兵庫県神戸市高2男子殺害事件その10(一審判決)
一審判決は懲役18年(求刑:懲役20年)
被告は少年法に基づき、匿名で審理される。
***初公判(23年6月7日)***
1)起訴状などによると、被告は平成22年10月4日午後10時45分ごろ、神戸市北区の路上で、被害者男性を折りたたみ式ナイフで多数回突き刺すなどし、失血死させたとされる。
2)被告は「刺したことは間違いないが、殺すつもりはなかった」と殺意を否認したとのこと。
3)検察側は冒頭陳述で、被告は高校時代に交際していた女性が好む容姿の男性に憎しみを持つようになり、見た目が似ていると思った被害者に危害を加えたと指摘。「逃げる被害者を追いかけてナイフで複数回刺している」などとして殺意はあったとし、2度の精神鑑定の結果から「完全責任能力はあった」と主張したとのこと。
別の報道では
検察側は、青森県で高校に通っていた被告が交際相手を巡るトラブルなどで退学し、事件の半年前に神戸の祖母宅に移り住んだと指摘。交際相手への怒りを募らせる中で、交際相手が好むような雰囲気の若者に憎しみを抱き、事件当日、路上で被害者を見かけて殺害に至ったと主張したとのこと。
検察側は争点について、「(鎖骨付近を)多数回突き刺すなどの行為は死亡させる危険性が高いとわかっていた」として殺意があったと指摘。精神科医の鑑定結果などから「完全な刑事責任能力はあった」としたとのこと。
4)弁護側は、客観的事実は争わない一方、「当時は幻聴や妄想に支配され、事件直前には『しばいたろか』という声が届き、自分に危険が迫っていると思い込んでいた」と述べ、善悪を判断する能力が低下した心神耗弱状態だったと主張したとのこと。
5)被告の父親の証人尋問:
被害者の父(64)が被害者参加制度を使って質問。「なぜこれまで謝罪がなかったのか」と問うと、被告の父親は「(遺族の)憎悪をさらに増幅させると思った」などと答えたとのこと。
***第二回公判(23年6月8日)***
被告人質問
1)弁護側からの質問で、事件前に青森県から現場近くの祖母宅に引っ越し、「孤独を感じていた」と説明。「イライラを沈めるため、自分が生きているか分からない時がありカッターナイフで腕を切っていた」と語ったとのこと。
また、事件前に大学病院の精神科を受診した際、「『どうして人を殺してはいけないのか分からない』とドクターに言うと鼻で笑われ信頼できず受診をやめた」と述べたとのこと。
2)被告人質問で男は「不良グループが自分を狙っていると思っていた」、「量販店で護身用にナイフを買った」と話したとのこと。
3)弁護人「誰からの護身か」
被告「電車内で首を絞めた不良の仲間」
そして襟足が長い被害者を見て、電車内で首を絞めた男に似ていたと話したとのこと。
被告「死んでしまうとは思いませんでした。傷つけよう、追い払おうとは思ったが血が出るとか痛いとかは分かりませんでした」
弁護人「今回の事件について誰かに話しましたか」
被告「小学校の同級生に事件の翌年『人を殺したんだけれども』と相談した。もう1人の小学校の同級生に『神戸で起きた事件なんだけど、これ自分です』と言った」
弁護人「ご家族には言ってないのか」
被告「はい」
弁護人「なぜ友人に言ったのか」
被告「当時の自分は、人は誰でも殺したことがあると思っていて、咎められると思っていませんでした」
弁護人「逮捕までに自首は考えましたか」
被告「考えませんでした。18.19歳の頃は悪いことをしたと思っていなかった。それからは記憶が薄れていきました」
と話したとのこと。
別の報道では
事件の翌年、小学校時代の同級生2人に「人を殺した」と明かしたとし、理由は「当時は誰でも誰かを殺したことがあると思っていた」からだと主張。「18、19歳の頃は悪いことをしたと思っておらず、その後、事件の記憶も薄れていった」と述べ、自首も考えなかったとのこと。
