2019/11/29

東京都目黒区5歳女児虐待死事件その8(父親の判決公判まで)

***論告求刑公判(10月7日)***
1)検察側は「自己に従わない怒りで虐待し、この上なく悪質」と指弾し、懲役18年を求刑したとのこと。
 
検察側は論告で、女児は母親(女性被告)の連れ子で、被告は16年11月ごろに暴力を振るい始め、一家が香川県から目黒区に転居した18年1月23日ごろから苛烈な食事制限をしたと主張。「39日間で体重の約25%を失った」としたとのこと。
 
さらに、母親を「説教で共犯者に引き入れ、夫婦で児童相談所の接触も拒否した」と指摘。「2月24~26日には風呂場で10回以上殴打した。27日に『12キロ台はやばい』などと命の危険を感じたのに、病院に連れて行かなかった」とし、「一体子どもを何と思っているのか。女児は逃げることもできず、絶望しかなかった」と厳しく非難したとのこと。
 
別の報道では
検察側は「苛烈な虐待を主導し、悪質性は比類なく重い」
 
検察側は「食事制限で飢えの苦しみを与え、被害者をいじめ抜いた。未来を奪われた苦痛と無念を考えるべき」と述べ、病院に連れて行かなかったことを「自己保身だ」としたとのこと。
 
検察側は論告で「(女児への暴力は)しつけ目的を逸脱している。どれほどの苦痛で死に至ったか、察するに余りある。暴力による恐怖もすさまじかったはずだ」と指摘したとのこと。
 
被告は暴力の理由を「しつけがうまくいかず怒りが増した」としているが、検察側は「しつけを完全に逸脱し、欲求が満たされない不満で暴行した。論外で正当化できない」と指弾。女児の遺体には170以上の傷があったが、被告は詳細を語っておらず「極めて不合理で真剣に向き合っていない」と述べたとのこと。
 
2)弁護側は最終弁論で懲役9年が相当と訴えたとのこと。
弁護側は2月下旬の暴行を認めつつ、「親であろうという気持ちが根底にあった」と主張。「被告が命の危険を認識したのは(死亡前日の)3月1日だった」と訴えたとのこと。
 
別の報道では
弁護側は「死亡するまで完全に放置する最も悪質な部類とは異なる」として懲役9年が相当と述べたとのこと。
 
「被告の責任は重いが、不保護の期間や態様が最も重い部類だとはいえない」とし「冷静な判断を」と訴えたとのこと。
 
3)被告は最終意見陳述で、すすり泣きながら「本当に、本当に申し訳ありませんでした」と声を絞り出し、何度も頭を下げたとのこと。
 
***判決公判(10月15日)***
東京地裁の裁判員裁判は15日、懲役13年(求刑・懲役18年)の判決を言い渡した。
 
1)裁判長は虐待について「しつけという観点からかけ離れ、感情に任せて行われた理不尽なものだった」と述べたとのこと。
 
2)裁判長は、「香川県から上京したあと、1カ月あまりで体重が4分の1ほど減っているのは、しつけの観点からかけ離れた理不尽な食事制限。苛烈な虐待をし、女児の心臓が止まるまで医療措置を受けさせなかったのは虐待の発覚を恐れた保身のため」などと指摘したとのこと。
 
別の報道では
「食事制限や常習的な暴力を受けた上、やせ細り、おう吐し、意識も薄れ重篤な状態になってもなお医療措置を受けさせてもらえないまま死亡するに至った結愛ちゃんの身体的苦痛、苦しみ、悲しみ、絶望感は察するに余りある」として懲役13年を言い渡した。
 
3)「検察側が主張するような、『同種事案の中で類がないほど重い事案』とは言えない」として、懲役18年の求刑に対して懲役13年の判決を言い渡したとのこと。
 
4)裁判員として参加した人のコメント
「感情としては、量刑傾向を少し動かしたいとの思い、裁判員制度を通じて少しずつ重くなるように、との気持ちはあった」
 
「自分が思ったところ(量刑)とのギャップが非常に大きかった」
 
「最終的な判決には納得しているが、個人的には(懲役)13年を超えた判決でも良かったと思う」
 
こんなところですね。
懲役13年ですね。やはり私も軽いと言う印象です。
ただ、児童虐待事件や児童虐待事件では無いような、似た事件の判決を見ると、そんな物なのかな?と言うところではあります。
 
2010年の大阪府門真市少女変死事件
姉と姉の交際相手が妹を虐待の末に死亡させた事件が懲役13年と懲役14年。
http://disktopaska.txt-nifty.com/aska/2010/09/post-bdcc.html
 
2011年の茨城県龍ヶ崎市女性放置死事件
男と同居する姉を救出しようと同居した妹を虐待の末、敗血症で死亡するまで放置した事件
姉は起訴猶予、男は男性被告を保護責任者遺棄致死罪で懲役8年
http://disktopaska.txt-nifty.com/aska/2011/01/post-b57b.html
 
児童放置死事件で印象の強い
2010年の大阪西区姉弟育児放棄虐待死事件
真夏の7月、エアコンもつけずに部屋に3歳(姉)と2歳(弟)の子供を放置して、死亡させた事件
放置した母親は懲役30年(死亡が二人なので一人あたり15年と言うところでしょうか)
http://disktopaska.txt-nifty.com/aska/2010/07/post-e48b.html
 
児童虐待死だと
2009年の大阪西淀川区女児遺体遺棄事件
母親の連れ子の9歳女児を虐待の末、4月4日の夜から、ベランダに放置して死亡させ、遺体を遺棄した事件
父親は保護責任者遺棄致死と死体遺棄で懲役12年
http://disktopaska.txt-nifty.com/aska/2009/04/post-1df9.html
 
結局は殺人罪ではないからなんでしょうけど・・・骨と皮になった子供や、意識が無いような状態の子供を見て、無事に済むと思う方がどうかしていると思うわけで、どうなってもかまわないと言う未必の故意で、殺人罪とした方が良いのではないか?と思うんですよね。
 
罪状から量刑の上限が決まるわけで、もっと重くするなら、罪状を殺人罪にするしかないと思います。
 
で、事件の原因なんですが、ホントに責任感が強いところから、この事件が起きているのか?と言うとちょっと微妙ですね。
週刊誌の報道などによると、結婚して早い時期に、説教など心理的DVによって妻を摂食障害に追い込んでいます。
更に、結婚したのは妊娠が発覚した後なんですよね。
 
