千葉県野田市小4女児虐待死事件その13(父親の一審公判)
長文注意
***初公判(2月21日)***
1)被告は傷害致死罪の起訴内容について「飢餓状態にしたりストレスを与えて衰弱させたりしたことは一度もない。立たせ続けたり冷水シャワーをかけたりしたこともない」と否認したとのこと。
そのうえで「罪は争わない」と述べたとのこと。
別の報道では
検察官は、被告が31年1月22~24日、飢餓状態やストレスで衰弱させてもかまわないと考え、女児に食事を与えず、リビングや浴室に立たせ続けたり、肌着のみで浴室に放置するなどして十分な睡眠をとらせなかったとした。また、24日には水にぬれた肌着だけを着た女児に冷水を浴びせ、リビングでうつぶせにして背中に座り、両足をつかんで身体をそらせるなどし、夜には寝室に入ろうとした女児を浴室に連れ込み、シャワーで顔面に冷水を浴びせて、一連の行為による飢餓状態やストレスなどで死亡させた、と説明したとのこと。
2)被告は「娘にしてきたことはしつけの範囲を超える。深く反省している」と述べたとのこと。
「事件直後から、しつけの範囲を超えたものだと深く後悔してきた。未来のみーちゃんの姿を私が自ら見られなくしてしまった。みーちゃん、本当にごめんなさい」と謝罪の言葉を並べたとのこと。
3)起訴状では、被告は19年1月22~24日、女児に食事も与えないまま浴室に立たせ続け、十分な睡眠を取らせなかったうえ、シャワーで冷水を浴びせ続けるなどし、飢餓状態やストレスが原因のショックか不整脈、または水による窒息で24日夜に死亡させたとしている。
4)検察側は冒頭陳述で、被告が妻と離婚して、事件で死亡した女児とは数年にわたって離れて生活し、妻との復縁後に次女が生まれた経緯について説明。「被告は次女に愛情を注ぐ一方、離れて成長していた女児を疎ましく感じていた。被告は頑固で自己主張が強く、気に入らないことがあると女児を繰り返し虐待した」と指摘したとのこと。
5)弁護側は、被告に女児を死亡させた責任があるとして、傷害致死罪の成立を認めた一方、「(暴行は)あくまで教育で、結果的に行き過ぎた行為があった。自分なりに家族が幸せになることを考えていた。深い後悔をしている」と訴えたとのこと。
6)弁護人「被告は長女の出産から1年は会っていない。妻は長女を出産後、育児ノイローゼになり、実家に帰った。そのため、全く妻や子供と会えなくなった。その後、妻から連絡があり、8年ぶりに妻と長女と再会しました。再び交際が始まり、再婚。妻は双極性傷害で、病院にも付き合うなどしました」とのこと。
7)被告の父の供述調書
母について被告から女児とその妹に対して育児放棄のような状態だと聞いていたため、被告の妻と認めず、自宅に入れたことがなかったと説明。会話もなかったとのこと。
妻や長女(被告の妹)から、女児の体にいくつかあざがあったと聞きました。長女は『家族だろうが何だろうが通報するべき』と言っていました。しかし、私は被告が虐待をしていると認めたくない気持ちが半分、仮にそうでも息子を通報することに抵抗があったのが半分。女児を預かっていれば大丈夫だろうと思い、通報しませんでした。しかしこの時に厳しい心をもって通報すべきでしたとのこと。
とりあえず、こんなところですね。
弁護側の話しなので、微妙な部分はありますが、離婚の理由が育児ノイローゼだったにせよ、実家に帰った妻に一度も会わないと言うのが理解できませんね。
そして、被告の実家の対応も疑問ですね。
被告の言葉を疑わないと言うのが、女児と母親(妻)を追い詰めています。被告の妹の方がよほど正常な感覚を持っていると思う。
***第二回公判(2月25日)***
叔母の供述調書によると
女児については「優しくて明るくて頑張り屋さん」。被告については「(女児を)所有物と思っていたのではないか」と指摘しているとのこと。
証人尋問
1)女児の叔母(被告の妹)
「心愛はわたしの大事な娘です。女児を返して」と訴え、女児が自宅から祖父母宅に母親に連れられて来た18年9月ごろ、被告によるとみられる暴行の痕があったことを証言したとのこと。
叔母の証言によると、女児の頭には髪が抜けた痕があり、首回りも真っ白になっていて、頰の辺りに1センチほどのあざが2カ所あった。全身の状況を確認したところ、腰と尻の辺りにもいずれも3センチほどのあざがあったという。女児に「どうして?」と尋ねたら、女児はしくしく泣きながら「(被告に)髪をひっぱられた」と打ち明けた。その後、祖父母宅を訪れた被告に対して「次やったら通報する」と告げたとのこと。
