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2023/08/22

小田急線快速急行無差別殺傷事件その4(一審判決)

判決は懲役19年(求刑:懲役20年)

***初公判(23年06月27日)***
1)起訴状によると、2021年8月6日午後8時半ごろ、小田急線の登戸-祖師ケ谷大蔵間を走行中の車内で、包丁で乗客の20代女性の胸や背中を数回刺して殺害しようとしたほか、別の乗客2人にも殺意を持って切りつけたとしている。乗客は全治3カ月~1週間のけがを負った。事件当日にコンビニエンスストアで万引をしたとする窃盗罪などでも起訴されたとのこと。

2)裁判官から起訴内容に間違いないか問われると「ないです」と答えた。

3)検察側は冒頭陳述で、被告が昔から「男性の友人には見下され、女性からは軽くあしらわれている」と感じていたと指摘。男女の幸せを許せなくなり、幸せそうなカップルや男性にちやほやされるような、いわゆる「勝ち組」の女性を殺したいと考えるようになっていったと指摘した。

事件当日は、東京都新宿区内の食料品店で万引しようとしたところを従業員に見つかり、この従業員を殺そうと計画。閉店時間が迫っていたため、計画を切り替え、「電車内で無差別に乗客を殺害する犯行を決意した」とのこと。

4)弁護側は「乗客を確実に殺そうという強い殺意はなく、『死んでも死ななくてもかまわない』という程度のものだった」と主張したとのこと。

***第二回公判(23年06月28日)***
1)被告が乗客を刺したりサラダ油をかけたりする車内の防犯カメラ映像が再生された。

法廷で再生された映像は被告が事件の電車に乗ってから降りるまでの約5分間分。車両連結部に殺到して身動きの取れない乗客に対して包丁を振り回したり、けがをさせた50代女性や他の乗客に油を浴びせたりする場面が含まれていたとのこと。

2)事件で重傷を負った20代女性の「できる限り重い刑を受けてほしい」とする供述調書が読み上げられたとのこと。

調書は、事件後に女性が検察官に話した内容をまとめたもの。女性は座席に座って音楽を聴いていたところ、右胸付近を刺された。「あまりに突然のことで、何が何だかわかりませんでした」と振り返った。入院中に事件のニュースを見たが「記憶の多くが欠けていて、怖いという実感がわかなかった」とのこと。

また、事件後に電車に乗るのが怖くなったという別の被害者が「今までの日常を返してほしい」と訴えた調書も読み上げられたとのこと。

別の報道では
(刺された女性は)救急搬送された病院で緊急手術を受けたが全治3カ月の重傷で、左腕には後遺症が残る可能性があると診断された。記憶がない点については、大きな恐怖を体験した際などに起きる「解離」だと説明されたとのこと。

***第三回公判(23年06月29日)***
被告人質問
1)被告は弁護人の質問に対し、21年3月から生活保護を受給して暮らす中、大型連休を楽しむ人々を街中で見たのを機に、6月頃に電車内での無差別大量殺人を計画したと説明。「周りの人は何不自由なく暮らしているように見え、自分だけ貧乏くじを引いてみじめに感じた」と語ったとのこと。

また「(犯行の)ターゲットにするなら、きれいで、高飛車でむかつく感じの女性にしようと決めていた」とも話したが、弁護人から「事件を振り返ってどう感じているか」と問われると、「私の身勝手な感情で事件を引き起こしてしまった。罪深く思っており、どう償えばいいのだろうかと考えている」と述べたとのこと。

2)犯行までの経緯
事件が起きたのは2021年8月だが、被告は3月から生活保護を受給していて当時は無職だった。

「2月まで仕事をしていましたが、限界だと思って退社してしまいました。仕事を探していましたが、これ以上は無理だと思った。気持ちを落ち着かせて、ゆっくり仕事を探そうと」と述べた。

