側は、母親の死因は不詳な点などから「他殺の証明はできていない。被告の説明は詳細で真に迫り信用できる」と反論。死体遺棄、死体損壊については認めた上で、精神障害があり責任能力はないか限定的で、母親からの長年の虐待も犯行内容に影響したとし、無罪か執行猶予付き判決を求めたとのこと。
別の報道では
弁護側は、検察は、殺害方法や母親の死因について立証できておらず、被告が殺したことについて合理的な疑いが残ると殺人については、無罪を主張。また死体損壊と遺棄についても、責任能力の程度によっては、無罪または執行猶予付きの判決を求めるとしました。
4)被告は最終意見陳述で死体遺棄、損壊については「悔やんでも悔やみきれない。お母さんごめんなさい」と述べたとのこと。
***判決公判(3月3日)***
1)裁判長は懲役15年(求刑懲役20年)を言い渡した。
2)裁判長は、犯行は残忍で動機も自己中心的として、強い非難に値するとした。一方で、長年にわたり母親から医師になるよう強く干渉され、「看護師になりたい」と言うと「あんたが我を通して不幸のどん底になる」などと強く否定されて殺意を強めたとして、経緯には同情の余地があるとしたとのこと。
別の報道では
裁判長は「母親におびえ、自由のない抑圧された生活で追い詰められ、同情の余地はある」と述べたとのこと。
3)裁判長は責任能力を全面的に認めた。
精神障害の影響については「日常生活を送りながら、母親の死亡を徹底的に隠蔽するなど善悪の判断ができないほど著しいものではない」などとして完全責任能力があったと判断したとのこと。
4)弁護側の自殺の主張に対して、裁判長は、母親が事件前日に病院の診療予約をし、死亡直前までスマートフォンでゲームをするなど日常的な行動をとっており、自殺とすると矛盾があると指摘した。
別の報道では
司法解剖所見や、母親に大きな持病がなかった点などから「想定できるのは他殺のみ」とした上で、救命措置をせずに死体損壊、遺棄に及んだ被告による殺害が強く推認される、とした。
「母は包丁で首を傷つけ自殺した」とする被告の供述については「死因などの客観事実に矛盾し、不自然な点が多い」として信用性を否定した。また、被告に精神障害があったことを認めた上で、犯行前後に問題なく日常生活を送っていた点などから責任能力に影響はなかったとしたとのこと。
こんなところですね。
娘が逮捕された時にはどんな動機なんだろうと思っていましたが、公判の内容はなかなか同情できる点はありますね。
助産師になる為に9年間浪人してますね。成れる物なら、9年も浪人しないでしょう。
逮捕当時が31歳なので、最初の受験は22歳の時ですね。
助産師になるには、看護師免許を持っていることが必須条件。
看護師免許を取得してからさらに1~2年間、助産師教育機関で学。おもに下記6つのコースから学校を選び、卒業・修了すると国試(助産師国家試験)の受験資格を得られます。
①助産専門学校に進学する
②助産課程のある大学院や助産専門職大学院に進学する
③大学の助産学専攻科に進学する
④助産課程がある大学で選抜試験に合格し単位を取得する
⑤助産課程の大学別科に進学する
⑥短期大学の助産学専攻科に進学する
えーと、第102回の助産師国家試験の合格率は99.6%なので、助産師教育機関に入学できれば、ほぼ助産師になれると言うことなんでしょう(多分)
で、被告人はすでに看護師資格を持っているから、看護師になる勉強をして、看護師になった後の、助産師教育機関への受験に失敗して9浪したと言うことなのかな?
この推測の通りなら、女性としてはちょっとかわいそうな事ですよね。
22歳で看護師としての人生をスタートしていれば、年齢なりの恋愛などもあって、もしかすると事件当時には結婚していてもおかしくない人生ですよね。
本人が希望する看護師を否定している母親の理由は「あんたが我を通して不幸のどん底になる」と言うのは不幸になるのは誰?って考えると、それは母親自身でしょ?、つまり、これは、自分が幸せになる為に娘に助産師になれと言っているようにも聞こえます。
この状況に置かれたら、心が折れてもおかしくないですよね。
結局は、反対する母親、束縛する母親を排除して、自分の希望通りの看護師として生活をスタートしたと言う事ですからね。
この事件を防ぐ方法は一つしか無かったと思います。
娘の看護師としての人生を認める事が母親にできれば、この事件は起きなかったと思うんですよね。
なぜ、頑なに助産師にこだわったのか?
