1月27日(木)午後9時ごろ、埼玉県ふじみ野市大井武蔵野の民家で、住人とみられる男が銃を発砲し、訪問したS医師(44)を人質に立てこもる事件が起きている。
県警は約11時間後、民家に突入し、殺人未遂容疑で男を逮捕したとのこと。
S医師(44)は救出されたが、銃で撃たれたとみられ死亡が確認されたとのこと。
県警によると、男は無職男性容疑者(66)。
猟銃を持っていたとみられるとのこと。
S医師らは弔問に訪れていたとのこと。
県警などによると、1月27日午後9時15分ごろ、「バンバンという音がした」と近隣住民から110番があったとのこと。
消防によると、男性理学療法士(41)が玄関先で倒れており、腹と胸を撃たれ重傷だが意識はあるとのこと。
その後、県警東入間署に別の男性(32)が「顔に催涙スプレーのようなものを掛けられた」と駆け込み、搬送されたとのこと。
この男性とS医師、理学療法士ら数人が弔問のため民家を訪れたところ、容疑者とトラブルになったとのこと。
県警の捜査員が民家の固定電話を通じて容疑者の説得に当たったところ容疑者は会話には応じ、S医師について「大丈夫だ。救出してもらいたい」と話したが、S医師と電話をかわることには応じなかったとのこと。
要求はなく、立てこもりの目的は不明とのこと。
1月28日午前8時ごろ、捜査員が突入。容疑者の身柄を確保し、逮捕したとのこと。
現場は東武東上線ふじみ野駅から南西に約2キロ離れた住宅街。
容疑者は、立てこもりのさなかに警察の説得に固定電話で応じていて、「人質は大丈夫だ」「救出してもらいたい」などと話していましたが、人質だったS医師(44)は容疑者に撃たれたとみられ、心肺停止の状態で病院に搬送されましたが、その後、死亡が確認されたとのこと。
人質になった医師、負傷した理学療法士や医療関係者の3人は一緒にこの民家を訪れ、事件に巻き込まれたとみられるとのこと。3人は弔問のために訪れたとの情報があるとのこと。
隣に住む男性住民(91)は2019年3月頃、現場の民家に引っ越してきた容疑者から「お袋の具合が悪くて世話をしているので、町内会などには関われない」とあいさつされたとのこと。
近隣住民らによると、容疑者は2年ほど前、現場となった民家に転居してきたとのこと。寝たきり状態に近い母親の面倒をみながら2人で暮らし、近所付き合いは少なかったとのこと。
現場となった民家の近隣に住む男性は午後9時半前、「ボン」という音を聞いて外に出ると、医療関係者とみられる男性が路上でもがきながらうずくまっていた。腹や胸の辺りに血が流れているのが見えたとのこと。
県警によると、28日朝に県警の捜査員が容疑者宅に突入した際、S医師は和室で、散弾銃で胸を撃たれた状態で倒れており、死亡が確認されたとのこと。容疑者は同じ部屋のベッドと吹き出し窓の間に隠れており、ベッドの上に散弾銃が置かれていたとのこと。
逮捕容疑は27日午後9時ごろ、殺意を持ってS医師に猟銃を発射した疑い。
同15分ごろ、「バンバンという音がした」と近隣住民から110番があり、理学療法士が玄関前で血を流して倒れていた。同25分ごろ、「顔に催涙スプレーのようなものを掛けられた」と別の男性が同署に駆け込み、病院に搬送されたとのこと。
容疑者は散弾銃を2丁所持しており、いずれも県警に届け出ていたとのこと。
警察によると容疑者は当日、理由をつけてS医師とS医師のクリニックの関係者6人を呼び出し、犯行に及んでいたとのこと。
S医師は胸を1発撃たれていて、心肺停止の状態で救急搬送されましたが、その後、死亡が確認されたとのこと。
容疑者の母親は1月26日に亡くなり、S医師が死亡確認をしていましたが、容疑者がS医師らとの間に何らかのトラブルがあり、散弾銃で撃ったとみられているとのこと。
S医師を人質に立てこもっていた和室のベッドには、26日に亡くなった容疑者の母の遺体とともに散弾銃も置かれていたとのこと。