望んだ結婚なら、結婚早々に説教とかDVとか無いでしょ?
このあたりを考えると、本当に男性被告はこの結婚を望んでいたのか?と疑問符が付きますね。
 
望んだ結婚で、自分の理想の家族を作る為だったとしても、妻に手料理も作らせずに家族で食事もしないとか、それが理想の家庭、家族とは思えないんですよ。
 
被告が公判で語った理由は本当にそうなのか?と言う疑問は最後まで解消されませんでしたね。
 
亡くなった女児のご冥福をお祈りします。

参考リンク
東京都目黒区5歳女児虐待死事件その7(父親の第4回公判まで)

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東京都目黒区5歳女児虐待死事件その7(父親の第4回公判まで)

***第2回公判***
情報なし(10/3の午前が第2回で午後が第3回かも?)
 
***第3回公判(10月3日)***
1)女児を一時保護した香川県の児童相談所職員だった職員が出廷し、被告が「(女児を)しつけたのは自分だと延々と話していた」と証言したとのこと。
 
児相は2016年12月、女児を一時保護。17年2月に解除し、同3月に再び保護した。職員の説明によると、2回目の保護の際、児童養護施設で女児と面会した被告は「帰りたいのか、帰りたくないのか」と問い詰めていたとのこと。
 
職員は、女児が一時保護された際、被告が「『ここまできちんとできるようになったのは自分のおかげで、しつけに対する考え方を変えるつもりはない』と話していて、しつけについては自信を持っていた」と証言したとのこと。
 
また、被告は「一生懸命やっている自分がとがめられることについては納得がいかない」と話していたとのこと。
 
職員は一時保護されている時の女児の生活態度について「トラブルもなく、困ったことはなかった」と話したとのこと。
 
2)母親(女性被告)が出廷し、「最初、2人は仲が良かったけど、だんだん厳しくなり、けっているのを見た」と証言したとのこと。
 
母親は付き合い始めた頃の被告について、「積極的に(女児と)スキンシップし、女児も懐いていた」としたが、2016年9月に実子が生まれ、母親が育児に追われるようになると、「被告が女児と接する機会が増え、(接し方が)厳しくなってきた」と語ったとのこと。
 
母親は被告がなぜ女児に厳しく接していたと思うかと聞かれると「しつけを始めたのは女児が賢いから、これもあれもできるんじゃないかとしているうちに、歯止めがきかなくなっていったんだと思います」と答えたとのこと。
 
今後の被告との関係を問われると、「もう女児と息子には近づかないでほしいです」と話したとのこと。
 
検察官による最終尋問で、母親は「東京に引っ越してからは女児を直視することができなかった」と話しました。その理由について聞かれると「凝視してしまうと時が止まるような思いがした」「女児に服を着せるなど余計なことをすると被告が怒るので、怖い、怖い、怖いと思いました」と証言したとのこと。
 
女児が亡くなる3日ほど前、体調不良を訴える女児に与えたのは、バナナとコーヒーだけだったと話しとのこと。
 
検察官「あなた(母親)が、被告の言いなりになっているのはなぜですか」
 
母親「...わたしが、ばかだからです」と答えたとのこと。
 
***第4回公判(10月4日)***
1)被告は被告人質問で、女児へのしつけについて「うまくいかないことを繰り返すうちに怒りが強くなり暴力の方向に行ってしまった」と述べたとのこと。
 
2)目黒に転居してから死亡するまで女児を外出させなかった理由について「私のエゴ(勝手な考え)を強要させるための手段だった」と述べたとのこと。
 
3)弁護側の質問で被告は「東京に引っ越して1週間後くらいに、女児がたくさんご飯を食べていたり勉強をしていなかったことがきっかけで怒りが爆発した」と述べたとのこと。
 
東京に引っ越してきてからの女児への暴力については、「手で頭をたたいたり、ベランダに出したり、冷水を浴びせたりした」と話したとのこと。
 
去年2月の女児への傷害事件については「時計の勉強を1人でやるように命令したら女児が寝ていて、本人に怒った口調で問い詰めた」と話したうえで、「風呂場に連れて行き、シャワーで顔に冷水を掛けた。女児は苦しそうで嫌がっていた」「殴ったのは全力というわけではないが、手加減はしなかったと思う」と話したとのこと。
 
そして、「翌日、顔が青く腫れていたが、病院に連れて行かなかったのは虐待の発覚を恐れた保身だったと思います」と話したとのこと。
 
4)(結婚当時)女児の様子については「生活のリズムが整っておらず、今のままではよくないと考えるようになった」「女児本人に説明を繰り返すうちに怒りが増して、暴力という方向に向いていった」と話したとのこと。
 
5)被告は香川県で15年ごろに母親の女性被告(27)と交際を始め、「女児がいたので結婚した。両親そろっていた方がいいと思った」と説明。「父親代わりになれるか不安だった」とも述べたとのこと。
 
別の報道では
結婚した理由を問われた被告は「実父のいない女児の存在が大きかった。両親がそろっているほうが子どもにはいいと思った。笑顔の多い明るい家族にしたかった」と話したとのこと。
 
6)(女児への)暴行への抵抗はなかったのかと聞かれると、「なくはなかったが、次第に薄れていったのは事実です」と答えたとのこと。
 
7)なぜ暴力を止めなかったのか?
被告:「私が感情がコントロールできず、すべて私の責任です。他に要因はありません。すべて私の責任です」と答えたとのこと。
 
8)女児が「ゆるしてください」などと書いたノートを見た感想を問われると、「私の機嫌をとるためだけに書かされたという印象」と答えたとのこと。
 
9)亡くなる直前の女児の気持ちを検察官に問われ、「言い表せない深い悲しみ、怒りの中にいたんじゃないか」と陳述。「親になろうとしてごめんなさい」と泣きながら謝罪したとのこと。
 
10)母親(女性被告)(27)から「もう関わらないでほしい」と言われたことについて聞かれると「心苦しいですけど、それに従うべきだと思う」と述べた。また、女児に対しては「私が親になろうとして、ごめんなさいという気持ちです」と語ったとのこと。
 
11)なぜ今回の事件が起きたのかと聞かれると、「私のエゴが強すぎて、自分が描いた理想を押しつけた自分一人の責任ということしかありません」と証言したとのこと。
 
12)被告は大学卒業後はIT関係の会社に就職した。しかし、仕事に対するプレッシャーなどから徐々に体調を崩して退職。友人から誘われてススキノ(札幌市)の水商売の店に勤務し、その後、別の友人からの誘いで高松市の店に移ったとのこと。
 
こんなところですね。
ご存じの方は大丈夫だと思いますが、公判の記録は膨大で被告人質問の内容も大量です。
なので、全てを記載できません。もし全文が知りたい方は別途公判記録を読まれる事をお勧めします。
 
今まで疑問だったのですが、大卒の被告が水商売になるまでの経緯が出てますね。
IT関係の会社と言うだけで、実際の職種が分かりませんが、プログラムや製品を開発する部門だったりすると、納期や品質問題に直面しますから、プレッシャーは大きいですよね。
特に責任感の強い人だとダメージは大きいかもしれませんね。
 
ただ、メンヘルで長期離脱した場合でも、良心的な会社なら復帰へのプロセスはルール化しているので、勤務時間を短縮したり、ストレスの少ない職種に変更して勤務を継続する事が可能な場合が多いのですが・・・心が折れちゃったのかな?
 
