« 兵庫県神戸市ヤマト運輸女性刺殺事件その4(一審判決) | トップページ | 沖縄県名護市3歳妹投げ落とし事件(鑑定留置まで) »

2022/02/16

東京都大田区蒲田3歳女児餓死事件その4(一審判決)

判決は懲役8年(求刑:懲役11年)の実刑を言い渡した。

***初公判(1月27日)***
1)被告は罪状認否で起訴事実を認めた。

2)検察側は冒頭陳述で、被告は20年5月、交際相手が鹿児島県に引っ越すのを見送った際、交際相手の知人から誘われ、同県に旅行するのを決意したと主張。事件当時の女児はおむつを2枚重ねにされ、扉の前に置いたソファによって部屋から出られないようにされていたと述べたとのこと。死亡後の女児の胃の中からは食べ物が一切見つからなかったとのこと。

検察側は、被告は17年7月の離婚後、一人で子育てをしていたが、事件前から女児を残して友人らと遊びに出かけていたとも指摘したとのこと。

別の報道では
検察側は冒頭陳述で、一人親だった被告が平成31年1月には長女を保育園に通わせなくなり、自宅に放置して外出する頻度が増えたと指摘したとのこと。

別の報道では
司法解剖の結果、長女は死亡時、胃や小腸の中は空で目がくぼんでいたほか、口の粘膜まで乾燥した状態で、体重は3歳6か月児の平均の14kgより軽い11.4kgとのこと。また、おむつを長期間着けっぱなしだったことにより、おしりの周辺などがただれ皮膚が深くむけていた場所もあったとのこと。

3)弁護側の冒頭陳述で、「被告は、仕事と育児に追われ、息抜きのために出かけていた」と主張。量刑を判断する事情として考慮するよう求めたとのこと。

別の報道では
弁護側は、被告は幼少期に母親から虐待を受けており「事件に影響している」と主張。育児に関し「誰にも相談できなかった」と訴えたとのこと。

別の報道では
弁護側は起訴内容を争わない方針を示し、被告の生い立ちを説明した。幼い頃に母親に手足を縛られたままゴミ袋に入れられたり、包丁で傷つけられたりするなどの虐待を受け、小学2年から高校卒業まで児童養護施設などで過ごしたとしたとのこと。

4)起訴状では、被告は20年5月8~11日頃、長女を自宅に残したまま、交際相手のいる鹿児島県を旅行したうえ、同6月5~13日にも、長女の食事を十分用意せずに同県に出かけ、同12~13日の間に長女を脱水と飢餓状態に陥らせて死亡させたとしているとのこと。

5)証人尋問
証人尋問には事件当時、被告と交際していた男性が出廷。「(事件当時は)兄と同居していると聞いていた」と証言したとのこと。

別の報道では
事件後に長女の存在を初めて知ったといい、「びっくりした」と証言したとのこと。

///補足///
これだけだと事件までの経緯がわかりにくいので、補足しておきます。
長女が生まれた頃、夫と3人で同居していたが、長女の出産後に夫からDV被害を受けるようになり、長女と家を出て、離婚する。
その後、飲食店のアルバイトを始め、長女を保育園に預けたが、保育費が払えず、長女を家に残して、アルバイトに行くようになる。
その後、アルバイト先の男性と長女の存在を隠して交際するようになる。夜、飲食店で2人合うようになるが、その後、コロナ禍で仕事が減った事から、交際相手が鹿児島に帰郷した。
この交際相手に誘われて鹿児島に旅行したが、断る事が出来なかったとのこと。
旅行中も長女が心肺だったが、帰りたいとは言え無かったとのこと。

***第2回公判(1月28日)***
被告の虐待経験の審理
被告が小学校2年生の夏休み、母親から受けた虐待の内容

〈母親の調書〉
「正座をさせて後ろ手でガムテープでしばり放置した。おしっこをされるのが嫌でビニール袋に入れた」
「ビニール袋に入れて数日お風呂場に入れた。娘は1人で歩けないほどになっていた」とのこと。

〈被告の証言〉
「母親から『お前は何もいわずに笑っていればいい』と言われました。最初は『嫌だ』と言ったけれど、余計に暴力を振るわれるから顔色を伺うようになった」とのこと。

別の報道では
///何回目の公判での情報か不明ですが、虐待の内容///
「口を縫われたり、包丁で刺されたり、お風呂の水で沈められたり、(ガムテープで)縛られたりしました。ビニール袋に入れられたり、目隠しをさせられたり、階段から落とされたこともありました。・・・最後に覚えているのは、包丁で刺され、ゴミ袋に入れられ、風呂場に投げられた。怖い、辛い、苦しくて、でも何も言えなかった。気づいたら病院でした」とのこと。