地元医師会によると、容疑者は1人で母親を介護。昨年1月中旬ごろからS医師のクリニックの在宅医療に意見が合わず、約15回にわたり、相談を繰り返していたとのこと。
母親が亡くなる直前の1月24日にも「状態があまりよくない、食べられなくなった」とする訴えを寄せていたとのこと。
医師会によると、S医師は、ふじみ野、富士見両市と三芳町の患者約300人を担当していたとのこと。
容疑者の母親が2年前まで10年以上通った病院の関係者によると
「お母さんのことになると感情の歯止めがきかず、度々医師やスタッフにくってかかる人でした」とのこと。
県警によると、S医師は92歳になる容疑者の母親を診療し、26日に死亡確認をしていた。27日はS医師が呼び出される形で容疑者の自宅を訪れ、事件に巻き込まれたとみられるとのこと。
容疑者から(医師会に)最後に電話があったのは1月24日とのこと。
私が話を整理して、『もう1回先生と話をしてみたら』と伝えると、『そうですか、聞いてみます』と素直に答えていましたよ。激高したりする様子もなく、淡々と話していたとのこと。
容疑者の自宅からは、散弾銃が2丁押収された。いずれも、クレー射撃などの目的で、許可を得て所持していたもとのこと。
容疑者が、散弾銃を複数回発砲し、S医師は、至近距離から撃たれていたとのこと。埼玉県警は、最初から、危害を加える目的で、S医師らを呼び出した可能性もあるとみて、動機などを追及しているとのこと。
県警は1月29日、容疑を殺人に切り替えて、容疑者をさいたま地検へ送検した。当初は県警の調べに対して黙秘していたとのこと。
殺人未遂容疑で逮捕された無職、容疑者(66)が「母が死んでしまい、この先いいことはないと思った。自殺しようと思った時に、先生やクリニックの人を殺そうと考えていた」と供述しているとのこと。
司法解剖の結果、人質になっていたS医師(44)の死因は心破裂と判明。散弾銃の銃弾1発を至近距離から胸に受け即死したとみられるとのこと。
S医師の遺体は動かされておらず、倒れていた1階玄関わきの部屋で撃たれたとみられるとのこと。
容疑者は自宅に2丁の散弾銃を所持していたが、それぞれ2000年と2008年に所持が認められ、2020年11月には更新手続きを行っていたことが判明しているとのこと。
容疑者の母親は他のクリニックで受け入れを断られ、S医師のクリニックが5~6年前から母親の訪問介護などを行っていた。容疑者はスタッフに対してクレームや罵声を浴びせることがあったとのこと。
事件は寝たきりの状態だった容疑者の母親が26日午後4時ごろに死亡したことがきっかけとなったとみられる。容疑者は母親の死亡を確認したS医師らに「焼香に来てほしい」と頼み、さらに介護などに関わった在宅医療クリニックのスタッフの名前を挙げて焼香を求めたとのこと。
27日午後9時ごろ、S医師ら7人が自宅を訪れると、母親の遺体がベッドに安置された6畳間に招き入れて「心臓マッサージをしてほしい」と蘇生措置を求めたとのこと。死亡確認から1日以上たっており、S医師は丁寧に説明して応じなかったとのこと。容疑者は持ち出した散弾銃でS医師に発砲し、理学療法士の男性(41)にも発砲、医療相談員の男性に催涙スプレーをかけ、別の医療相談員にも発砲したと供述しているとのこと。
2000年に散弾銃を販売した店の店主によると
「レミントンM870。中古を買っていただいたので6万か6万5000円の銃ですよ」
店主によると、容疑者は「失業し、お金が払えなくなった」として、代金およそ6万円のうち頭金の2万円しか支払わなかったとのこと。また、捜査関係者によりますと、押収された散弾銃2丁のうち1丁はレミントン製で、2000年に届け出が出されていたとのこと。
