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2022/11/04

佐賀県鳥栖市79歳女性殺害事件その2(一審判決確定)

一審判決は懲役24年(求刑:懲役25年)で、22年11月1日に刑が確定しています。

公判情報の前に書き残していた続報です。
1)佐賀地検は9月27日から鑑定留置を行っていましたが13日付で終了したと発表しました。容疑者の刑事責任能力があるかどうかについて佐賀地検は「コメントを差し控える」としています。

容疑者は逮捕後の警察の調べに対し「確定的な殺意まではなかった」と容疑を一部否認していますが、捜査関係者によると逮捕前の任意の調べでは「誰かを殺すつもりだった」と話していたとのこと。(21年12月13日報道)

2)佐賀地検は21年12月17日、学生を殺人の罪で起訴した。(21年12月17日報道)
被告を起訴した理由について、佐賀地検は「証拠を総合的に検討した結果、刑事責任を問えると判断した」と説明しているとのこと。

3)警察は長崎大学の大学生の男を建造物損壊などの疑いで再逮捕した。
警察によると容疑者は、去年9月長崎市柳谷町の住宅の軒先にあった発泡スチロールの箱に火をつけ玄関などを焼損させた建造物損壊の疑いと、自宅アパートのベッド付近に火をつけ燃やした非現住建造物等放火の疑いが持たれている。調べに対し概ね容疑を認めているとのこと。(22年1月6日報道)

4)佐賀県鳥栖市で面識のない高齢女性を殺害した罪で逮捕・起訴され、長崎市の自宅アパートと近くの住宅に放火した疑いで6日に再逮捕された長崎大学生の被告(25)が22年1月7日、送検されたとのこと。(22年1月7日報道)

5)佐賀県で高齢の女性を殺害したとして殺人の罪で起訴されている長崎大学の男子学生が、長崎市の住宅などに火をつけたとして放火などの罪で追起訴されました。(22年1月28日報道)

6)起訴を受け長崎大学は、22年2月21日退学処分を決定し、22日本人に接見して直接通知したという。長崎大学は「学生の倫理意識の向上や健やかな心身醸成のために適切な教育に努める」とコメントを発表しているとのこと。(22年2月23日報道)
別の報道では
大学は「本人が身柄を拘束されていたため、懲戒処分の手続きに時間を要した」としています。理事(学生・国際担当)は「今後も学生の倫理意識の向上や健やかな心身醸成を旨とし、適切な教育に努める」としているとのこと。

時系列
2021年
09月09日
21:40  容疑者の自宅で火災が発生
容疑者が長崎県から福岡市に電車で移動し、市内で宿泊
09月10日
容疑者が福岡市で凶器のハンマーを購入、着替えも用意した。
容疑者が福岡市から鳥栖市の現場にタクシーや徒歩で移動
午前   被害者女性が一人で除草作業をする。
13:00頃 事件発生
13:10頃 近隣住民が119番通報
容疑者が福岡市に戻り宿泊、その後、電車で大分市に向かう。
09月13日
12:00頃 大分中央署に自首
09月14日 殺人容疑で逮捕
09月15日 殺人容疑で送検
09月27日 鑑定留置開始
12月13日 鑑定留置終了
12月17日 殺人罪で起訴
2022年
01月06日 放火の疑いで再逮捕
01月07日 放火で送検
01月28日 放火で追起訴
02月21日 長崎大学が退学処分を決定

***初公判(10月17日)***
1)被告は「すべて間違いありません」と起訴内容を認めたとのこと。

2)弁護側は起訴内容は争わないものの、「本人に精神障害があったほか、自首が成立する」と主張したとのこと。

3)検察の冒頭陳述などによりますと、被告は「大学の留年が確定した上に、研究室での発表役だったのに前日までに一切準備できておらず、現実から逃げたいと部屋などに火を放った。長崎に戻れないので刑務所に行くために、大きな罪を犯してやろうと人気のないところでひとりの人を探していた」などと犯行に至る経緯を明らかにしたとのこと。

