埼玉県ふじみ野市立てこもり医師殺人事件その3(控訴審判決まで)
***初公判(23年10月26日)***
1)起訴状などによりますと、ふじみ野市の無職、男性被告(67)は、去年1月27日、母親の在宅医療を担当していた医師のSさん(44)らを自宅に呼び出した。
そして、散弾銃を発砲してSさんを殺害し、一緒にいた40代の理学療法士の男性に大けがをさせたなどとして、殺人や殺人未遂などの罪に問われている。
2)被告は初公判で「殺意は全くありません。大けがをさせようと右足を狙ったが、銃をしっかり構えない中で引き金を引いたため、予想外の所に当たってしまった」などと述べ、殺意を否認したとのこと。
3)察は冒頭陳述で「被告は、母親への治療が不十分で不適切と思い込んだ。母親の死に絶望し、自殺の道連れにすることを決意した」と述べ、殺意があったと指摘したとのこと。
4)弁護側は「殺意は全くなかった。母の蘇生を断ったS医師に、家族の最後の望みも叶えてくれないという憤りを感じた」と述べた。
そのうえで、「Sさんの右足のひざを狙って撃ったが、銃身が上にずれ胸に弾を命中させてしまった」として、殺意は無く、Sさんについては、傷害致死と銃刀法違反に留まると主張したとのこと。
5)証拠調べ
被告の自宅から押収された3枚の遺書が提出され、検察官が「誤診と失態。母はSドクターに殺された」「母が亡くなり何の希望もない。あの世で母と暮らしたい」などと内容を読み上げたとのこと。
***第2回公判(23年10月30日)***
1)検察側が、事件当時の様子が記録された計74分間の音声データを再生した。データは、被告が録音した発砲前後の約25分のものと、立てこもり中の電話のやりとりを県警が約46分に編集したものなど。
2)発砲前の音声
母親の弔問に訪れた医師Sさん=当時(44)=ら7人に「胸が動いた気がした」と人工呼吸を要求した。「これ、先生が好きなエアガン」と話し、仏具のりんのような音が鳴った後、「蘇生を期待していたけど、あり得ない」と発言。直後に2発の発砲音が響いたとのこと。
「うわあー」「110番」「救急車呼んでください」との叫び声が上がり、「宏さん駄目だって」「やめろ」と制止する声の後、3発目の銃声が鳴ったとのこと。
3)立てこもり中の音声
捜査員に対する電話で、被告が「どうせ死ぬなら、今まで許せなかったやつらを道連れにしようとした」「腹に一物ある人たち全部を撃つつもりだったが、目的を達成できなかった」などと伝えていたとのこと。
別の報道では
「母のベッドの横で死ぬのが目的。生きていても仕方ない」「警察に捕まるわけにはいかない。死刑で死ねるかもしれないがそれまで留置場で生きているのがつらい」などと話す様子や、「完全にひとりぼっち。どうせ死ぬなら今まで許せなかった人たちを道連れにしようと思った」と話したとのこと。
***第?回公判(23年11月15日)***
1)被告人質問
被告は、散弾銃を持ち出した理由について「(前日に亡くなった)母の蘇生措置のお願いを聞いてもらえず、頭に血が上った」と説明した。
2)事件当日、医師が経営するクリニック関係者3人を呼び出し、母への焼香を要求したことについては、母のリハビリを断られたり、電話口での対応に問題があったりしたためと主張。「線香を上げてもらい、心の中で謝ってほしかった」と述べたとのこと。
3)亡くなった医師らに対しては「申し訳ないと思っている。猛省しています」と話したとのこと。
***第?回公判(23年11月16日)***
1)自宅に立てこもった際、自殺するつもりで睡眠薬を飲んだという被告は、警察の取り調べで殺意を認めたことについて「記憶にないです」と答えたとのこと。
2)検察側による被告人質問では、事件後当初のさいたま地検の調べに対し「S医師ら4人を銃で撃って殺し、自殺することを決めて遺書を作った」との供述について「覚えていない」と述べたとのこと。
***論告求刑公判(23年11月28日)***
1)検察側は論告で「一人でも多く殺害するという強固な意志を継続して持っていた」と指摘。事件前日に死亡した母親の担当医だった医師らに一方的に不満を募らせて逆恨みしたとし、「理不尽かつ自己中心的で酌量の余地はない」とした上で、「無慈悲な犯行で態様は極めて悪質」として無期懲役を求刑したとのこと。