///補足///
初公判に比べて情報が少ないので、わかりにくいですが、被告が「嫌だ」と言う主張ができない理由、「断れない」理由がこの幼少時の虐待経験にあると言う事を弁護側は説明しているわけですね。
(鹿児島旅行で途中で帰ると言えなかった理由を説明しているわけです)

***第3回公判(1月31日)***
弁護側証人尋問
1)子どもの虐待に詳しい臨床心理学の専門家
専門家は、被告自身が子どものころに、ごみ袋に入れられ数日間風呂場に放置されるなどの虐待を母親から受けていたことについて「40年間虐待問題に関わってきたが、これほどの虐待をうけた子は3、4人しか知らない。それほど壮絶な虐待だ」と証言したとのこと。

さらに被告が虐待のトラウマに対する適切な治療を受けた記録がないとして、「適切な治療がされていれば、被告には違う人生があったと思わざるを得ない」と主張したとのこと。その上で専門家は、被告が「特定の養育者との愛着関係=アタッチメント」を形成できなかったことが事件に影響したと指摘したとのこと。

***論告求刑公判(2月1日)***
1)検察側は梯被告に対し懲役11年を求刑したとのこと。

2)検察側は論告で「交際相手に会いたいという気持ちを優先させた」と指摘。「事件以前にも長女を放置し外出を繰り返しており、常習性もある」としたとのこと。

別の報道では
検察側は論告で、「長女が最後までもがき苦しんでなくなったのは一目瞭然」であるとして「交際相手に会いたいという自己の欲求を優先させた身勝手な犯行」と指摘したとのこと。
起訴内容以外にも19回にもわたって長女を放置したまま外出したことも明らかにした上で「育児放棄を常習的に繰り返す中で起こった犯行であることは明らか」としたとのこと。

3)弁護側は「幼少期の壮絶な虐待などが原因で、事件当時は依存・愛情欲求が強い特性などがはたらいていた。懲役5年が相当だ」などと主張したとのこと。

別の報道では
弁護側は、母親からの虐待や施設で育った過去が影響し、「強い愛情欲求があり、交際男性に愛されたい自己が強く出ていた」と述べ、加えて「積極的に傷つける意図はなく、憎しみを抱いていたわけではない」などと情状酌量を求めたとのこと。

4)最終意見陳述
被告は最後に、「後悔しかないです」と涙ながらに語り、裁判は結審したとのこと。

別の報道では
最終意見陳述では「(長女に)ごめんねという思い。後悔しかない」と、涙ながらに語ったとのこと。

***判決公判(2月9日)***
1)東京地裁は、懲役8年の実刑を言い渡した(求刑は懲役11年)

2)東京地裁は、「最もそばにいて欲しかったであろう母親に助けを求めることもできないまま、ひとり衰弱していった長女のつらさと苦しみは、言葉にしがたく、悪質かつ身勝手」などと断罪したとのこと。

部屋には「一定量の食べ物が置かれていた」と認定した。
さらに、交際相手のところに遊びに行く誘いを断れなかった背景には、被告が、子どものころに受けた壮絶な虐待などにより形成された性格が、「複雑に影響を及ぼしている」と指摘。これらの事情を考慮し、懲役11年の求刑に対して、懲役8年を言い渡したとのこと。

別の報道では
裁判長は、被告には過去の虐待などから「人を信頼できず相手に本心を伝えることができない、相手の要求に過剰に応えようとする」性格傾向があり、これが事件に影響したと指摘。その上で「量刑を考える上で一定程度考慮されるべきだが、限りがある」と結論づけたとのこと。

別の報道では
事件前から自宅への放置を繰り返していたという「慣れの影響も大きい」と述べ、「最終的には被告自らが(置き去りを)判断した」と説明した。そのうえで「被告の成育歴は一定程度考慮されるべきだが、考慮の程度には限りがある」と結論付けたとのこと。

こんなところですね。
公判前の報道の印象では、シングルマザーである事が事件の大きな要因かと思っていたのですが、被告の幼少期の壮絶な虐待体験が、事件に影響していたんですね。
よく「虐待の連鎖」とは言われているけれでも、この事件ではちょっとイメージが違いますよね。
なんて言うか、不運の連鎖と言うべきなのかな・・・・