別の報道では
検察側は「大学の留年が確定的となり、刑務所に入るような重い罪を犯せば長崎での大学生活から逃れられると考え犯行を決意した。通りがかった家の庭で草刈りをしていた被害者を殺害した無差別の通り魔殺人だ」と主張したとのこと。

精神障害については、検察側が「病名が付くものではなく傾向に留まるもので限定的」としたとのこと。

弁護側は「犯行に至る過程で少なくない影響を与えているのは事実」だとして、生まれ持った障害と事件の特性を考慮した量刑判断を求めたとのこと。

4)起訴状などによりますと、元長崎大学生の被告26歳は2021年9月、鳥栖市で面識のない当時79歳の女性の頭をハンマーで殴り殺害したとして、殺人などの罪に問われている。
被告は、女性を殺害する前日、長崎市内の自宅アパートや住宅の前に置かれていた箱に火をつけたとして、建造物等以外放火と建造物損壊の罪にも問われているとのこと。

5)被告人質問で被告は「留年や研究室のディスカッションという現実を受け入れるのが嫌になった」「刑務所を居場所にしようと考えた。長くそこに居続けるためには人を襲うしかないと思った。」などと証言しています。

6)被告は殺人事件の前日、長崎市の自宅アパートなどに火をつけたとして、建造物損壊や放火の罪にも問われている。

被告は火をつけた理由について「現実を受け入れるのが嫌で、すべてが燃えて、自分の居場所がなくなるのがいいと思った。放火して帰る場所もなく、八方塞がりの状況になって、自分の居場所は刑務所しかない。人を襲うしかないと思った」と話したとのこと。

一方で、事件後に逃走していた時の心情を問われると「命までは奪いたくないと思っていたので、被害者には死んでほしくないと思っていました」と話したとのこと。

縁もゆかりもない佐賀県鳥栖市で事件を起こしたことについては「長崎から博多に向かう特急で通過した時、田舎の雰囲気があったから」と話し、人けが少ないところを探していたことを明らかにしたとのこと。

7)「自分が本当に何の面識もない人の頭を何度も殴ったことに、現実を受け止めきれなくなって怖くなり逃げた」

「あちこち逃げ続けても何の意味もないと思い被害者の安否も気になっていたので自首をした」と話したとのこと。

8)被害者の夫のコメントも読み上げられ「心残りは最期の言葉が聞けなかったことだ。しっかりと反省してほしい。それ相応の重い罪となることを希望する」と訴えたとのこと。

***第二回公判(10月18日)***
証人尋問
精神鑑定を担当した医師
精神鑑定をした医師は被告について「自閉スペクトラム症の傾向があるが、それが原因で犯罪という結果とは考えていない。犯行に直接的に影響があったとは言えない」などと証言したとのこと。

別の報道では
「つらい現実から逃れたい」と自宅内外に火を付けたり、人を襲ったりした犯行は、想像力の欠如などの精神障害の特性がみられるものの「幻覚妄想などの病的心理とは言いがたい」などと説明したとのこと。

被告の父親(弁護側の証人)
「私の息子が行った行為で、愛する家族を突然失った気持ちは想像を絶する。悲しみや苦しみを考えると胸が裂かれる思いです」と涙ながらに語ったとのこと。

一方、被告に対しては「刑を受けても一生罪は消えない。一生償っていかなくてはいけない」と話したとのこと。

被告人質問
検察の「人を襲おうと考えたのは過去にもあった?」という質問に、被告は「2浪のとき、計画しました」と答え、「具体的にどんな計画を?」という問いには「台所の包丁を持って外に出て、誰か会った人を襲おうと考えていました」と答えたとのこと。

別の報道では
父親がかつて医者を目指していたことから、医学部に受かれば喜んでくれると思い、当初は(医学部への)進学を目指していた。ただ、父親に逆らうことができず、高校時代は親から「勉強の支障になる」と部活動をさせてもらうこともできなかったとのこと。(括弧部分はASKAの補足)