それからもう一つ、ちょっとイメージが違っているのが結婚した理由ですね。
私はてっきり、実子を妊娠したからと考えていましたが、第4回公判の話しを見ると、シングルマザーよりも、両親が揃っていた方が良い言う考えだったようです。
なので、望まない結婚だったのか?と言うのは微妙かもしれませんね。
被告自身が責任感が強くて、自分自身の不安を覆い隠していて、自分自身で自覚できないような状態だったと言う可能性もあるかもしれません。
 

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2019/11/27

愛知県名古屋市北区受験勉強長男殺人事件その7(控訴審判決)

***控訴審初公判(11月8日)***
一審の名古屋地裁は、被告の「殺意」を認定し、懲役13年の実刑判決を言い渡したが、弁護側が控訴していた。
 
1)弁護側は「事実誤認があり、事故の可能性がある」などとして改めて殺意を否定し、傷害致死罪の適用を求めたとのこと。
 
2)検察側は公訴棄却を求めたとのこと。
 
3)即日結審した。
 
4)判決は11月27日の予定
 
***控訴審判決公判(11月27日)***
名古屋高裁は懲役13年とした裁判員裁判の1審・名古屋地裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却した。
 
1)弁護側の障害致死罪の適用の主張に対して裁判長は「傷の位置、形状から被告が胸を刺し、殺意を認めた1審判決は論理則・経験則に照らして正当」などと退けた。
 
別の報道では
「骨を切り込むほど深い刺し傷があり、強い力で刺したことは明らか」と殺意を認め、一審の判決を支持し、控訴を棄却した。
 
2)量刑も「実父による子の殺害という事案の重大性、動機・経緯の身勝手さを正当に評価している」として1審判決を支持したとのこと。
 
こんなところですね。
私も裁判長の判断を支持しますね。
刺すつもりは無かった、振り向いた拍子に刺さったと言うのは、説得力を感じられません。
次は最高裁ですが、果たして結果は変わるのか?上告の行方に注目ですね。

参考リンク
愛知県名古屋市北区受験勉強長男殺人事件その6(判決公判)

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2019/11/11

東京都目黒区5歳女児虐待死事件その6(父親の初公判)

***初公判(10月1日)***

1)「間違いありません」などと述べ、起訴内容を大筋で認めた。

「1点だけ。私が女児の体に危険を感じたのは3月1日ごろではなかったかと思います」と述べた。

2)女児の救命措置に当たった消防隊員の証言
隊員は女児が死亡した2018年3月2日、男性被告の119番で自宅アパートに駆け付けた。被告はベランダから慌てた様子で「早く来てくれ」と叫んでいたとのこと。

女児はパジャマ姿で布団に横たわっていたといい、隊員は「あばら骨が浮き出て、手足は骨と皮しかないくらいだった。顔は土気色で頬はこけ、目の周りが腫れていた。あざや傷がたくさん見えた」と証言。痩せこけた女児について、男性被告が「数日前から具合が悪く、食事はあまり取れていない」と説明したとのこと。

3)弁護側は「男性被告は女児を理想の子どもにしようと思っていた。彼のエゴに基づくものであるが、邪魔になったから虐待をしたわけではない」と主張したとのこと。

別の報道では
「女児に理想のこどもであってほしいという気持ちから、できないといら立ち暴力をふるってしまった」「厳しい虐待は許してはいけないことだが、それでも、男性被告は女児の父親であろうとしていた」と主張したとのこと。

弁護人:
今回、起訴されているのは保護責任者遺棄致死罪です。殺人や傷害致死ではありません。適切な保護をしなかったことの責任が問われます。過去の経緯も無視することはできませんが、彼がしてきた虐待や、妻である女性被告へのDVを裁く場ではありません。

被告の生い立ち
幼少期に千葉から北海道に転居するなどした経験から、他人を気にしたり、自分を押さえつけたりすることを学んだとされる。大学卒業後にシステム保守(メンテナンス)の仕事に就職。退職後は知人の紹介で北海道のクラブに勤務。その後、香川県内のキャバクラに移り、平成27年5月ごろ、女性被告と出会ったという。女性被告は離婚歴があり、子供がいることを男性被告に伝えていたが、2人は急速に距離を縮め、一緒に生活するようになったとのこと

男性被告は結婚を強く意識するようになりました。彼には理想の家族(像)があって、明るくて何でも言い合える関係です。この正しい、しかし、高い理想は、男性被告のプレッシャーになりました

その後、女性被告に対してきつくあたるようになり、罵声を浴びせることもありました。女性被告は男性被告に対して、ものを言えないようになりました。平成27年4月、入籍して、女児とも養子縁組した。

男性被告は、女児の友達が少ないのではないかと考えたという。その焦り、いらだちが女児に向くようになったとのこと。

男性被告が先行して東京に転居。その後、後を追うように転居してきた女性被告と女児。このとき男性被告は徐jいが「食事を過度にとっていた」ことに怒りを覚えたとのこと。

男性被告は女児に理想の子供であってほしい。友達をたくさんつくってほしい。目標を見つけて達成する、達成感を味わってほしい…と思っていたとのこと。


4)検察側は虐待の状況について詳しく説明した。そのなかで、亡くなる2カ月ほど前には16キロ余りあった体重が男性被告による食事制限によって逮捕時には12.2キロだったとのこと。

また、「女児が嘔吐を繰り返しているにもかかわらず、虐待の発覚を恐れて病院に連れて行かなかった」と事件の悲惨さを指摘したとのこと。

検察官:起訴状などによると、男性被告は昨年1月下旬ごろから女児に十分な食事を与えず、シャワーで冷水をかけて顔面を複数回、殴るなどの暴行をしたとしている。検察官は女児が死亡する直前の2月下旬、目黒区のアパート近くの自動水質計器で計測された1日の水温が平均で8・5度だったと述べたとのこと。