叔母は法廷で「(女児を)抱きしめて『ごめんね、ごめんね』と謝った」と涙声で振り返った。当時の被告については「(女児の)しつけにこだわりすぎていた。ノイローゼのようになっていた」と話したとのこと。
他の報道では
叔母は女児が死亡する約1年半前、「女児が『5時間立たされた』と泣いていた」「『腰にあざがある』と見せてきた」と虐待の兆候を伝えてきたことを話しました。叔母はそれを受けて兄の被告に「しつけを軽減して自分の仕事に集中すれば」と伝えたと話したとのこと。
他の報道では
叔母は、「2017年9月ごろに女児の腰にあざを見つけ、どうしたのか尋ねると、女児が『パパに蹴られた』と話した」「被告に尋ねると、『やっていない。女児の寝相が悪くてぶつかったんじゃないか』と話していた」などと証言したとのこと。
他の報道では
死亡する約4か月前、被告の実家に滞在していた女児がご飯をむさぼるように食べていたことに気づき、どうしたのか尋ねると、「家で食べさせてもらえなかったから、ここでいっぱい食べないと痩せてみんなに心配かける」と話していたと証言したとのこと。
2)法廷では検察側の証拠調べで女児と被告のやり取りが撮影された動画が流されました。
2018年7月30日午前5時40分から撮影された27分31秒の動画には、女児が被告から命じられた屈伸を繰り返し、「助けてママ、助けて。お願いママ」泣いて助けを求める様子が映っていたとのこと。
女児は「すみません」と荒い息で何度も言う。被告は「屈伸やれよ」と言いつけ、直後に「パシッ」という音が2回続いた。この後、「お願い、トイレ行かせて」と懇願も。直後に撮影された写真には、汚物を手に持つ女児の姿があった。検察側は被告がカメラ付き携帯電話で撮影した、と説明したとのこと。
別の報道では
30年7月10日ごろの動画には、自宅玄関で「家族に入れろよ」とせがむ女児に、被告が複数回「無理~」と拒否する様子が収められていた。女児が「うち(私)のことなんかどうでもいいんだね」と言うと、被告は「だいぶ前から面倒くさいと思っていた」と突き放し、土下座をさせたとのこと。
別の報道では
死亡する直前の平成31年1月に自宅リビングで土下座して両親に謝る映像などが証拠として示された。
この動画は31年1月5日に撮影されたとみられ、被告は女児に「楽しい予定もあったのにおまえのせいでなしだよ」「時間戻せよ」などと土下座を要求。乳児の次女を高い声であやす一方、女児に「お前、何やってんだよ」と怒鳴る様子などが記録されていたとのこと。
検察側の冒頭陳述によると、被告は1月2~3日ごろ、ディズニーランド近くの千葉県浦安市のホテルと沖縄県のホテルをキャンセル。年末から女児に暴行を加えた結果、旅行できなくなったが、それを女児のせいにして責めたとみられるとのこと。
3)被告の母親(女児の祖母)
祖母は、事件前に女児と一緒に暮らしていた際、夜中に女児が泣いているところを目撃し、「女児が被告のアパートに帰りたくないと言っていることを聞いていた」などと証言した。その一方で、「当時は息子を信じていた」「虐待に気づくことができなかった」などと述べたとのこと。
別の報道では
検察側から言いたいことはあるかと聞かれ、「女児がちょっとしたアザで児童相談所へ連れて行かれた、という被告の言葉を信じてしまった。被告に味方してしまった。虐待は頭になかった」と語ったとのこと。
***第三回公判(2月26日)***
証人尋問
女児の母親
母親は「心愛を助けてあげたくても(被告の)監視や束縛が強く何もすることができなかった。(被告に言ったら)女児への虐待がもっとひどくなるのではと思った」と後悔の言葉を口にした
母親は再婚後の被告について「LINEや電話で常に私の行動を確認してきた。平手でビンタされたり押し倒されたりした」と証言したとのこと。
再婚して被告と女児は8年ぶりに再会した。その時の様子について母親は「仲の良い親子に見えた」と言い、検察官に「虐待を疑うことはあったのか」と問われると、「まったくありませんでした」と答えたとのこと。
質問にはっきりとした口調で答えた母親だったが、どのような暴力を受けたのか尋ねられると、数秒間押し黙ることもあったとのこと。
17年9月に再び一緒に住むようになった女児からは「毎日地獄だった。夜中にパパから起こされたり立たされたりした」と打ち明けられた。そうした行為について女児は「(被告が祖父らに)『本当に信じるのか』と言っていた。自分(女児)が悪者にされた」とも話したとのこと。