一般的に考えれば、娘なので普通に結婚して家庭に入れば、経済的な部分の多くを支えるのは、結婚した相手、旦那さんになるわけですよね。
母親は20年前から夫と別居してますから、このあたりで、結婚とかそういった人間関係が信じられなくなっていたのかもしれませんね。
娘を助産師にして一生、二人だけで生活する事を夢見ていたのかな?
まー、殺害しなくても、状況を変える方法はあったかもしれませんけど、母子の絆を断ち切る方法を他に考えつかなかったのかもしれませんね。
教育とか家庭とか、やっぱり難しいとは思うけど、最後は自立できるかどうか?って事なんでしょうね。
母親も自立するだけの生活力があれば、看護師を認められたかもしれないけど・・・助産師を目指させたのは10年以上前と言うことだから、事件時に58歳なら48歳頃の話なんですよね。50歳目前ですが、中年女性の収入では自立するのは無理と言う事だったのかな?
子供に立派な仕事をしてほしいと言う親の気持ちもわかりますけどね。
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コメント
被告(33)は3月5日までに、懲役15年とした大津地裁の裁判員裁判判決を不服として、大阪高裁に控訴したとのこと。
死体遺棄、損壊については認めているので、殺人について、自殺の可能性を出せれば、控訴審で逆転する可能性もありますね。
投稿: ASKA | 2020/03/06 18:03
はじめまして。
被告は事件当時新卒だったようです。
浪人していたのは看護師免許の方だったかもしれません。
投稿: FDS | 2020/03/07 01:02
FDSさん、こんにちは、コメントありがとうございます。
そうでしたか・・・本人は勉強が苦手だったのかもしれませんね。
最初のステップの看護師免許で9年も浪人してしまっては、その先の助産師は流石に見込みが無いと自信喪失してもおかしくないですね。
それなら、先の見えない助産師を目指すよりも、確実になれる看護師でよしとしたいと思っても仕方が無いと言うより、現実的な選択だったと思います。
むしろ、9年浪人させても、進路に疑いを持たなかった母親の方はどうして、そこまで、助産師に拘ったのか?ちょっと、疑問ですね。
普通だと、3、4浪あたりで「向いてないかな?」と思いそうなんですけどね。
投稿: ASKA | 2020/03/13 18:07
被告は、一審の判決を不服として、3月4日付けで、大阪高裁に控訴したとのこと。
投稿: ASKA | 2020/03/13 18:09
***控訴審初公判(11月5日)***
1)被告は一審で無罪を主張していたが、「罪と真摯に向き合おうと考えた」と述べ、一転して殺人罪を認めたとのこと。
被告人質問で殺害を認めた理由を問われ、被告は「父に知られるのが怖かったが、母を殺害した私でも受け入れてくれると思った」と述べたとのこと。
進路を巡り母から過度に干渉されたとし「誰も信用できなかったが、(一審判決で)私と母との確執が理解されたと思った」と話したとのこと。
2)弁護側によると、控訴後、母との関係に一定の同情を示した一審大津地裁の裁判員裁判判決を受け入れ、反省の気持ちが生まれたとしているとのこと。
こんなところですね。
一転して殺人を認めました。一審判決も殺人を強く推認している状態なので、大きく状況が変わるわけでは無いですが、反省している点がどう評価されるのか?と言うあたりでしょうか。
投稿: ASKA | 2020/11/29 10:33
控訴審判決公判(1月26日)
大阪高裁は1月26日、懲役15年とした1審の裁判員裁判判決を破棄して減軽し、懲役10年を言い渡したとのこと。
被告は1審判決をきっかけに殺害を認める姿勢に転じており、裁判長は「裁判員裁判の判決に心を動かされ、反省を深めている」と述べたとのこと。
裁判長は、母親から医師になるよう9年間の浪人生活を強いられ、異常な干渉があったと指摘。「同情すべき点があるほか、罪に真摯に向き合おうとしている」として刑を軽減したとのこと。
判決後、裁判長は「しっかりと罪を償い、これからは自分自身で判断して、自分の人生を歩んでいってください」と被告に話したとのこと。
被告は涙を流してうなづいていたとのこと。
被告を弁護した弁護士は判決後、上告しない方針を示したとのこと。
こんなところですね。
自分のことを理解してもらえると言うのが、人を変えるきっかけになるんですね。
一審判決で裁判員に自分の苦しみを理解してもらえた事で、控訴審では殺人を自白して、罪と向き合うことができたんでしょうね。
不幸な親子関係が事件の原因ではあるのでしょうが、事件が起きる前に決別する事はできなかったのかな?