「今までアルバイトを転々としてきて、もうこれ以上、僕にできる仕事はないなと。この先、生活していくのは無理だと」と述べた。

(直前までの仕事はパン工場の夜勤で単調な作業だったとのこと)
「心が擦り切れた、という表現が近いと思います」と述べた。

世の中の人たちに嫉妬や妬みを抱くようになったのは、中央大学理工学部を中退した後、実家を出て、派遣のコンビニバイトをするようになってからだと答えたとのこと。
(「派遣先の人がモノのように扱ってきたり」労働環境が劣悪だったと言う事ですね。)

事件当日の昼頃、被告は新宿区の食料品店で万引しようとして見つかり、警察に通報された。この際の従業員の対応が「屈辱的」だったため、帰宅後、「店に行って店員を皆殺しにしよう」と考えたが、閉店時間が迫っており、電車内で人を刺したりすることを思い立ったとのこと。

3)逮捕後に被害者らの調書を読み「多くの人を傷つけたと実感し、申し訳ない気持ちになった」とも説明。「被害者の望む判決を下してもらいたい」と話したとのこと。

***第四回?公判(23年07月03日)***
被告人質問
1)検察官から、具体的に何人を殺害しようとしたのかと問われると、「何人というのはないが、悔いが残らないようにベストを尽くしたいと思っていた」と答えた。大量殺人をすることで「世の中への恨みや理不尽を発散できると考えた」と述べ、犯行後に乗客が悲鳴を上げて逃げる姿を見て「映画の主人公になったようで気分爽快だった」と述べたとのこと。

2)電車内で犯行に及んだ理由については「密室で逃げ場がなく、邪魔が入らないのでマイペースに人を刺せると思った」と説明。「乗客はスマートフォンばかりいじっているので狙いをつけた」と述べたとのこと。

3)被告は「幸せそうな女性」を狙ったとしていますが、その理由について、「正直、そういう女性と付き合いたいと思っていたが僕には不可能で、この苦しみや、もやもやは、恨むことで解消できると思った」「『自分は無価値な人間だ』というコンプレックスが怒りに変わり、その矛先が女性に向いた」などと述べたとのこと。

「若い女性にこだわりがあったのか」と検察官に問われると、「おじさんを刺して捕まってもつまらないなという気持ちだった」「『つまらぬものを斬ってしまった』というセリフをみなさんご存じだと思う」と説明。さらに「1人を刺しても捕まることに変わりないなら、『たくさん刺したほうが得』という考えだった」とも述べたとのこと。

***論告求刑公判(23年07月06日)***
1)検察側は論告で、被告が鋭利な包丁や予備の凶器のはさみ、電車に放火するためのライターを持参していたと指摘。落ち度のない被害者を手加減せずに複数回、包丁で襲ったとし、「強固な殺意があったことは明らか」と述べたとのこと。。

さらに、食料品店で万引きを発見され、謝罪させられたことから激しい怒りの感情を抱き、以前から考えていた無差別大量殺人を決意したと言及。「ゆがんだ考え方で、生命を軽視している。公共交通機関を利用する多くの人に大きな恐怖を与えた」として懲役20年を求刑したとのこと。

別の報道では
検察側は論告で、被害者が無防備で逃げ場もない中、最初の被害女性を手加減なく4回も突き刺すなど、執拗で悪質だと指摘。「幸せな人たちや社会への憤懣を晴らすために無差別大量殺人を決意した。自己中心的かつ身勝手でくむべき事情はない」と批判したとのこと。

2)弁護側は「周到に計画した事件ではない」と主張。弁護側は確固たる殺意はなく、同15年が相当と訴えたとのこと。

別の報道では
弁護側は「真摯に反省、謝罪の気持ちを示し、更生の可能性がある」などと述べ、懲役15年が相当と主張したとのこと。

3)被告は最終意見陳述で「本当に申し訳ありませんでした」と被害者らに謝罪した。「検察側の話を聞き、その通りだと私は納得しました。刑務所から出ない方が良いと思っております」とも話したとのこと。