4)被害者の父親の被告人質問
「うつぶせに倒れた人を刺しても死ぬと考えなかったのか」との質問には裁判員の方を見ながら「思わなかった」。逮捕された時の気持ちは「(最初は)身に覚えがなく、少しずつ思い出した」とのこと。
「どう償うのか」。そう聞かれた時は落ち着きをなくし、耳を赤くさせる場面も。「裁判が終わったら、まず何をするのか」との問いには、30秒ほど考えて答えは出なかったとのこと。
「私たち(遺族)を見て、どう思いますか」。男は答えた。「生きていて申し訳ありませんと思います」とのこと。
5)被害者の父親はさらに「私たち遺族を見て、どう思うのか」という問いには「自分が生きていて申し訳ありません。遺族の苦しみを考えない日はない」と述べたとのこと。
***第3回公判(23年6月9日)***
弁護側の求めで精神鑑定を行った鑑定医の証言
(証言した鑑定医は1人のもよう、報道によって情報に若干の齟齬がある)
証人尋問:精神鑑定を担当した医師(2度目の精神鑑定を行った医師が出廷し、2時間の面談を10回行った)
1)医師は、「犯行当時の被告に精神疾患はなく、責任を逃れるために精神疾患を装っている詐病の可能性が高い」と述べた。 また、医師は「犯行動機に関する捜査段階の被告の供述が精神鑑定の際には『精神状態が悪かった』という内容に変わってきており、責任を減免する意図で精神疾患を装っている詐病の可能性を検討する必要が生じた」と証言したとのこと。
2)男が精神鑑定で述べた「不良に狙われている」という妄想や幻聴について医師は「逮捕直後の供述にはなく精神鑑定の際に自ら述べ印象付けようとした」と指摘、その上で鑑定時に男が話した内容には「明かな嘘がある」と述べた。
鑑定結果について「男の主張する幻聴・妄想は病的なものではなく、犯行当時に精神疾患はなく鑑定時の精神状態も正常だった」として、「犯行当時から現在に至るまでの行動はすべて正常心理で行われていた」と結論付けたとのこと。
証人尋問:鑑定医(鑑定医は令和4年10月~5年1月にかけて、被告人との面談を各2時間程度、計11回実施し、被告の両親や関係者からも聴取。)
3)鑑定医は、治療せずに症状が改善していることなどから、統合失調症の可能性を明確に否定。「犯行翌日に塾に行くなど社会生活を送っており、精神的な障害はなかった」などと説明したとのこと。
さらに、被告が逮捕直後の取り調べ段階では供述していなかった幻聴や妄想の症状について、その後の2度の精神鑑定では自ら進んで述べるなど症状を印象付けようとしていると指摘。供述の変遷や症状が転居後におさまった点などを踏まえ詐病の特徴に当てはまるとしたとのこと。
別の報道では
鑑定医は「高校退学や失恋で、(交際していた)女性に憎しみや怒りを抱き、その矛先が夜遅くに出歩く若い男女に向けられた。被害者と、退学の理由となったクラスメートの姿が重なり、(被害者を)襲った」と分析したとのこと。
そして、「逮捕前は、社会生活を送るうえで問題なかったが、元来、一定の暴力性、爆発性があった。(この事件は)一見すると、動機が不可解で突発的に見えるが、そこに至るまでの生活状況や心理状況を見れば、すべてに了解可能だ(理解できる)」と説明したとのこと。
***論告求刑公判(23年6月12日)***
1)検察側は論告で、被告の男が肺に到達するような強い力で複数回刺した点などを挙げ、「危害を加えようとする意志は強固」とした。男を「精神障害はなく、詐病の可能性が非常に高い」とした精神鑑定結果などを踏まえ、「完全に責任能力があった」と述べた。
検察側は「被告が当時17歳だったこと以外に酌むべき事情はない」として懲役20年を求刑したとのこと。