高校卒業後、3年間の浪人を経て長崎大薬学部に進学。浪人時代には父親から文句を言われて怒りを抑えられず、他人を傷つけようと思ったこともあったといい、計画まで立てたが実行には至らなかったとのこと。

別の報道では
裁判長が「計画と言うが、紙に書いたり、行動したりしたのか」と問うと、「頭の中で考えた」と述べ、行動には移さなかったとしたとのこと。

被告は「その時に、人を襲う思考回路が作られたかもしれない」と振り返った一方、「(被害者が)死ぬまで殴ろうとは思っていなかった」とも述べたとのこと。

別の報道では
証人で出廷した父親は「親の言うことを聞くいい子」と振り返った。一人息子が「自立して生きていけるように」と時には厳しく接した。センター試験前に寝てばかりと感じ、「ちゃんと勉強しろ」と叱ったが、反抗されなかったとのこと。

その日の出来事について、被告は被告人質問で、「怒りを抑えられなくなり、包丁で人を襲おうと計画した」「このときに人を襲う思考回路が作られたかもしれない」と述べた。大学留年は怖くて打ち明けなかったとのこと。

父親は法廷で「ともに罪を償いたい」と涙ながらに語りかけた。その姿を無表情で見つめた被告は「親への気持ちが分からない」と言ったとのこと。

***論告求刑公判(10月20日)***
1)被告人質問
被告は事件について「もっとほかの選択肢がとれなかったのかなと常に思っています」と話した上で、弁護側から後悔しているか尋ねられ「今は後悔してます」と答えたとのこと。
また、検察側からも「遺族に対して申し訳ないと思っているか」と尋ねられると、「それは思ってます」と答えたとのこと。

別の報道では
「親以外のすべてを失った。今は後悔している」と話したとのこと。

2)検察は「被告の反社会性は極めて深刻、反省が不十分」などと指摘。
弁護側が主張した被告の精神障害については「犯行自体に直接的影響はなく、あっても限定的」として、懲役25年を求刑したとのこと。

別の報道では
「誰もが被害者になる無差別通り魔殺人であった」と指摘。その上で「被告に障害の傾向があるとしても残忍で残酷な殺害方法で計画性を有していて再犯の可能性も高い」として懲役25年を求刑したとのこと。

別の報道では
検察側は「安易かつ身勝手で残酷な犯行。現実逃避はいまなお続いていて再犯の可能性が高い。」として、懲役25年を求刑したとんここと。

3)弁護側は「行為を制御する能力に一定の影響があった」とした上で、「自首が成立する」などと主張し懲役20年が相当との意見を述べたとのこと。

別の報道では
被告の精神障害が「犯罪行為に一定程度の影響を与えた」などとして懲役20年が相当であると主張したとのこと。

4)被告は最終陳述で「自分のしたことは決して許されないことです。被害者ご遺族の方には申し訳ない気持ちしかありません」などと謝罪し、最後に遺族のほうに向かって5秒ほど頭を下げたとのこと。

5)被告は裁判長から言いたいことはあるかと尋ねられると、「どんな判決が出ても粛々と償っていくつもりです」と答えたとのこと。

6)意見陳述を行った被害者の長女は「事件当時、母は好意で隣の家の草むしりをしていました。どれだけ怖い思い、痛い思いをしたかと思うと胸が締め付けられます。被告人を決して許せません」と述べたとのこと。

別の報道では
「被告を許せない。二度と社会に出てきてほしくない。正しい判決を望みます」と話したとのこと。

***判決公判(10月25日)***
1)裁判長は「残忍な、無関係の人を狙った通り魔的犯行。刑務所に入るしかないなどと考えて犯行に及びあまりに身勝手」と指摘。その上で「反省が深まってるといえないにせよ、事件を後悔し、罪を償いたいという気持ちは見て取れる」などとして、被告に対し懲役24年の判決を言い渡したとのこと。