争点(論点)の要約
A)犯行態様の悪質性。虐待や傷害の程度がポイント。また保護の必要性を認識したのが2月27日ごろか、その後か」

B)動機に酌むべき点があるかどうかの『責任、非難の程度

C)5歳の生命が奪われた『被害結果の重大性』

こんなところですね。
弁護側の主張としては、理想の家庭、理想の子供を作りたかったと言う事なんだけど・・・
流石に、理解できませんね。

理想の家族を作ろうとしているのに、現実は全て逆ですよね。
何でも言える家族関係なんて、どこにも無い、そしてそれを作ったのは被告本人です。

さらに、子供の教育についても友達を沢山作って欲しいと言いながら、ほとんど外に出さないような生活を強いているので、とても、この主張に信憑性があるとは思えないんですよね。
(外出の件については、明確な情報は女性被告の公判の時も出ていないと思いますが、過度の課題を出して、それをさせているわけで、とても、外で友達を遊ぶような時間は無かっただろうと思います、なので結果的に友達を作れるような環境は作っていないと思います)

このあたりを考えると、今の段階では、弁護側の主張するような理想の家族を作る事のプレッシャーで虐待やDVをしたと言う事は信じられないですね。

だいたい、そんなプレッシャーや願望があるなら、誰かに理想の家族を作るにはどうしたら良いのか?とか相談した事があるのだろうか?

とりあえず、弁護側がこの後、どんな主張を繰り広げるのか?に注目ですね。
(と言いつつ、判決はもう出ています)

参考リンク
東京都目黒区5歳女児虐待死事件その5(母親の判決まで)
東京都目黒区5歳女児虐待死事件その7(父親の第4回公判まで)

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2019/11/06

東京都目黒区5歳女児虐待死事件その5(母親の判決まで)

***論告求刑公判(9月9日)***
1)検察側は懲役11年を求刑した。
論告で男性被告(34)の暴力を容認したほか、食事を与えず、関係機関の支援も排除して外部が助けられない環境をつくったと指摘。男性被告に支配されていたとまでは言えず「被害者の命と男性被告との関係をてんびんにかけ、男性被告を選択しただけ」と非難したとのこと。

別の報道では
検察側は「命を守るという親として最低限度の責任を果たさなかった」と強く非難したとのこと。

女児は目黒区に転居した2018年1月23日以降、父親の男性被告(34)=同罪などで起訴=から過度な食事制限や暴力を受けたと指摘。体には170カ所以上の傷やあざがあり、死亡までの39日間で体重は約4キロ減ったとしたとのこと。

女児がノートに「パパママ もうおねがいゆるして」など書き残した文章を引用し、「女児は逃げることも助けを求めることもできなかった。両親に未来を奪われた無念は計り知れない」と述べたとのこと。

2)弁護側は懲役5年が相当と訴えた。
弁護側は「女性被告への(男性被告の)虐待にも目を向けてほしい」と強調。女児は女性被告が大好きだったとした上で、女性被告の女児の死亡への関与は少なく、過大に非難されるべきではないと訴えたとのこと。

3)被告は最終意見陳述で「女児を愛していたのに心も体もぼろぼろにして死なせてしまったことへの罰はしっかりと受けたい」と述べたとのこと。

***判決公判(9月17日)***
東京地裁は、母親に懲役8年の実刑判決を言い渡した。

「大好きだった実母である被告人からも苛烈な食事制限を受け、医療措置を受けさせてもらえないまま死亡するに至っており、被害児童の感じたであろう苦しみ、悲しみ、絶望感は察するに余りある」と指摘したとのこと。

認定項目と思われる部分(日本語が難しいです)
1)女性被告が女児に対して苛烈な食事制限などを行い、必要な保護を与えなかった点について、判決では「看過できない男性被告からの心理的影響があったと認められる」

なので、量刑上適切に考慮すべき

2)女性被告の女児に対しての便宜を図るなどの消極的な抵抗について

女性被告は男性被告の言動で受け入れられないことがあった場合に、自らの意思に基づいて行動することができていたといえる。従って、男性被告からの心理的DVにより逆らいにくい面はあったにせよ、最終的には、自らの意思に基づき指示を受け入れた上で、これに従っていたと評価するのが相当である」

3)弁護人が主張するように、被告人が男性被告により心理的に強固に支配されていたとまでは言えない」

4)男性被告からの報復を恐れて女児が死亡するまで治療させなかった事については

(報復が)被害児童の重篤な状態を知ってもなお医療措置を受けさせようという動機を形成することが困難であったといえるほどに切迫したものであったとは認められない」

5)全体として
「男性被告の意向に正面から反しない範囲ではあるが、被害児童の苦痛を和らげようとする努力は行っており、不保護の場合でも、添い寝をしながら看病をしており、全く放置したわけではないことからすれば、検察官が主張するような極めて強い非難が妥当する事案とまではいえない」とのこと。

「そして、このような犯情に加え、被告人は、わが子を死に至らしめたことを深く悔やみ反省していること、男性被告とは離婚し、被害児童の弟の親権者となっており、今後その子を扶養すべき責任を負っている」と話したとのこと。

6)最後に裁判官の説諭
「女児は戻ってきません。裁判が終わってもしっかりと考えて、人生をやりなおしてください」と話したとのこと。

こんなところですね。
DVを受けた母親が虐待に加担しながら、死亡させてしまった事に対して、どのような判断がされるのか?
と言うのが注目された裁判だと思います。

この手の事件はこの事件が初めてでは無いし、どちらかと言えば、ありがちな話なんですよね。
それは、事件となってしまったケースに多いと言う事で、事件と成らなかった事件では、母親が子供を救出したと言う事でもあるんでしょうね。

なので、DVの影響で虐待に加担してしまう母親は一定の割合でいると言う事なんだろうと思います。

で、問題はこれらの母親に対して「何ができるのか?」なんですよね。
この事件でも、児相が介入してますから、全く虐待が露見していなかったわけでは無いんですよ。

だけど、母親が男性被告に協力する事で隠蔽工作が成功しているように見えます。
もし、この時に児相に本当の事を話していれば、そこで事件は終わったはずなんですよね。

結局、母親は児相が助けてくれないと判断して、この状況に適応しようとしたんでしょうね。
男性被告のDVを男性被告に従う事で回避して、女児に対しては男性被告に分からないように助けると言う、板挟み状態を選択したんでしょう。
その判断がこの事件の悲劇を生んでしまったのだと思います。