そもそもで言えば、死亡した長女の父親である夫がDVを行うような男性であった事が不運の始まりですよね。
そこから逃げ出して、長女と2人でアルバイト生活を始めたが、経済的に行き詰まり、保育園に通園させられずに、自宅に放置したまま、アルバイトをする事になってしまった。
離婚は想定外だったのでしょうが、シングルマザーで経済的に自立できるだけの能力やスキルが無かったのが2番目の不運ですね。
(シングルマザーで経済的に自立できる女性の方が少数派だと思いますので、想定の範囲内なのかな?あるいは、離婚してシングルマザーになる事を想定すると言う事の方が無理な話なのかもしれませんね。)
そして、交際相手に子供がいると本当の事を言えない性格になってしまったのが3番目の不運でしょうか。

なので、大本は幼少期の凄惨な虐待体験が原因なんですよね。

この虐待体験の結果、嫌と言えない性格になってしまった。

事件当時、被告が24歳で死亡した長女が3歳、だから21歳で結婚、出産しているわけですね。
多分、高校を18歳で卒業しているのだとしたら、高校卒業後3年で結婚、出産していると言う事になりますよね。
この最初の結婚も、この性格の為に断れなかったのかもしれませんね。

では、誰が悪いのって話をすると・・・被告を幼少期に虐待した被告の母親か?となると、それは、事件の17年も前の話なので、直接の責任は無いでしょうね。
で、今回の判決でも「最終的に本人の判断」で行っているわけだから、被告本人が一番悪いよねと言うのは、裁判長の言うとおりだと思います。
だけど、幼少期の凄惨な虐待の結果、こんな性格になってしまって、それが事件に影響しているので、情状は酌量するけど、それにも限度があると言う判決理由もその通りだと思うのだけど・・・ちょっと納得いかない部分がありますよね。

子供の側からしたら、親が幼少期に虐待されていたとしても、それで自分の子を虐待して良い理由にはならないでしょ?
子供にすれば、親自身が自分で解決しなければならない問題なんですよね。

ある意味では、それが放置された結果、起きた事件なんじゃないかな?

では、それを放置した責任は誰にあるのだろう?
本人にあるのだろうか?・・・・しかし、自分の性格が「嫌と言えない性格」なんて言うのは本人が自覚できるかどうかわかりませんよね。
幼少期からその性格なのだから、自分で自分の偏った性格を判断するのは難しいような気がします。

なので、残るはそれを治療や対処しなかった「社会が悪い」って事になるのかな?
現在の児童相談所が被虐待児に対するメンタル面でのケアをどの程度しているのかわからないけど、被告はこの治療をされた記録が無いようです。
虐待の専門家が40年間で3,4人しかいないほど凄惨な虐待を経験している子供に何のケアもされなかった理由が知りたいですね。

だから、この事件を防ぐにはと考えると、根本的な原因の「性格のゆがみ」を矯正する事で、防げたと思うんですよね。
何しろ、小学2年から高校卒業まで10年間を児童養護施設で生活しているので、治療する時間は十分にあったと思うんですよね。

お金が必要なら税金を使ってください。無駄な公共事業などにお金を使うぐらいなら、こちらの対策に使ってもらいたいです。

とは言え、治療する前に、そもそも、被告の母親の虐待がなければ、この事件、起きなかったんじゃないの?って問題は残りますね。

結局はこの二つが重要と言う事になるんでしょうね。
A)児童虐待の早期発見と対応
B)被虐待児童のケアや治療の充実(メンタル面を含む)

でも、これを充実させるには、児童相談所の人員の拡充が必要で、お金が必要になると言うのは間違いなさそうですね。
とは言え、モンスター対応などは、お金だけでは解決できないかもしれませんね。
野田市の事件では親に脅されて、児相が一時保護を解除してるし、学校はアンケートの回答を見せたりしている。このあたりを改善する方法は専門家に考えてもらうしかないかもしれませんね。

亡くなった女児のご冥福をお祈りします。

参考リンク
東京都大田区蒲田3歳女児餓死事件その3(言い訳)
千葉県野田市小4女児虐待死事件その1(一報)

|

« 兵庫県神戸市ヤマト運輸女性刺殺事件その4(一審判決) | トップページ | 沖縄県名護市3歳妹投げ落とし事件(鑑定留置まで) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 兵庫県神戸市ヤマト運輸女性刺殺事件その4(一審判決) | トップページ | 沖縄県名護市3歳妹投げ落とし事件(鑑定留置まで) »