2)裁判長は「大学の留年が確実になるなどとして精神的に追い詰められ犯行に及んだが無関係の人を襲った理由としては余りに身勝手。被告人が犯行を決意したこと自体に精神障害が直接的な影響を与えたわけではなく、状況を十分に理解して行動していた。精神障害を考慮するとしても自ずと限界がある」としたほか、自首については「事件から3日後で刑を特に軽くする事情とまでは評価できない。被告人に対しては相当長期間の実刑をもって臨むほかない」などとして判決理由を述べたとのこと。

別の報道では
裁判長は、被告人の反省が深まっているとは言えないが被告人なりに事件を後悔し罪を償いたいと見て取れるとして懲役25年の求刑に対し、懲役24年の実刑判決を言い渡したとのこと。

別の報道では
裁判長は判決理由で、大学の留年が確実になるなどして追い詰められ、刑務所に入るしかないと考えた動機は「あまりに身勝手」と非難した。「防ぎようのない犯行の悪質性は量刑で特に重視すべき」と指摘したとのこと。

3)最後に裁判長は、「服役の期間はあなたにとって短くはないが、被害者や遺族の痛み悲しみについて深く考え罪を償う期間にしてください」と被告に話したとのこと。

4)裁判長は言い渡しで「両親の存在が更生の支えとなるまでには時間がかかる」とした。

***判決確定(11月2日)***
控訴期限は11月8日でしたが、検察も被告の弁護側も控訴しないことを決め、1審の懲役24年の判決が確定したとのこと。

別の報道では
控訴期限は今月8日までとなっていましたが、佐賀地裁によりますと、被告側と検察側の双方が1日までに“控訴の権利を放棄”したことから、被告の刑が確定したとのこと。

こんなところですね。
事件発覚当初は犯人の行動がどうもちぐはぐな印象でしたが、事件の経緯を見ると、奥の深い事件だったのだなと感じますね。
結局のところ、動機は刑務所に行きたいという現実逃避なんですよね。
この手の事件の代表選手みたいな物としては、生活に困窮して「刑務所で生活したい」とか「刑務所なら衣食住が保証される」と言う場合が多いですね。
これは、生活する為の手段として選択される物で、他に生活の手段があるのであれば、こんな事は考えないでしょうね。

この事件の場合は同じ「刑務所に行きたい」と言う理由だけど、そもそもの原因は2つ可能性が考えられると思う。
A)「大学に留年した事を父親に話せずに、社会から隔絶された刑務所に行きたい」
B)「大学生活から離れる為に、社会から隔絶された刑務所に行きたい」

まー父親に話せないなら、大学生活を止めたいと言う話にはならないと思います。
そうすると、「大学生活自体が自分には合わないけど、大学を辞める事は父親が許さない」から刑務所に行きたいと言う事なのかな?

刑務所に行くには罪を犯さなければ成らず、しかも、長期間刑務所に入るにはそれなりに重い罪である必要があると言う事なんですよね。

その結果、人気の無い場所で79歳の女性を襲う事となったわけです。

本人も公判中に証言してますが、「他に方法が無かったのか?」と言うのは誰でも感じる疑問だと思います。
精神障害(アスペルガー症候群)があったと言われてますが、精神鑑定では「事件に直接の影響は無かった」と鑑定医が証言してますね。
(病名が付くほどではなく、その傾向があると言う程度なので、性格とか個性と言える部分かもしれません)

私の勝手な解釈ですが、父親との親子関係がもっと別の形であったなら、この事件は起きなかったかもれいないという印象を持っています。

まー正直に「勉強は自分には向いてないから、大学を辞めたい」って話せれば、この事件は起きなかったと思います。
その結果、親子関係が決定的に断絶したとしても、それならそれで、大学を辞めて、自立して生活しますって宣言する事もできたと思うんですよね。