そこを考えると、子供だけでなく、母親に対してもケアをする事が必要で、母子を同時に保護するような仕組みが必要なんだろうと思います。

もう少し時間を遡ると、結婚の段階で何かできないのか?と言う事のあるのですが・・・
ちょっと、そこは難しいかもしれないですね。
結婚する前にこの事件を予測できたのか?と言うと、無理だったろうと思います。

目に見えて性格に問題があるとか、社会性に問題があると言う情報も無かったようですし。
生活苦から脱出を夢見る若いシングルマザーには、バラ色の結婚生活が来ると信じていたんじゃないのかな。

私は男性被告はこの結婚を「望んでいなかった」と考えています。
妊娠した事の責任を取ると言う事に固執してしまったのかもしれません。
(人に無責任男と噂されるのを嫌った、ただの見栄っ張りなのかもしれません)

もし、そうであれば、結婚生活が遠からず破綻する事は予想できたかもしれません。

しかし、それを見抜く事が出来た人物が女性被告の周囲にいたのか?と言うのが問題ですね。
結果、居なかったのか?居ても、最終的に女性被告に結婚を思いとどまらせる事はできなかったと言う事なんでしょうね。

結局のところ、「結婚は慎重によく考えて決断して欲しい」と言う事以外に無いのかもしれませんね。
でも、男にしろ女にしろ、結婚を夢見て舞い上がっている人間に「あの人は良くないよ、結婚は考え直した方が良い」なんて言葉を言ったところで、果たして耳に入るのか?と言うのもありますよね。

とはいえ、そんな事を言っていると結婚なんてできないかもしれません。
結婚した3組に1組は離婚していると言う現実がそれを物語っているのかもしれませんね。

それでも敢えて言います。
「結婚は慎重によく考えて決断して欲しい」特に若い女性はね。

参考リンク
東京都目黒区5歳女児虐待死事件その4(母親の第4回公判まで)
東京都目黒区5歳女児虐待死事件その6(父親の初公判)

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2019/10/30

東京都目黒区5歳女児虐待死事件その4(母親の第4回公判まで)

***第4回公判(9月6日)***
 
1)被告人質問
被告は、男性被告から女児への暴力は知らなかったとした上で、「私は女児の母親なので、知らなかったではすまないと今は思っています」と述べたとのこと。
 
「男性被告の言うことを聞いていれば、女児に攻撃しないと思った」「女児に近づくと男性被告の機嫌を損なうので、怖くて近づけなかった」と話したとのこと。
 
女児との関係については、「「私がちゃんと親子関係を築けなかった」「私と男性被告が女児を追い込んだとしか思えない」「その時は女児のためにとやった行動が、結果的に女児の死につながったと思ってます」と話したとのこと。
 
***補足1***
「あしたはもっと できるようにするから」「もうおねがい ゆるしてください」
 
女児のノートのこの記述に対する話ですね。
 
被告:「文書を見たら普通の人なら助けを求めるはずなのに、あのときはそうしなかった。今思えば私と男性被告が女児を追い込んでいたとしか思えない」と話した。
 
***補足2***
検察官が、児相や医師らの「支援の手を振り払って自ら孤立したのでは」と問うと、「その時は女児のためにした行動だった。それが結果的に女児を死なせてしまった」と話した。
******
 
死亡する数日前に女児を病院に連れて行けば、顔のあざが見つかって男性被告も自身も逮捕されたと思うとし、「暴行したのは男性被告だが、女児を守らなかったり、男性被告がストレスを感じる環境をつくったりしたのは私」と自身の責任について述べたとのこと。
 
被告は県児相に関し「関係がよくなくて児相に対して間違ったイメージがあった。私が歩み寄らなかった」と話した。
 
また都の児相職員が「相談してほしかった」と証言したことに触れ「ああいった立場になったときは助けを求める一言を言えない」と話したとのこと。
 
亡くなる前日に被告が痩せこけた女児をお風呂に入れた時の話について聞かれると、「死んでしまうとは思わなかった。大丈夫だと思っていた」と話した。
 
また、「男性被告に顔のあざがなくなったら病院に行こうと言われた」「結果的には男性被告の暴行を容認していた」とも話したとのこと。
 
こんなところですね。
微妙に自己の責任を回避する部分がありますね。
最終的に男性被告に責任がある的な言い回しになっているように見えます。
 
長く辛いDV生活の中で従属する事を強いられた結果、性格や思考に偏りができているのかな?
 
一つ気になるのは、死亡する前日の入浴の時の話で
「死んでしまうとは思わなかった。大丈夫だと思っていた」
 
と言う事は死亡しなければ、今の状態を続けても良いと考えていたと言う事なんじゃないかな?
男性被告からの暴力を回避する為に無意識に娘をスケープゴートにしたと言う疑いもありますよね。
肉体的にも精神的にも追い詰められていたんでしょうね。
 
二人が結婚した理由が分かりませんが、結婚相手は慎重に選ぶべきですね。
この結婚には、男性被告の母親が反対したようです。
それを押し切って結婚しているようです。
(このあたりは週刊誌の記事ですね)
 
男性被告側の家族が反対した理由は、多分、バツイチの子持ちで、仕事が水商売と言ったところでしょうか。
反対する理由としては、ありがちな理由だと思います。
 
ただ、女性被告側の家族はこの結婚をどう考えていたのか?と言うのが出ていません。
一般論でいえば、経済的にも家事や育児の負担も減って精神的にも安定するはずで、周囲は反対しないですよね。
 
相手がどんな男かなんて、調べたりもしないでしょう。当の本人がぞっこんだったようですから。
 
なので、この結婚を止める事ができたのは、男性被告の家族だったんですよね。
でも、かなりの反対を押し切って結婚しています。
結婚のきっかけは、長男の妊娠と言う事のようで、責任を取る形で結婚を選択したと言う事なのかもしれません。
 
だとしたら、本当に男性被告はこの結婚を望んでいたのか?ちょっと微妙な印象です。
長男の妊娠がなければ、この二人は結婚しなかったかもしれません。
 
男性被告は強い責任感で、自分自身を望まぬ結婚に向かわせてしまったのかもしれませんね。
その表に出せない不満が結果的に、自分の望む家族の形の追及へと変化していったのかな?
 