***判決公判(23年07月14日)***
1)東京地裁は懲役19年の判決を言い渡した。

2)公判で弁護側は「確固たる殺意はなかった」と主張。しかし、判決は、鋭利な包丁を用意し、駅間の走行時間が長い快速急行をあえて選んで短時間で手加減せず襲ったとして「強い殺意があった」と認定したとのこと。

その上で、無防備や混乱状態だった乗客を狙ったとして、非常に悪質だと指摘。「怒りを抑えられず、無関係の他人に危害を加えたという身勝手な動機に酌量すべき点はない」と批判したとのこと。

3)裁判長の説諭
裁判長は「事の重大性を考えてみてください。被害者に与えた肉体的、精神的苦痛のこと、社会復帰に何が必要か。よく考えてほしいです」と、ゆっくりとした口調で述べたとのこと。

こんなところですね。
大学の中退理由は単位が取れなかったからと以前の報道にありました。
進学高校から現役合格しているのにもったいない事ですね。理工学部ですし、留年してでも卒業していれば、成績次第でしょうが、普通に就職する事ができたんじゃないかな?

2009年春に23歳で中退。現役合格だから、18歳で入学しているなら5年前なので2004年に入学なのかな?
中央大学さんの規定を調べると進級、修了、留年についての規定は

進級条件
上級年次に進級するためには、①判定対象科目のすべてを履修している、②そのGPAが一定以上である、③共通到達度確認試験を受験し、その成績が進級を不相当と認める著しく不良なものでない、という要件を満たすことが必要です(ただし、③は1年次から2年次への進級時のみ)。

修了条件
また、修了するためには、①判定対象科目のすべてを履修している、②そのGPAが一定以上である、という要件を満たすことが必要です。

留年条件
この要件を満たさなかった場合は、翌年度も原年次に留まること(原級留置)となり、各年次の進級判定対象科目の中で、SまたはA(2021年度以前入学生はAまたはB)の成績評価を得ている科目を除いて、再度履修することが必要となります。この場合、成績評価も改めて行われます。

除籍条件
なお、原級留置となった学生が、翌年度末においても、再度進級に必要な要件を満たさなかった場合は、除籍となります。

と言う事ですね。
私の推測するに、4年次に一度留年して、5年目に修了する事ができずに除籍(中退)となってしまったのではないかな?

もし、この推測通りなら、何やってるのかな?と思いますね。
一度留年しているならその年に頑張って勉強していれば、卒業できたでしょ?
なので、厳しい言い方をすれば「自業自得」としか思えないですね。

一方で、リーマンショックが2008年に起きている。2009年の大卒の就職率が過去2番目に悪かったらしい。
なので、社会に出るタイミングは最悪の上に、その方法も悪かったね。
大学中退の責任は本人にあるとしても、その後の境遇は、必ずしも本人に責任はないかもしれない。
その点は同情できる部分ではあるのだけど・・・

劣悪な労働環境が嫌だったと言うのは分かるけど、「単調な作業が嫌」と言うのはある意味で「ワガママ」と言われても仕方が無い気がしますけどね。

大卒だからインターンとか行っても、工場のラインを体験する事は無いかもしれないけど、高卒なら、工場見学に行けば、ほぼライン作業を見せられる人が大多数だと思います。実際に就職しても、工業高校などの専門性の高く優秀な高卒などは別にして、工場だとほぼライン工になると思います。
これは、単純に工場の社員割合が生産部門と間接部門で生産部門の方が多いからなので、そういう物なんだよね。

なので、おそらく、高卒で工場に就職を希望する人は、その段階でライン作業(単純作業)と言う事を覚悟している人が大多数だと思います。

そもそも、ライン作業(単純作業)のどこが悪いのかな?
ミスなく時間内で作業を終えれば、ちゃんとお給料はもらえるし、若年層だと同じ年齢なら間接部門よりも生産部門の方が給料が高い会社だってある。その上、時間で区切られているから、仕事を家に持ち帰ったり、サービス残業するような事もない。
お給料の為と割り切れば、悪くないと思うけどな・・・肉体的にキツいと言うのはあるかもしれないけど。