2)弁護側は精神鑑定結果に「統合失調症以外の検証がされず、判断に根拠がない」と反論。「何らかの精神障害は否定できない」と主張し、「危険性を認識できず、被害者が死ぬかもしれないという認識がなかった」と殺意を否定した。また、刑法を適用した検察の求刑内容に、「(改正前の)少年法が適用され、有期刑の上限は15年となる」と指摘したとのこと。
別の報道では
弁護側は「被告は犯行当時、心神耗弱状態で少年だったことが考慮されるべき」などとして懲役8年が相当と主張したとのこと。
更に別の報道では
弁護側はこれまでの公判で、事件当時は被告に幻聴や妄想があり、心神耗弱状態だったと主張。さらに事件直前に医療機関を受診して「適応障害」と診断された点を挙げ、「何らかの精神障害を有していたことは否定できない」として懲役8年が相当と訴えたとのこと。
3)最終意見陳述:被告
「被害者の人生の全てを奪い、私のせいで遺族は生き地獄を送ることになった。過去の私は未熟だった」と謝罪。「孤独に苦しむ人に手を差し伸べるように活動し、償い続けたい」としたとのこと。
4)遺族の意見陳述
母(66)は、見たくても見られなかった息子の夢を先日見たと明らかにし、「29歳の息子が『ただいま』と家に帰ってきた。顔や姿はぼんやり影のよう。命を奪われたあの日から時間は止まったままだ」と吐露。「あなたは罪を償えば終わりかもしれないが、息子は戻ってこない」と最も重い刑罰を与えるように求めたとのこと。
父
「息子が殺害され、私たちの心も殺された。事件後、妻と、息子との思い出の場所を巡り歩くことが多くなった。しかし、そこには息子はいない。息子があなた(被告)に何をしたのか。まだまだ生きていたかった息子を返してほしい。私たちの生活を戻してほしい」と訴えたとのこと。
意見陳述は母親を含めて家族5人が行っています。
2歳上の兄、8歳上の姉、9歳上の姉、母、父
***判決公判(23年6月23日)***
1)裁判員裁判の判決で、神戸地裁は23日、懲役18年(求刑・懲役20年)を言い渡した。
2)裁判長は無抵抗だった被害者を襲った当時の状況から強固な殺意を認定し、「動機は常軌を逸した身勝手なもので、その理不尽さは際立っている」と指弾した。
3)判決はまず、「男性に精神障害はなく、統合失調症を装った詐病の可能性が高い」とした医師の鑑定結果について、明快かつ合理的で信用ができると指摘。十分な刑事責任能力があると認めたとのこと。
男性は逃げようとする被害者を追い掛け、うつぶせに倒れた際に背中も刺していた。判決はこうした一連の状況に触れ、殺意は相当強固なものだったと認定。動機については、被害者を嫌悪感を抱くタイプの人間だと思い込み、女性と一緒にいたことから制裁を加えることを決意したとみられると結論づけたとのこと。
裁判長は「逮捕まで10年以上経過しているが、その間に事件を悔いた様子は見受けられず、公判での謝罪の言葉も表面的なものとしか受け止められない」と批判したとのこと。
一方で、男性が当時少年だったことは一定の考慮が必要だとして、有期懲役刑の上限にあたる懲役20年の選択は回避したとのこと。
別の報道では
裁判長は量刑について、刑に期間がある懲役刑の上限20年を軸に検討し、男は逮捕されるまでに10年以上経過したが悔いた様子は見受けられないとする一方、前科のない少年だったという事情も考慮したと説明したとのこと。
***補足1***
少年法51条には、犯行時18歳未満の被告について「死刑と無期刑を緩和する」との項目があり、
罪を犯したときに18歳未満で死刑を選択する場合は、無期刑に刑罰が緩和される。
罪を犯したときに18歳未満で無期刑を選択する場合は、有期の懲役か禁錮に刑罰が緩和される。その刑は「10年以上15年以下」。
2022年には刑法12条が改正され、懲役は、無期及び有期とし、このうち有期懲役は、「1か月以上20年以下」となったとのこと。
検察側は男の犯行態様の悪質性を踏まえて、無期懲役の選択もあり得ると述べたが、犯行時17歳だったことを鑑み、無期懲役ではなく有期懲役の選択を示した。その上で刑法12条に定めた上限として懲役20年を求刑したとのこと。