このあたりの男性被告の考え方や受け止め方などは、男性被告自身の公判の内容で考えてみたいと思います。
 

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2019/10/29

東京都目黒区5歳女児虐待死事件その3(母親の第3回公判まで)

***第三回公判(9月5日)***
1)一家が東京に引っ越す前に女児を診察した香川県の女性医師の証人尋問。
 
医師は香川県の児童相談所が女児の2度目の一時保護を解除した後の約4カ月間にわたって母子の診察や相談を続けてきたとのこと。
 
医師は「当時の女児の体重は平均の範囲内で、引っ越す直前は表情も明るかった」。
「女性被告は自己評価が低く、夫の男性被告の考えに従っていて、夫婦の力関係は悪かった」と述べたとのこと。
 
別の報道では
「女性被告は夫を尊敬していて、夫が正しいと思っていたので、暴力を悩んでいたが容認しているところがあった」。
 
「東京に行って、すごくしんどかっただろうと思うけれども、助けてあげられるのはお母さんしかいなかった」「女児は最後の最後まで助けてくれるのを待っていたと思うし、お母さんには守ってほしかった」「女児が大好きだったお母さんなので、罪を償ってほしい。女児に謝ってほしい」と述べたとのこと。
 
医師は女児が「お父さんがキックする。家に帰りたくない」と話し、女性被告については「ママはやめてと言ってくれるよ」とする一方、「パンチしないがたたく」とも話していたと述べたとのこと。
 
2)弁護側の被告人質問
「女児ごめんなさいと謝り続けるしかない」と話したとのこと。
 
説教の内容は
Q:「内容はあなたの生活のことだけではなくて、女児へのしつけや生活ぶりに話が及んでいったのはいつからですか」
 
A:「入籍してから言われるようになりました」
 
「毎日説教され、『ごめんなさい』と言っても男性被告が慣れたのか『反省をもっと違う態度で示せ』と言われました」
 
「何回言っても許してくれないので、自分を傷つければ分かってくれるかなと思って、自分の髪の毛を引っ張ったり、太ももを次の日に真っ黒になるまで叩いたり、自分の顔を叩いたりということを見せました」とのこと。
 
一部要約すると
男性被告が女児をサッカーボールのように蹴った時の状況
男性被告が寝ている女児の腹を蹴った。
その時、被告は止める事ができなかった。
それを見た被告が涙を流していると
男性被告が「お前が泣いている意味が分からない」と言った。
 
その後、すこしして、被告が「暴行を止めて」と言うと、男性被告は「お前が結愛をかばっている意味が分からない」と言った。
 
2回目の保護の時、男性被告は
「児相の人は他人だから、結愛のことを考えていない。マニュアル通りに勧めている。女児のことを考えているのは母親のお前でもなく俺なんだ」と言った。
 
男性被告の作った児相への対応マニュアル
女児が母親も暴力を受けているとの発言を否定する為の口裏合わせでは
「俺はお前にDVなんてしてない』と確認を取ってきて、私もばかだから『うん』って言いました」
 
男性被告の実子である息子について
「とても大事に扱わないと男性被告の機嫌が悪くなることの一つでした。かすり傷一つあると病院に連れて行かないと男性被告に責められる」
 
3)検察側の証人尋問
Q:「東京に住み始めた当初、食事を家族でとることはありましたか」
 
A:「みんなバラバラでした。段被告の前では私も食事をすることはできないので、自転車で近くの店に行き、パンなどを買って公園で食べていました」
 
Q:「男性被告はどうしていましたか」
 
A:「レトルト食品のようなものを食べていました。東京に引っ越してきたとき、『俺の飯はもう作らなくていい』と言われました」
 
女児については
「男性被告から『俺がスーパーで女児のために買っておく。それだけを食べさせてくれ』と指示されていました」
 
ざっくりとこんなところですね。
実際の証言は詳細な報道を参照してください。
 
えーと、ここまでの証言を見ても分かりますが、夫婦関係、家族関係は破綻していますよね。
夫婦なのに、食事を一緒に取らないとか、妻に手料理を作らせないとか、これが家族の団らんか?と思います。
 
暴力によって支配されている状態に見えますね。
息子は溺愛していたものの、接し方には厳しかったようです。
 
ただ、一つ思うのは、男性被告自身はこの生活が気に入っていたのか?なんですよね。
この家族が心安らぐ家族の姿なのか?と考えると、ちょっとそうは思えない部分はありますよね。
 
長時間の説教にしても、男性被告自身もそれに時間が割かれてしまうわけですから、本来なら本人もそんな事に時間を使いたくは無いと思うんですよね。
 
なので、過度な義務感やあるいは、依存状態(説教に依存している状態と言うよりは、支配する事に依存しているのかもしれませんね)
 
そうなんですよ、男性被告自身がこの状況を望まなければ、こんな状況は継続できないと思うんですよね。
 
ただ、一方で、女性被告自身が洗脳とは言わないけれど、従属的になってしまった事で、男性被告の支配欲を満たしてしまった可能性があります。ここで共依存関係ができてしまっているのかもしれませんね。
 
女性被告はもともと、自己評価が低い面があって、依存しやすい性格だったのかもしれません。
逆に言うと、男性被告がそんな女性被告だからこそ、結婚相手に選択した可能性もありますね。
 
なので、互いに結婚してはいけない相手だったと言う事なのかもしれません。
もし、結婚相手が互いに違っていたら、こんな事件は起きなかったのかもしれませんね。
 

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2019/10/16

東京都目黒区5歳女児虐待死事件その2(母親の第2回公判まで)

***初公判9月3日***
1)女性被告は「間違いありません」と起訴内容を大筋で認めた。

2)検察側は冒頭陳述で、女性被告と夫の男性被告(34)が、亡くなる約1カ月前から女児をほぼ外出させなくしたと指摘。午前4時ごろに起こして息が苦しくなるまで運動させ、1日に汁物1~2杯しか与えない日もあったとしたとのこと。

女児は男性被告から殴られたり、ベランダに立たせられたりする虐待を受け、亡くなる直前には嘔吐を繰り返したが、女性被告が虐待発覚を恐れ、病院に連れて行かなかったとしたとのこと。
死亡時の体重は同年齢の平均の約20キロを8キロ下回る12・2キロだったとのこと。

3)弁護側は「罪の成立は争わないが、男性被告の心理的な支配下にあり逆らえなかった」と述べ、従属的な立場にあったとしたとのこと。女性被告は女児が暴行される場面を直接見ていなかったとしつつ、女児の体のあざを見て「たたくのをやめて」と言ったこともあったが、男性被告から怒られるなどの心理的ドメスティックバイオレンス(DV)を受け、暴行を止められなかったとしたとのこと。