話が横道にそれましたね。
もともと、成績は優秀だったようなので、専門の資格などを取得する方法もあったと思いますが・・・
専門スキルが無いから誰でもできる仕事を紹介される。その結果、代わりがいつでも補充できると思えば、労働環境が悪かったり、単調な作業になったりしてしまう悪循環になってしまうのかな?

とは言え、リーマンショック当時は名の通った大企業でも、専門職の派遣社員を派遣切りしたりしてましたからね。

そんな環境では生きる事に精一杯で、そこから脱出する方法を考える事はできなかったかな?

結局はジリ貧で、仕事を諦めてしまった段階で生きていくこと自体だ無理になってしまいますよね。
こうなってしまえば、絶望感とか孤立感とかネガティブな感情に傾いてしまうのは、仕方が無いような気もしますね。

で、万引きをする事で順法意識が崩壊してしまいますから、あとは自暴自棄へ一直線。
事件を起こすのは時間の問題ですよね。

こう見ると、ある意味では同情できる部分はあるけど、もう一方では「甘え」は無かったのかな?とも思えます。
一般論ですが、子供のころからの憧れの仕事とか、夢だった仕事をしている人がいるけど、それで豊かな生活ができているとは限らないんですよね。(仕事にもよりますが)

誰でも、好きなこと、やりたい事を仕事にしたいと思うのは分かるけど、結局、仕事って生きる為の手段でしかないわけで、それなら何をやっても仕事は仕事として有りですよね。
嫌な事でも仕事をして、生活できるなら、趣味でやりたい事や好きな事をするって事で良いと思うんですよね。
もし、才能があれば、誰かが評価してくれて、それを仕事にできる時がくるかもしれませんよね。

そろそろ話をまとめると
この事件を防ぐには
1)仕事に対する意識を変える事。
これだけでは、難しいかもしれない。秋葉原事件でも派遣先でのトラブルなどで追い詰められて、最終的に自暴自棄になってますからね。

2)ある程度、経済的な支援や技術習得の支援など必要だったかな?
例えば、職業能力開発促進センター(ポリテクセンター)では技能講習などを受講できるので、同じ境遇の人達と一緒になって講習など受けていれば、孤独感などは払拭できたかもしれませんね。
そして、専門技術が習得できれば、もう少し違った仕事も見つける事ができたかもしれません。

3)大学を中退しない。
時系列を遡ると、この人の人生の分かれ目は大学中退なんですよね。
どんな事情があるのか?は分からないけど、単位がとれずに中退なので、ダメでしょ?
まーリーマンショックと言う歴史に残るような不況の最中ですから、大学を卒業していても厳しい状況だったかもしれません。けど、勉強できる時に勉強しないのはダメだと思います。
社会人になっても勉強しなければ成らないし、仕事と勉強を両立しなければならない。学生の時よりもずっとつらい状況で勉強している社会人の方が多いと思いますよ。

4)相談できる人はいなかったのかな?
母親が再婚しているので、縁遠くなってしまったかもしれないけど、相談していれば、何か別の変化は期待できたかもしれませんね。自宅に居候させてくれるとか、経済的な支援などがあれば、結果はちがっていたかもしれないかな?
これは、親族でなくても、同年代の知人、友人でも良いのですよね。「実は俺も仕事がつらくて」って話ができれば、孤独感を払拭する事ができたかもしれません。
そういう意味では、グチが言えるぐらいの友人はいた方が良いのでしょうね。

どれもタラレバになってしまうけど、ただ「時代が悪かった」と言う事だけでは無いと思うんですよね。

参考リンク
小田急線快速急行無差別殺傷事件その3(鑑定留置までの報道)

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