容疑者は自宅を訪れたS医師ら2人を撃ったあと、医療相談員に向けても発砲したと供述していますが、捜査関係者によると、2人を撃ったあと催涙スプレーをかけた医療相談員に銃を奪い取られていて、別の散弾銃でもうひとりの医療相談員に向けて撃ったとみられるとのこと。
S医師が撃たれたのは1階玄関脇の部屋で、警察は容疑者があらかじめ2階の銃保管庫から散弾銃2丁を手元に準備していたとみているとのこと。
容疑者の知人によると
容疑者の生活は、本当にお母さん中心でした。お母さんに呼ばれると、話をしている最中でも、そばへ行く。日当たりの良い部屋にお母さんのベッドを置いて、心配なので自分も同じ部屋で寝ると話していたとのこと。
男が事件当日、在宅介護サービスの事業者にも電話をかけ、自宅に呼び出そうとしていたとのこと。
立てこもり事件当日の昼過ぎ。介護サービスの事業者に電話がかかってきたとのこと。
「母が死んで今までのことを謝りたい、払ってないお金を払いたい、線香だけでもあげにきてほしい」
この事業者は、かつて、母親の在宅介護のサービスを請け負っていましたが、容疑者から「寝たきりの母を歩けるようにしろ」など理不尽な要求をされたり、ものを投げつけられたりしたため、サービス継続を断っていたとのこと。
容疑者は、20年ほど前まで東京・江戸川区の都営団地で、まだ元気だった実母と2~3歳くらいの子供と同居していた。妻と思しき外国人風の女性も出入りしていたとのこと。
当時を知る住民によると
「よく借金取りが訪れて、ドアには蹴られた跡が残っていた。ある時、容疑者が“エアガンを2千円でいいから買ってくれないか”と言うので応じたら、電気代が払えると喜んでいた。いつしか子供の姿も見なくなったので、奥さんが引き取っていったのかなと思いました」とのこと。
容疑者は10年程前から埼玉県内を転々とする、地元の不動産関係者によると
「普段は日雇い仕事をやるような作業着姿で、所沢の物流会社に勤めていると……。介護中心の生活で定職に就けず、頼みは母親の年金だけと言っていたね。家賃の保証会社に40万円を滞納し、強制執行で追い出されたこともあった」とのこと。
現在の自宅は家賃月5万円ほどの借家で、母親とともに生活保護を受けていたとのこと。
付き合いのあった近所の住民によると。
「1人あたり10万円を切る程度もらっていて、ここへ来る前から生活保護を受けていたんじゃないかな。彼らは家財道具や何やら物が多い人たちで、アパートやマンションだと入りきらないから、一戸建てを借りたんだと思います。築50年弱で古いんですけどね」とのこと。
容疑者は、2丁の散弾銃を持っていたが、その後の調べで、容疑者が散弾のほかに、殺傷能力が高い別の種類の銃弾を使用した可能性があるとのこと。
S医師は、至近距離で撃たれ、弾は体を貫通していて、警察は、強い殺意があったとみて調べているとのこと。
2月18日、容疑者(66)を殺人未遂容疑で再逮捕した。
発表によると、容疑者は1月27日午後9時頃、自宅に呼び出した理学療法士の男性(41)の上半身を散弾銃で撃ち、殺害しようとした疑い。男性は重傷を負ったが、一命をとりとめた。県警幹部によると、調べに「殺意はなかった」と容疑を否認しているとのこと。
警察は容疑者の自宅から散弾銃の弾丸百数十発のほか、サバイバルナイフなど数十本を押収しているとのこと。
取り調べに対し「殺すつもりはなかった。人に向けて撃ったのは間違いない」と容疑を否認しているとのこと。
さいたま地検は容疑者の刑事責任能力を調べるため、3月3日からおよそ3か月間の鑑定留置を始めたことを明らかにしたとのこと。
時系列
2000年 1丁目の散弾銃の所持が認められる、レミントンM870を購入するが失業により、代金の一部未納
2008年 2丁目の散弾銃の所持が認められる
2012年頃 埼玉県内を転々としはじめる。
2017年頃? 容疑者の母親をS医師のクリニックで訪問介護を行う。
2019年03月頃 容疑者一家が現場住宅に転居してきた。
2020年11月 散弾銃所持許可の更新手続きを行う