母親は、死亡前の平成30年12月30日に風呂場でドンという音が聞こえ、女児を見ると「(左右の)まぶたが腫れ、ボクシングをしたようだった」と証言。被告は「こいつ(女児)が自分でやったんだよ」と虐待を否定したとのこと。
年明けの昨年1月1日には、自宅で被告が女児に繰り返し屈伸をするよう要求。座り込んだ女児の両手首をつかんで引きずったり、上に引っ張った状態から落として床に打ち付けたりする暴行を数回繰り返したとのこと。
ぐったりした女児を見て、母親は「もうやめて。虐待だよ」と止めたが、被告に胸ぐらをつかまれプロレス技を2度かけられたとのこと。
それまでは虐待を止めようとしなかったが、「女児がぐったりしていた。命が危ないと思った」と理由を説明したとのこと。
女児は「胸が痛い」と呼吸がしづらそうになり、4日ごろには自力でトイレにも行けず、おむつをさせたと話したとのこと。
7日には小学校の冬休みが終わったが、被告らは女児に外出を禁じ、被告が会社に行っている間は母親が無料通信アプリ「LINE(ライン)」で様子を報告。亡くなる3日前の21日午後10時ごろから翌22日午前10時ごろまで、被告は女児を寝させず台所に立たせるなどしたとのこと。
公判では、被告と母親のラインによるやり取りも開示された。母親によると、被告は30年7月ごろから母親が見ていないところで暴力を振るうなどし、女児の体にあざや傷ができた。同月12日にはラインで母親に「明日学校どうする?」「今週は休ます?」と相談。翌13日は小学校を休ませることで、虐待の痕を隠そうとしたと説明したとのこと。
母親は、女児が書いた「たたかれたのはうそ」という文書について、児童相談所での一時保護が解除された女児をアパートに連れて帰るため同被告が書かせたもので、本人の意思に反していたと証言したとのこと。
1月1日、被告が女児を虐待するのを止めようとしたが、私も暴力を受けた。警察に通報しようと家を出たが、自宅に残した女児と次女が心配で通報せずに戻ったとのこと。
母親 7日に小学校の冬休みは終わったが、あざがあったので学校に行かせず、寝室に閉じ込めた。飲み物や甘いものをねだる女児について、被告にラインで「お前何様なんだよ。むかつくね」と送った。毎日のように女児を虐待する被告にストレスがたまり、女児に向けてしまった。とても後悔しているとのこと。
***第四回公判(2月27日)***
証人尋問
女児の母親
1)母親は被告が虐待に及んだ理由を「正義感が強い女児の性格が気に入らなかったのではないか」と述べ「できる限り重い刑にしてほしい」と強い処罰感情を示したとのこと。
母親は最後に「できる限り重い刑にしてほしい。理由は言いたいが、言葉にならない」と話したとのこと。
2)母親は被告の性格について「二面性がある」とし、他人には自分をよく見せて、家庭内では「自己中心的で、思い通りにならないとすぐに怒る」と説明したとのこと。
3)母親は「女児が死亡する前日から、女児のご飯の用意をしていなかった」と話し、その理由を「被告から食べさせないように監視されていたから」と話したとのこと。
また、初公判の際、被告が否定した死亡した当日の暴行などについても「馬乗りになっていた」「肌着のみで冷水のシャワーを掛けていた」と証言したとのこと。
そして、女児は風呂場に延々と立たされて衰弱していったとしたうえで、「風呂場で倒れて動かなくなり、信じたくないが、死んだと思った」と話したとのこと。
別の報道では
証言によると、トイレに行かせてもらえなかった女児は19年1月23日夜にお漏らしした罰として風呂場に立たされたとのこと。
その際、被告からは。
「『女児が自分で“明日の朝までここに立っている”と言った』と聞かされた」とのこと。
翌朝、母親が目を覚ますと、女児は、まだ風呂場に立ち続けていた。そして被告が女児の頭から肩にかけ、強い勢いで冷水を浴びせる様子や、リビングで女児をうつぶせにして馬乗りになり、体を反らせたところを目撃したとのこと。
24日午後1時ごろに浴室で肌着姿で衰弱した女児に「5秒以内に服を脱げ」と命令し、脱げないとボウルに入れた冷水をかけることを5回ほど繰り返したとのこと。
午後10時ごろ、女児が寝るために寝室に行くと、寝ていた被告が目を覚まし、「寝るのは駄目だから」と廊下に女児を引っ張り出したとのこと。