4)起訴状などによると、女性被告は昨年1月下旬ごろから女児に十分な食事を与えず、父親の男性被告による暴行も放置。女児が衰弱していたことを認識しながら、虐待の発覚を恐れて医師の診察を受けさせず、3月2日に低栄養と免疫力低下で引き起こされた肺炎による敗血症で死亡させたとしている

5)冒頭陳述、弁護人「(男性被告は)8歳年上で、何でも知っているあこがれの人でした。結婚して下の子(弟)を妊娠したころから、『子育てができていない』などと説教されるようになりました。説教は連日2~3時間続きました。(女性被告は)自分のために説教してくれているのだと思うようになり、説教を受けた後、『ありがとう』と言うようになりました」とのこと。

弁護人「離婚も考えましたが、何度も言い聞かされるうちに『彼(男性被告)は女児のために説教してくれているんだ』と思うようになりました」とのこと。

弁護側の冒頭陳述の要約
男性被告から友人がたくさんいて、仕事もほぼ決まっていると女性被告は聞いていたが、実際には仕事も決まっていなかった。

離婚を切り出したが、女児を引き取り、男性被告の実子の長男は置いていくと言うと、離婚を否定され長男を捨てる酷い母親と言われ絶望的になった。

その後、女児は部屋に閉じ込められるようになり、日課を強制されるようになる。

その後、女児が食事を受け付けなくなり、嘔吐を繰り返した。病院に連れて行こうとしたら、男性被告がアザが消えてから連れて行くといった。
女児を風呂に入れると、びっくりするほど女児はやせていた。
その後、どんどん女児は弱り、女性被告はずっと女児に添い寝をしていたが、女児は死亡した。

6)通報で自宅に駆け付けた消防隊員が「あばら骨が浮くくらいやせていた。凄惨な事案だった」と証言したとのこと。

証言によると、自宅に着くと、女性被告が女児の心臓マッサージをしていた。女児の背中には複数の傷があり、顔は土色に変色。「数日食べていないだけで、あのようなやせ方にはならないだろうと思った」ととのこと。

7)女児の部屋には大量の貼り紙があった。「あさおきてからすること」と題した紙には「めざましどけいをはやくとめる」「いきがくるしくなるまでうんどうをする」「たいじゅうをはかる」などの“約束事”が多数書かれていたとのこと。5歳児には困難な、かけ算の九九や時計の読み方を練習する約束もあり、中には女児の血痕が残る貼り紙もあったとのこと。

8)遺体の写真を見た小児科医は証人尋問で「病的にやせて骨が目立ち、打撲や傷が多数あった」と述べた。女児は低栄養と免疫力低下で引き起こされた肺炎による敗血症で死亡したとされるとのこと。

***第2回公判9月4日***
1)検察側は女児が生前に「ゆるしてください おねがいします」などとノートやメモ紙に書いた言葉を読み上げたとのこと。

このほか「ぱぱにおべんきょうおしえてもらったのにおれいをいわなかった」「べらんだにたたされた」「ぱぱとままにみせるってきもちでやるぞ えいえいおー」といった言葉もつづられていたとのこと。

2)品川の児相職員の証言によると、昨年2月9日、事前の通知なく訪問した職員に対し、女性被告は「児相の関与はもう終わっている。児相に家庭をめちゃくちゃにされ、(女児は)幼稚園にも行けなくなった」と不満を表明したという。児相職員は女児に会えなかったが、出てきた弟の様子を見て心配ないと考え、「少しずつ関係を作ったほうがよい」と判断し、5分程度で面会を終えたとのこと。

検察側によると、訪問後、女性被告は通信アプリLINEで夫の男性被告(34)に「関わりたくない旨伝えて帰ってもらったけど、マークはされ続けるでしょうね(笑)」と報告。「すみませんね」と返した夫に「いや、女児が悪いんやって(笑)」などと答えていたとのこと。

3)香川県の児童相談所の職員も出廷。女性被告と面接した際に、「女児が『お母さんも男性被告から叩かれている』と話していた」と伝えると、女性被告は「女児がうそをついている。夫から叩かれたことはない。自分が夫を叩くことがあるくらいだ」と話したと証言したとのこと。

こんなところなんですが・・・
冒頭陳述は原文を読んでもらった方が良いと思います。
この記事を書く前に男性被告の判決が懲役13年と知っていますが、これで懲役13年と言うのには、理性で理解できても、感情が受け入れられません。

女児は一瞬で亡くなったわけではないんですよ、長い時間、激しい虐待を受けて、食事制限までされて、やせ細り、治療もされずに殺害されたんですよね。

とりあえず、女性被告の公判の記録なので、男性被告については、男性被告の公判記録の方で書く事にします。
つい、書かずには居られませんでした。

何がこの家庭を壊したのか?健全な家庭ならこの事件は防げたと思います。
とにかく、以後の公判で何がこの家庭を壊したのか?その答えを見つけたいと思います。

参考リンク
東京都目黒区5歳女児虐待死事件
東京都目黒区5歳女児虐待死事件その3(母親の第3回公判まで)

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2019/09/16

愛知県名古屋市北区受験勉強長男殺人事件その6(判決公判)

***判決公判(7月19日)***
名古屋地方裁判所は懲役13年(求刑懲役16年)の判決を言い渡した。
 
裁判所は、「心臓に深さ9センチの傷があり、強い力で突きつけた」とし、被告に「殺意」があったことを認定した。強い力で一気に刺入されたと認定した。
 
判決は「被害者の態度にいらだちを募らせた末に激高し、衝動的に犯行に及んだ」と殺意を認めた。
 
包丁が偶然刺さった可能性や長男が自分で胸部を刺突した可能性は考えがたい。経緯をあわせみれば犯行当日の朝、長男の態度にいらだちを募らせていったあげくに激高し、胸部を突き刺したことが合理的に推認されるとのこと。
 
犯行当時の責任能力も認定した。
精神障害が影響を与えているとする弁護側の訴えには「犯行当時、精神障害に罹患していた事実は認められず、完全責任能力がある」と認定した。
 
犯行時の記憶がない点については、自己防衛のために解離性健忘が生じたと説明しているとのこと。
 
「保護者によって命を奪われ、母の苦しみは計り知れない」とした。
 
判決では経緯について「中学受験の指導の名の下、被害者の気持ちを顧みることなく、自らの指導・指示に従うよう暴力的な言動から刃物へ、ナイフから包丁へと独善的な行為をエスカレートさせた」と指摘したとのこと。
 
裁判長は「父親によって命を奪われた長男の驚きや苦痛は察するにあまりある」と述べた。
 
量刑については「子に対する殺人事案としては非常に重い」としつつ、「犯行直後に病院へ運び、後悔や反省の弁を述べていることなどを考慮した」と述べたとのこと。
 
こんなところですね。
死亡が一人で、罪状に「強」の字もつかないので、相場としては懲役15年前後と言うところなんでしょうね。
求刑は懲役16年でやや、悪質と言うところでしょうか?
 