2022年
01月24日 容疑者が医師会に電話で相談
01月26日
16:00頃 容疑者の母親が死亡、S医師が死亡確認
01月27日
21:15頃 「バンバンと言う音がした」と近隣住民が110番通報。
21:25頃 市入間署に男性(32)が催涙スプレーのような物を掛けられたと駆け込む
01月28日
08:00頃 捜査員が突入、容疑者を逮捕、S医師は心肺停止の状態で搬送
01月29日 容疑を殺人に変えて送検
02月18日 理学療法士への殺人未遂容疑で再逮捕
03月03日 鑑定留置を開始(3ヶ月の予定)
被害者と被害状況
S医師(44) :死亡
理学療法士(41) :腹と胸を撃たれた重傷
医療関係男性(32):顔に催涙スプレーのような物を掛けられる(軽傷)
現場に向かったのが7名なので、残りの4名は無傷だったと思われます。
こんな事件ですね。
ちょっと、いろいろとわからない事が多い事件ですね。
自暴自棄になって、誰かを殺して、自分も死ぬと言う事件が時々おきますが、この事件では、容疑者は自殺する時間が十分にあったのに、自殺はしてないんですよね。
それどころか、どうも、警察が突入時には「容疑者は同じ部屋のベッドと吹き出し窓の間に隠れていた」と言うあたりが、本当に覚悟の上での事件だったのか?と言う疑問がありますね。
それから、生活保護を受けていたようで、2人で20万弱の生活費があったようですが、当然ながら生活は苦しかったように見えます。
それなのに、サバイバルナイフや散弾銃2丁と散弾銃の弾丸が百発以上も所有していたと言うのが、ちょっと解せないです。
購入した時期は20年も前かもしれないけど、その頃から銃の代金が一部未納と言う話も出ていたり、生活は安定していないようなんですよね。
この10年ぐらいでも家賃を滞納して強制退去と言う話もあったりするのだけど、それでも、猟銃2丁を手放してないのはなぜなんだろう?
そもそも、母親の介護で四六時中、母親から離れない生活をしているのに、クレー射撃を楽しむ時間もお金も無いと思うんですよね。
このあたりを考えると、いつかはわからないけど、いつか何らかの事件が起きるかもしれないと言う予感が容疑者にはあったのかもしれませんね。
で最大の謎は「母親が亡くなったから、自分も死のうと思った」と言う理由ですね。
常識的に考えれば、そんな事をする理由が無いですね。さすがに90歳の親が亡くなるならそれは老衰と言って良い話で、誰もが理解して覚悟している事だと思います。
本来なら、母親と自分は別人格で、生活もそれぞれあるわけだから、母親が亡くなったとしても、自分の人生を生きれば良いだけの話なんです。
なので、逆に考えると、「母親が亡くなると、自分が生活する事ができない」と言う状況になってしまうと言うのであれば、わからなくもないかな。
2人で20万弱の年金があったから生活できたけど、1人で10万円程度の生活保護では生活できないと言う事なのかな?
このあたりは、本人に聞かないとわからないですね。
公判でもう少し詳しい情報が出てくると思うのですが、この事件を防ぐには?と言う点で言うと、上の話の更に逆で「自分で経済的に自立した生活をすること」なんだろうと思います。
若い時期に定職について経済的に自立していれば、母親を老人施設にあずける事もできただろうし、子供とも離れる事は無かったんじゃないかな?
結局のところ、母親中心の介護生活で、介護する母親が亡くなれば、生きる目的も同時に無くしてしまって燃え尽き症候群になったのではないかな?
もし、そこに自分の人生や生活があれば、母親が亡くなっても、自分の人生を続ける事ができたのだと思うのですが・・・・
介護される母親は息子の人生をどう思っていたのでしょうね?
続報を待ちましょう。
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