それができないから事件になってしまったわけですが、まー本人は家を出て、自立すると言う決断ができないような心理状態だったのかもしれませんね。

大学浪人中に父親が厳しく指導したが、特に反抗する事もなく、「素直な良い子」と父親には思われていた。
だけど、本人は内心では「事件を起こしてやろう」と強く思っていて、この頃には目に見えないところで、親子の断絶と言うか、確執みたいな物がかなり悪化していたんですよね。

この時も「家出」とかを考えるわけでもなく、「事件を起こす」なんですよね。
私の勝手な推測ですが、被告本人はかなり以前から「この親子関係を自力で変える事はできない」と無意識に感じていたのではないだろうか?
共依存なのか?あるいは、何らかの理由で精神的な二重拘束のような状態で「すごく嫌だけど止められない(反抗できない)」と言う状態に陥っていたのではないか?と推測しています。

そういった苦しい精神状態で、ここから逃げられないと言う諦めの中、医学部を諦めて薬学部に進学して、学生生活を続けていたのだろうと推測します。
まーそんな精神状態で勉強に集中できるとも思えないので、当然のように「留年」になってしまったんでしょうね。

で、留年を父親に話す事ができないのが最後のダメ押しになって、事件を決意したと言うあたりでしょうか。

大学生活を辞めたい理由がはっきりしませんね。可能性としては
1)そもそも学力がない、勉強に向いていない。
2)他にやりたい事がある。
3)親の期待に応える為に勉強するのが辛い
と言うあたりでしょうか。

成績についての情報がないけど、
容疑者の男は沖縄本島中部の中学校を卒業していた。
容疑者はサッカー部に所属。生徒会にも入り、成績優秀だった。トラブルを起こす様子もなく、柔らかい口調で話すのが印象的だったという。
と言う情報がありますね。

まー入試で合格しているので、それなりの学力はあったはずなんですけど・・・留年の原因はなんなのかな?
と思って調べたら
判決などによると、被告は、英語の単位不足で大学留年が確定的になり・・・と言うのがありましたね。

単位不足の理由が分からないのですが・・・
長崎大学薬学部の履修規定を見ると
--------------
第13条 授業科目の単位の認定は,考査の結果に基づいて行う。
第14条 考査は,試験,論文,報告書その他の方法により行うものとする。

2 試験は,各学期末又は学期を前半及び後半に分けて授業科目を開設した場合は,その期間の末に期日を定めて行う。ただし,授業科目によっては,随時試験を行うことがある。

3 授業に出席した時数が授業を行った時数の3分の2に達しない授業科目については,受験資格を認めない。ただし,忌引,病気その他やむを得ない理由のため欠席した者が所定の証明書等を添えて欠席届を提出したときは,当該欠席時数について考慮することがある。
--------------
試験の結果が悪かったにせよ、出席日数が足りなかったにせよ、結局は本人の努力不足が原因と言う事かな。

これだけでは何とも言えないのですが、結局は勉強する意欲(モチベーション)が持てずに、努力する事ができなかったと言う事なのかな?
だとしたら、2)とか3)の可能性はありますね。

だけど、大学に入学して、無事卒業する事ができれば、そこに親子関係がどうのと言う話は出てこないんですよね。
少なくとも、大学に在学している期間は、浪人時代とは違って親から強く干渉される事も無いと思うんですよね。
つまり、大学の勉強をちゃんとしてさえいれば、それ以外は自分の自由が保障されていたのではないか?と思うのですが・・・・

だとしたら、親子関係が原因で勉強に集中できないと言う事は無いのではないか?と思うのですが・・・
すると3)で「親のいいなりになる人生に疑問を持ってしまった」と言うあたりなのかな?

仮にそうだったとしても、そこから、「事件を起こして刑務所に行く」が飛躍しすぎで、結局は「父親に留年を話せない」が「事件の引き金」と言う事なのかな?