両親が離婚していて、一人娘だから、自分が母親の面倒を見ないといけないと言う、強い義務感と、一方で一緒に居たくない、進路を強要されたくないと言うジレンマの中で苦しんだ結果の事件なんでしょうね。
離れて暮らす父親には相談できなかったのかな?
もし誰かに相談して、「家を出ろ」と背中を押してくれたら、この事件は起きなかったのかな?
そう考えると、身近に信頼できる人がいると言うのは、人生にとって大切な事なのかもしれませんね。
一方で人間関係が希薄な現代社会では、手に入れるのが難しい物なのかもしれません。
投稿: ASKA | 2021/01/29 11:46
大分遅くなりましたが、続報です。
裁判資料等によると、被告(34)は一人娘だった。昼夜を問わずメンテナンス関係の仕事をしていた会社員の父は、小学校高学年の頃に社員寮に別居。それ以来、被告は母と2人暮らしだった。母は被告が幼い頃から、通信教材を買い与え、将来は医師になることを切望した。被告自身も、外科医の夢を抱いた。しかし中高では成績が伸び悩み、大学受験を控えた高3の頃までに、自身の希望は薄れていたとのこと。
それでも母は願望を曲げず、自宅から通学圏内の国公立大の医学部医学科に進学するよう要求した。被告は2005年、現役で国立大の医学部保健学科を受験し、不合格だった。だが母は、親族に対して「合格した」とうそをつき、被告にも従うよう求めたとのこと。
被告は母の束縛から逃れるために就職を考えたものの、当時未成年だったこともあり、母の同意を得られず実現しなかった。束縛はエスカレートした。母は自由な時間を与えないようにと、一緒に入浴するよう求めた。携帯電話は取り上げられていた。被告は3回にわたり家出をしたが、母が手配した探偵や捜索願を受けた警察に見つかり、家に連れ戻されたとのこと。
そんな浪人生活が実に9年間に及んだ。母は助産師になることを条件に滋賀医科大学の医学部看護学科への受験を認め、2014年に合格。進学後は母との確執は一時和らいだ。学生生活を経て、被告は徐々に「手術室看護師」を志望するようになったとのこと。
大学2年生の終わりごろ。助産師課程の進級試験に不合格になったのを機に、束縛は再燃した。17年の夏には、当時4年生の被告に医大の付属病院から就職の内定が出ていたが、母は辞退して助産師学校に進学するよう迫った。受験に失敗したとしても看護師にはならずに、再受験を約束する誓約書まで書かせていた。同年12月に被告が母親の許可を得ずにスマートフォンを隠し持っていたことが分かると、庭で土下座させ、その様子を撮影した。スマホはブロックでたたき壊し、所有を認めていたもう一つの携帯電話に「ウザい!死んでくれ!」とショートメールを送って罵倒したとのこと。
ここで、助産師を希望すると母親と、手術室看護師を希望する娘との確執が起こるんですね。
しかし、自由な時間を作らない為に一緒に入浴するとか・・・これは、勉強をサボらないようにと言う事の裏返しなんでしょうが・・・
そこまでの理由があるのかな?
自分の不満やコンプレックスを自分に代わって娘に解消させようとしているのだろうか?
一言で言えば「毒親」と言う事になるのでしょうが・・・
そこまでに至る過程で、周囲から批判する声は出なかったのかな?
特に父親がこの事件ではその存在感がありませんね。
普通に考えると、家計を支える父親の影響力がゼロと言うのは考えにくいのですが・・・
機能不全に陥っていたと言う事なのかな?
やはり、家庭は大切ですね。
それから外部に助けを求める事も必要ですね。
投稿: ASKA | 2021/05/21 11:27
そら裁判員裁判に参加した人も、こんな実情知ったら同情しちゃうよなあ…むしろ10年でも重いって思っちゃうくらいだもの…
投稿: | 2021/05/24 20:46