刺した事への言い訳がやはり、説得力が無かったんでしょうね。
うっかり刺して、9センチも刃は入らないですよね。刺された方は反射的に逃げますからね。
今回の弁護側の説明は、普通に考えれば、受け入れられる物では無いですね。
刺さる直前に口を塞いだのも、叫び声を抑え込む為と考えた方が自然ですからね。
 
事件当時の記憶が無いのは「解離性健忘」と説明しています。例の2006年の秋田で小4の娘を橋から突き落として殺害した女性も事件当時の記憶が無く、こちらは「抑圧」と説明されていますね。
 
量刑は懲役13年で、反省している事を考慮して3年分を減じたと言うあたりですね。
 
このあたり妥当なところかな?と思いますが・・・残された母親はこの量刑をどう考えているのか?気になりますね。
 
この事件を防ぐには?と考えた場合、家庭の中、家族の中だけで解決するのは難しいのではないか?と言うのが私の印象です。
 
つまり、この事件の原因を根本的に解決しようとすると方法としては
A)長男の成績を飛躍的に上昇させる。(志望校に楽に合格するほどの成績が必要)
B)父親の教育方針を変更させる。
 
この二つしか方法が無いと思うんですよね。
A)については、長男の能力や才能とは別に、これだけのストレスの中で勉強に集中すると言うのができるのか?と私は思います。それこそ、恐怖やストレスで夜も良く眠れないような状況ではなかったのか?と思うんですよ。
なので、私はA)が起こるには、父親の教育方針が変わって、勉強する環境が変わらないと無理なんじゃないと考えています。
 
すると、結果的にB)の父親の教育方針を変更させる事以外に方法が無いように思います。
ではどうすれば、教育方針を変えさせる事ができるのか?と言うのが難しいところだと思います。
 
これだけ、頑に成績や志望校にこだわるのは、父親本人に強い、学歴コンプレックスがあったのではないか?と勝手に推測しています。他に複数の理由があったのかもしれませんが・・・学歴コンプレックスはその複数の理由の中の一つだろうと思います。
 
もしそうだとしたら、父親の学歴コンプレックスを解消しないといけないわけですが、そう簡単ではないですよね。
 
他にもう一つ可能性があるとしたら、過剰な期待なのかな?
2006年に奈良で医師の息子の高1男子が家に放火して母親と兄弟が死亡する事件がありました。
この事件でも、医師の父親が受験勉強を暴力的に指導していたのが事件の原因でした。
こちらの事件は医師が息子も医学部へ進学させようとしていたようで、医師になる事への過剰な期待があったのかもしれません。
 
一方で、今回の事件では父親はトラックの運転手さんのようですから、自分とは違うもっと稼げるような職業になって欲しいと言う強い期待があったのかもしれません。
 
ただ、こちらの場合も、簡単に父親の意識を変えるのは難しいと思います。
本人が働いて家族を養っているわけで、生活する事がどれほど大変かを身にしみてわかっているわけですからね。
(この家族の経済的状況は分かりませんが・・・)「人生、お金が全てじゃない」なんてのは、ある程度、経済的に余裕が無いと言えないと思います。
 
どんな理由で、息子の成績にこだわるのか分かりませんが、本人は毎日仕事もしていて、言動にも不自然な点は無いのでしょうから、カウンセリングを受けてほしいなんて事も、家族だとしても言い出しにくいですよね。
 
例えば、教師や児童相談所の職員などが面談などして、説得をしてみても、結局、息子の進学にこだわっている父親の耳には届かないような気がしますよね。
 
最後の手段は児相による保護で、父親と別居させると言う事になりますが・・・母親から一緒に家を出ようと言う提案も拒否している息子が、児相の保護を受け入れる事ができるのか?と言うのも疑問です。
 
もしかすると、父親と息子は共依存の状態だったのだろうか?
もし、そうなら、息子の依存を解いて、それから母親と一緒に保護すれば、この事件は防げたのかな?
 
この事件を防ぐ方法について、教育関係の方はどのように考えておられるのか?ご意見を伺いたいですね。
 
私は父親を変える方法が全く思いつきません。
例え、児童虐待で逮捕されても、この父親は変わらなかったと思うんですよね。
 
亡くなった長男のご冥福をお祈りします。
 

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2019/09/12

愛知県名古屋市北区受験勉強長男殺人事件その5(論告求刑公判)

***論告求刑公判(7月11日)***
検察側は懲役16年を求刑した。
 
1)検察側は論告で、長男が被告の指示通りに中学受験の勉強をしないため、「暴力や暴言など恐怖で支配していた。(犯行当時は)何らかの理由で激高し、殺意を持って死亡させた」と主張したとのこと。その上で「被告の行為は教育の名を借りた虐待ともいえ、恐怖で支配された被害者には何の落ち度もない」と指摘したとのこと。
 
検察側は事件1、2日前にも長男の足を包丁で切り、犯行直後には自分で刺したと認めたと指摘した。
 
別の報道では
検察側は「日頃から暴力で支配していて、長男が逃げることも動くこともできなかった卑劣な行為」と指摘したとのこと。
 
「信用していたであろう父親から刺されたという苦痛や恐怖、死ななければならないと知ったときの絶望感や無念は察するに余りある」と指摘したとのこと。
 
2)弁護側は「何物にも代え難い息子を刺す動機がない。何らかの弾みで刺さった可能性が高い」と主張したとのこと。
 
傷害致死罪に当たるとして「法定刑の範囲内で適切に判断してほしい」と述べたとのこと。
 
別の報道では
「犯行当時、心神耗弱状態であったうえ、長男を刺すことに合理的な理由が無く、2人が移動するはずみで刺さった可能性が高い」として、傷害致死罪の適用を求めたとのこと。
 
3)被告の最終意見陳述
「殺意はない、それだけは言いたい」と話したとのこと。
 
こんなところですね。
弁護側の主張した「心神耗弱状態」については、これまでの公判では情報が報道されていないと思うのですが、どんな理由で「心神耗弱状態」と主張したのかな?
 
と思って調べたら、精神鑑定がされていますね。
詳しくは判決の記事で書きましょう。
 
判決に注目ですね。
 

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