と色々あれこれ考えた結果、この事件を防ぐ方法としては
あ)親子関係の構築
これは早い時期(幼少期)から始めないとダメでしょうね。少なくとも、自分の言いたいことが言える親子関係が必要だと思います。

い)将来設計(人生設計)の話を調整する。
親には親の、子供には子供の希望があるでしょうから、そこは話し合って折り合いをつけないといけないですよね。
とは言え、そこでは自分の意見を言える環境が必要なので、あ)が前提状態になりますね。

う)勉強する事、大学へ行くことの意味の調整
あ)や(い)が成功しなかった場合で、親の指示のまま大学に進学する場合では、進学する事、勉強する事の意味を話し合って納得させる事が必要ですね。
でも、ここはかなり難しい部分ではあると思うんです。
結局、本人がやりたくないことを我慢してやると、将来こんなメリットがあると言う話なので、そのメリットが本人にとって価値がないとこれは成功しないですよね。
子供は当然ながら、社会経験が無いわけで、社会で自立して生活する事がどんなに大変なのか?なんて事は分かりませんからね。
「世の中って実際はこうなんだよ」って話から始めないといけないので、実際に子供の心に刺さるか難しいかもしれませんね。

え)留年しても卒業できれば、なんとかなるよ。
最終的にあ)い)う)の全てが失敗した場合でも、最後に「留年しても卒業できればなんとかなるから」と言う話をしておけば、最悪、事件は防げたかもしれませんね。

ここまでは、親子関係を軸に考えた場合ですね。
次は本人に焦点をあてて考えると・・・

a)身近に相談できる人を作る。
一言でいえば、友人を作ると言う事でしょうか。そもそも、誰かに相談していれば、こんな方法がダメだって事は分かったはずなんですよね。
それに、ただ話すだけでも、かなり楽になったのではないか?と思うんですけどね。
その結果、親子関係についても発想の転換とか、新たな気づきなどが生まれれば、親子関係の改善の糸口も見つかったかもしれませんね。

b)自分を縛らない性格(人格)にする
私の印象ですが、被告人は真面目で自分で決めたルールを守る事に固執するタイプなんじゃないかと考えていてます。
医師を目指したのは親が喜ぶからですよね。留年を話せないのも、親の期待を裏切るからだと思うんです。
それは、結局、自分や誰かが決めたルールに自分が縛られていて、柔軟な思考ができない性格になっているからなんじゃないかと思っています。

なので、物事の受け止め方を変える認知(行動)療法で少しずつ考え方を変える事ができれば、この事件は防げたのではないか?と思うんです。
ただし、問題は本人が自分の思考の歪みを自覚できるのか?と言うところにあって、本人がなんらかの「生きづらさ」やストレスを感じないと、メンタルクリニック等を受診する事も思いつかないと思うんですよね。

その意味でも、親しい友人がいれば、このあたり話題になるかもしれないのですが・・・「おまえって頑固だよね」とか「変わってるね」とかね。
あるいは、友人の影響で、柔軟な思考ができるような変化が期待できるかもしれませんね。「それでいいんだ」とかね。

本人ができる事は、これぐらいしかないかもしれませんね。

何もしなければ、事件が起きるのは時間の問題だったと思います。浪人時代も、もし卒業できたとしても、何らかの切っ掛けで現実逃避しようとすれば、事件を起こしているでしょうね。

結局、教育は難しいですねってところが結論かな。
親が子供の為を思って指導する事は間違ってないんです。
この事件でも、医学部や薬学部に進学して卒業、その方面に就職できれば、おそらくは将来的に生活に困るような事にはならないでしょう?
ただ、本人がそれをどのぐらい望んでいたのか?が難しいところですね。本人が親の期待に忖度して、望んでいるような演技をしていた可能性もあるので、外見では心の内は分からないですね。
まー本音で話合える親子関係と言うのが理想なんでしょうね。

最後に亡くなった女性のご冥福をお祈りします。

参考リンク
佐賀県鳥栖市79歳女性殺害事件その1(鑑定留置まで)

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