***控訴***
被告側は6月27日、判決を不服として控訴した。
***補足2***
被告は高校は青森市内の県立高校に通っていた。当時付き合い始めた女子高生に付きまとい、彼女をドライバーで脅して拘束する事件を起こした。これ機に、被告は高校を退学した。その後、青森を離れた被告は、元カノに会うために青森に行こうとしたところを両親に空港で見つけられ止められたこともあったとのこと。それでも2010年の8月に青森に行った被告は、そこで元カノの女子高生の腕を切りつける事件を引き起こしたとのこと。
こんなところですね。
この事件、全くの通り魔的な事件だったんですね。
まだ、全てを話していないと思われるのが残念ですが、動機としてはそれまでの不満、鬱憤、嫉妬、妬みのようなネガティブな感情が爆発して無辜の男子を執拗に殺害したと言う事ですね。
不思議なところとしては、事件の翌年に小学校の同級生に事件を明かしているんですよね。
理由は「当時は誰でも誰かを殺したことがあると思っていた」からだと主張。「18、19歳の頃は悪いことをしたと思っておらず、その後、事件の記憶も薄れていった」と述べ、自首も考えなかったとのこと。
この理由はどう考えてもおかしいですけどね。この通りなら、本来の人口の半分は被害者で生き残りは全員が殺人犯になる。
これぐらいは小学生でもわかると思うのですが・・・
弁護人の仕事は被告の利益を最大にする事と言うことなのですが、今回は事実関係を争わずに、責任能力が限定的で当時有期刑の上限の懲役15年の約半分の懲役8年と主張する事なんですね。
その根拠としては、どうやら当時、事件直前に精神科を受診して「適応障害」という診断を受けていたと言う事のようです。
(そういえば、適応障害で幻聴や妄想と言う症状はあるの?と調べると一般的な症状には幻聴や妄想などは無いようですね。最終的に弁護側は統合失調症以外の何らかの精神障害の可能性を否定できないと主張しているので、推定無罪の原則を適用したかったと言うところでしょうか。)
ただ、弁護側の要請で行った精神鑑定の鑑定が「詐病」の可能性が高いと証言してます。
「犯行翌日に塾に行くなど社会生活を送っており、精神的な障害はなかった」などと説明したとのこと。
逮捕直後は予測できなかった逮捕に動転して、ホントの事を取り調べで供述していたが、時間が経過したところで、詐病を考えたのかな?
罪を軽くしたくて行ったことなのでしょうが、詐病と証言されては逆効果ですね。
結果的に懲役20年の求刑に対して、当時17歳の逮捕歴が無い事が現在材料となり、懲役18年で2年が減刑されたんでしょうね。
もし、詐病などせずに素直に罪を認めて反省、謝罪していたら、懲役15年かそれよりも軽くなっていたかもしれませんね。
一方で高校時代に起こした事件は傷害事件で事件化されれば、逮捕されていたので、この2年の減刑分も消えていたかもしれないです。
とは言え、そこで逮捕されていれば、何らかの処分を受けて、今回の事件は起きなかったかもしれいです。
本人の将来と更生を願って事件化しなかったけれど、その結果、より重い罪を犯してしまった。
皮肉な結果です。どこが人生の分かれ目になるのか?わかりませんね。
まー、そもそも、暴力で問題を解決しようとする事自体がそもそもの間違いなので、高校時代(十代後半)にそう考えてしまうようになっている事が問題ですよね。
どうして、そうなったのか?が良くわかりませんが、育児、子育ては子供の人生を変えてしまうと言う事は言えそうです。
被告側が控訴してますから、次は控訴審ですね。
亡くなった男子のご冥福をお祈りします。
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