2)弁護側は「発砲直前に衝動的に大けがをさせてやろうという気持ちになった」と改めて殺意を否定し、懲役15年が相当と主張したとのこと。
3)被告は最終意見陳述で「心から申し訳ないと思っている。猛省しています」などと用意した紙を読み上げたとのこと。
4)遺族の意見陳述
Sさんの父親は「反省の態度を見せない被告にに最大限の厳罰を望みます」。また、Sさんの妻も「法の許す限り長く刑務所に入ってもらいたい」と訴えたとのこと。
***判決公判(23年12月12日)***
1)さいたま地裁は、殺傷能力の高い銃を使い、至近距離で医師に発砲したとして殺意を認めたとのこと。死刑も視野に入れて量刑を検討したとし、死亡したのが1人であることなどから無期懲役が相当と結論付けたとのこと。
2)事件前に「(医師らを)断ずる」とするメモを残していたことや、至近距離から被害者の胸部や腹部に向けて連続で発砲した状況から「強固な殺意があった」と認定したとのこと。
3)裁判長は「医師らは被告の意向を踏まえ、最善の措置を模索して対応していた」とした上で、「母の死による喪失感を考慮しても理不尽というほかない。自ら診療した患者の家族に殺された医師の無念さは察するに余りある」と厳しく指摘したとのこと。
別の報道では
強固な殺意に基づく冷酷な犯行であり、介護してきた母が死亡した喪失感の大きさなどを考慮しても、「銃器による殺害を決断したことには厳しい非難が向けられる」としたとのこと。
4)裁判長は「母を失った悲しみが大きいのは分かるが、銃撃は許されない」と語りかけた。母の最期をみとることができた被告とは対照的に、医師は突然命を奪われたとして「(家族は)どれだけ無念だったか。しっかりと(事件を)受け止めてほしいが、振り返りが足りない」と指摘したとのこと。最後に「愚かな犯行をしっかり見つめてほしい。そこで初めてあなたの償いが始まる」と説諭したとのこと。
***補足(時期不明な情報)***
殺傷能力の高いスラッグ弾を使用して至近距離で発砲したことなどから、検察側は強い殺意があったと主張。
渡辺被告が罪に問われているのは4件。いずれも4年1月27日、自宅で
A)Sさんを射殺
B)一緒にいた医療関係の男性を銃撃し重傷を負わせた
C)散弾銃を取り上げようとした別の医療関係の男性に催涙スプレーをかけ、けがを負わせた
D)外に脱出した別の医療関係の男性に向かって発砲-となっている。
被告側は、A)については「膝を狙って撃ったもので、殺害するつもりはなかった」と主張。B)は銃の操作を誤ったものC)は威嚇目的-としているとのこと。
***控訴(23年12月13日)***
今回のさいたま地裁の判決を不服として13日付で東京高裁に控訴したとのこと。
***控訴審初公判(25年1月27日)***
控訴審初公判が27日、東京高裁であり、被告側は一審に続き殺意を否認した。審理は即日結審したとのこと。
***控訴審判決公判(25年3月11日)***
1)東京高裁は11日、無期懲役とした一審さいたま地裁の裁判員裁判判決を支持し、弁護側の控訴を棄却したとのこと。
2)裁判長は判決理由で、殺傷能力が高い銃で至近距離から胸部を狙ったことや、立て続けに発砲していることから、医師や理学療法士の男性らに対する殺意を認定したとのこと。
こんなところですね。
死亡が1人なので、重くても無期懲役、軽ければ有期刑と言うあたりですね。
で、この事件で重い方に傾いたのは、やはり被告に都合の良い言い訳、言い換えると身勝手に見える言い訳が被告の印象を悪くしたと言う事だと感じます。
この事件では、なんと犯行時の音声が録音記録されていましたし、更に、遺書のメモまでもが残されていて、十分に殺意が証明されているわけですね。
それに対して、覚えていないとか、足を狙ったとかが、見苦しい言い訳に見えてしまった事でしょうね。
事件に使用した弾丸も通常の散弾ではなく、殺傷力の高いスラック弾だった事も、言い訳感を強くさせてしまったのではないか?と感じます。
このあたりは、人格というか性格によるものかもしれません。
本来なら(と言う言い方も変だけど)これだけの事件を計画した段階で、覚悟を持つと思う訳です。
計画通りなら複数人を殺害する事になり、死刑は当確ですね。
一方で母親を亡くした喪失感や孤独感、将来への不安などで自殺も考えている。
このあたりを考えると、自分の死も覚悟の犯行のはずなのですが・・・事件の途中で、死ぬのが怖くなったのかな?