寝室にいた母親は、しばらくして浴室からドンという大きな音が聞こえ、部屋に入ってきた被告に「女児が息をしていない」と言われたとのこと。
浴室に行くと女児が白目をむいて、口が半開きの状態で倒れていた。「信じたくなかったが、亡くなったのだと思った」と語ったとのこと。
女児が肌着がぬれた状態で倒れていた。足に触れると「とても冷たかった」。この時、被告は女児の体に湯をかけていたとしたうえで、当時の様子などから「被告が水をかけたと思った」と語ったとのこと。
被告は少し落ち着かない様子で、自ら110番通報をすると、「女児に心臓マッサージをして」などと母親に指示したとのこと。
被告が警察に通報する間、心臓マッサージをしたが、体はとても冷たかったとのこと。
4)弁護側は冒頭陳述で、被告は女児が暴れていたのを落ち着かせようとシャワーをかけた、と主張している。これに対し、母親はこの日の証人尋問で、女児は「疲れていて元気がなく、暴れられない状態だったと思う」と話したとのこと。
***第五回公判(2月28日)***
証人尋問
***女児の担任の女性教師
女児は小学3年の時、小学校で行われた“いじめに関するアンケート”に「お父さんから暴力を受けています。先生、どうにかできませんか」と記入した。
当時の担任は「女児は被告に頭を押さえ付けられるしぐさを自分でやり、泣きながら話してきた」と証言した。
「(女児が)お母さんがいない時にグーで頭を10回ぐらい殴られる」と説明していたと証言した。
検察官から「きょうはどういう思いで来ましたか?」と聞かれると「女児が伝えたかったことを代わりに全部、伝えてくるね」と話した。
女児が書いたアンケートが廷内のモニターに映し出されましたが、被告はモニターを見ることはありませんでした。
「お母さんは味方してくれるけど、お父さんは『保護者だ』と言ってお母さんの言うことを聞いてくれない」とも訴えたとのこと。
アンケート記入日にも暴力があったといい「頭、背中、首を蹴られた。今も頭が痛い」と泣きながら訴えたとのこと。数日前には女児の目が赤くなっており、当時は「結膜炎」と答えていたが、改めて聞くと「お父さんに殴られた」と話したとのこと。
***女児を担当していた児童相談所の女性職員
保護を解除した理由について、父親の被告が「2人きりでは会わない」と約束したことや「被告の両親が安全に配慮すると言っていて、解除の条件に適していると思ったから」と話したとのこと。
また、別の職員は「私がどうなってもいいから止めてあげたかったなと事件の当日から思っていて、今でも夢に見ます」と涙声で話したとのこと。
別の報道では
2017年に女児を一時保護した児童相談所の担当職員
職員は、女児に被告と母親が面会を希望していると伝えた際、女児が「お母さんにだけ会う」「お父さんには何をされるか分からないから、今は会いません」と訴えていたと証言したとのこと。
2週間ほどして両親に面会した際、女児は被告から手を差し伸べられると自分の手を引っ込め、被告は「照れているのでは」などと話していたということです。
面会の際、部屋に近づくにつれ「女児の表情がこわばっていった」、被告が握手しようとすると「女児がびくっとして手を引っ込めた」「下を向き泣きそうだった」と証言したとのこと。
職員は、一時保護の解除後、被告から「個人として訴える」と言われ、精神的に追い詰められたとも証言した。そして「尊い命を守ってあげることができなくて本当に後悔している」と述べたとのこと。
児童心理司 女児から、お父さんに夜中に起こされ、「窓の外に誰かいるから見て」と言われ、見に行くとズボンを脱がされ、パンツも一緒に脱げてしまったと聞いた。カーテンが開いていたので「誰かに見られたか心配」と言っていたとのこと。
こんなところですね。
ここまでの情報を見て、どうも、これまで感じていた動機とは少し違っているのかな?と考えています。
一部の週刊誌では、理想の家族を作る事に執着した結果と言うような事が書かれていましたが、それだけでは説明できないと思います。執着しているのも違う物のように感じます。プラスして被告自身の生育環境を含めた人格の問題があるのでは?と考えています。
詳しくは、判決の記事に書く事にしますね。
参考リンク
千葉県野田市小4女児虐待死事件その12(女性被告の一審判決)
千葉県野田市小4女児虐待死事件その14(父親の一審求刑)
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