自殺もせずに、公判では、刑を軽くするための言い訳をしている。
もし、罪を認めて心から謝罪していたら、有期刑もあったかもしれないと思います。
で、事件の原因は何か?と考えるのですが、猟銃に執着している事が、何か事件の鍵なのかな?と感じますね。
まー普通に生活していれば、猟銃は必要が無い物ですよね。まして経済的に困窮している状態なら、最初に手放しそうな物です。
なので、事件の20年前の段階でいつか銃を使うような事を望んでいたのかもしれませんね。
被告の生い立ちの情報ははっきりしないけど、報道された情報だと
20年ほど前まで東京・江戸川区の都営団地で、まだ元気だった実母と2~3歳くらいの子供と同居していた。妻と思しき外国人風の女性も出入りしていたとのこと。
その後、子供はいなくなっていた。
容疑者は10年程前から埼玉県内を転々として、物流会社で働いていた
介護中心の生活で定職に就けず、頼みは母親の年金だけと言っていた。
生活保護を1人あたり10万円を切る程度もらっていたようだ。
こんな感じだけど、若い時には結婚もしていたのかな?子供がいたようですね。
結局、妻子は居なくなり、母親との2人暮らしになった。
母親の介護の為に定職につけずに、日雇いのような仕事だった。
この頃から経済的に追い詰められていったんでしょうね。
この時に福祉に頼る事ができれば、あるいは状況は変わっていたかもしれない。
ざっくり調べると、施設への入居金は10万円程度、月額使用料が14万円程度なのかな?
問題は月額使用料の支払いをすると、被告本人の生活が難しくなるかもしれませんね。
まー被告人自身が定職について仕事をすれば良いわけだけど、60歳を過ぎてから仕事を見つけるのはかなり厳しいだろうね。
なので、もっと早い、40代ぐらいの時期に決断して、仕事をできる環境を作っていれば、この事件は防げたかもしれないのかな?
情報だとこの頃は、まだ母親は介護は必要無い状態だったので、仕事をしていたはずだけど、不安定な生活と言う情報もありますね。
介護離職なのか?でも、ある程度収入があるなら、施設を利用する事もできたのでは?と思いますが、ケースバイケースなんでしょうね。
とは言え、そんな事を20代、30代の時に予見できるのか?と言うとそうでもないのだろうから、こんな状況に追い込まれてしまう人は、予想以上に多いかもしれない。
「運が悪い」と言う言葉で済ますことはできないし、本人の努力不足と言うのも少し酷のような気もする。
ただ、こういう人達を救済できるような社会でないと、同じような事件はこの後も起きる可能性はありますよね。
この事件で医療関係者が犠牲になったのは、被告人の身近にいて接点が多かったのが単純に理由だと思う。
一歩間違えば、役所の職員などが犠牲になっていてもおかしくないわけです。
私たちは思っているよりも、事件は身近にあると言う事を、忘れないように生活しなければなりませんね。


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