はじめに長文注意です。
***初公判(1月30日)***
1)元巡査は罪状認否で「その通りです。間違いありません」と事実関係を認めた。弁護側はストレスなどによる、心神耗弱を主張したとのこと。
別の報道では
弁護側は、被告が犯行前の状況について「書類作りができない自分に苦しみ、萎縮した状況で誰にも相談できず、寝ることができませんでした。この人が死んだら楽になると、フワフワした現実感のない状況で引き金を引いた」などと述べているとし、病的な心理状態で刑を減軽すべきと主張したとのこと。また被告の現在の心境として「厳しい指導で育てようとしてくれた。罪悪感でいっぱい。許されないことをした自分を激しく責めている」と述べているとしたとのこと。
弁護側は「繰り返し叱責を受け、イライラしていた元巡査は『おまえがアホなんは、親がアホやからちゃうんけ』と言われ、『この人が死んだら楽になる』ということで頭がいっぱいになった」と主張したとのこと。
2)検察側は「厳格な指導に怒りを爆発させたが、逃走時に交番を施錠して犯行の発覚を遅らせるなど合理的に行動しており、弁護側が主張するような、適応障害により責任能力が著しく減退した状況ではなかった」と述べたとのこと。
別の報道では
冒頭陳述で検察側は「書類の作成で繰り返し訂正を求められるなどして蓄積した怒りや不満が爆発し、射殺を決意した」と動機を指摘。「後頭部や背中を的確に射撃し、発覚を遅らせるため交番のドアを施錠して逃走した」と述べ、完全責任能力があると強調したとのこと。
午後は同じ交番に勤務していた警察官の証人尋問が行われた。死亡した警部の指導について「細かいと思うところはあったが、理不尽とは思わなかった」と証言。元巡査は死亡した警部からの指摘を受けて疲れ切った様子で、ラインで「(死亡した警部と)2人での勤務にびくびくしている」と送ってきたことがあったとのこと。
3)この日の大津地裁での公判では、元巡査が逮捕当時少年だったため、実名を伏せて進められたとのこと。
4)公判前の争点整理段階で、弁護側は、元巡査が心神耗弱状態で責任能力は限定的だったとしており、責任能力の範囲が争点となるとのこと。
5)地検は昨年6月、刑事責任能力を問えるとして起訴したが、大津地裁は弁護側の請求に基づき精神鑑定を行った。
6)交番で2人と一緒に勤務していた20代の男性警察官は、巡査部長について「書類指導は細かく厳しく、自分も内心びびっていた」と証言。元巡査のことは「パソコンが苦手だったが、元気であいさつがしっかりしていた」と語ったとのこと。
証言によると、事件の9日前、元巡査は書類作成を巡り、巡査部長から12~13回、訂正を求められた。修正は午前3時までかかり、元巡査はだんだん元気を失くしていったとのこと。ただ、「理不尽な指導や暴言、暴力は一切なかった」と話したとのこと。
他にも、複数の警察官の供述調書が証拠提出された。巡査部長について、親しかった警察官は「『(元巡査を)育ててやらなあかん。これからや』と話していた」。以前に部下だった若手警察官は「何度も怒られ萎縮したが、最後に『頑張ったな』と言われ、涙した。厳しさの中に優しさがあった」とのこと。
巡査部長の前に元巡査を指導した上司は「質問することも多く、まじめで仕事を早く覚えようとする姿勢があった」とのこと。
***第2回公判(1月31日)***
1)午前中は被告人質問があり、元巡査は巡査部長に何度も書類の訂正を求められ、元巡査は「巡査部長の嫌がらせではないかと思いました」と話す一方で、「自分には警察官としての資質が低いのかなと思いました」と答えました。
巡査部長から何度も指導を受け、「何を答えても『なんでやねん』と言われ、今思うと僕が見当違いの答えをしていたのだろうが、当時はゴールが見えなかった。心臓がしめつけられるような痛みがあった」と振り返ったとのこと。元巡査は、家族のことを問われると、「優しい兄」「とても賢い妹」などと答え、時折言葉に詰まることもあったとのこと。
犯行時の心境について、親を侮辱され「なんでこの人に、ここまで言われなければいけないのか」「この人を撃って自分も死んだら楽になると思ってました」
と動機について話したとのこと。
元巡査は、弁護人の質問に対し、昨年4月11日夕、彦根署河瀬駅前交番(彦根市南川瀬町)で勤務中、奥の部屋で弁当を温めている際、巡査部長=当時(41)、警部に昇任=から「行方不明届ごときなんで書けへんねん」と怒られ、続けて「お前があほなんは親があほやからちゃうんけ」とののしられたとのこと。再三の指導でたまっていた感情があふれ、トイレで涙が止まらなくなったと述べたとのこと。
その直後、「この人を撃ったら楽になれる。びくびくして仕事をする状況から逃れられる」と思い、トイレから出て拳銃の撃鉄を起こして、井本巡査部長の背後に立った。しかし、「のどがからからに渇いた」ため、一度奥の部屋に戻ってスポーツドリンクを飲み、再び背後に立って発砲した、と説明した。弁護人から「悪いことだからやめようとは思わなかったのか」と聞かれ、「全く思わなかった」と話したとのこと。
「頭が全く回らない状態で、淡々とこれで楽になるんじゃないかなと思いました」とのこと。
巡査部長と一緒に勤務したのはわずか5回。しかし、元巡査は巡査部長に叱責されるたびに「心臓を締めつけられるような痛みがあった」と当時を振り返った。一方で、「なぜあんな異常なことが頭に浮かんだのか、今から考えると他にも選択肢はあった」と話したとのこと。
2)午後
元巡査は「彦根署での実習が始まったころから、仕事を思うようにできず悩み続けていた」とし、誰かに相談できなかったのかという検察側の問いには「新人のくせに不満を言うなと思われるのが嫌で、相談できなかった」と答えたとのこと。
3)母親が証人として出廷した。母親が話し始めると、元巡査は涙を流したとのこと。
事件の数日前に、元巡査から「死にたい」という内容のメッセージを受け取っていたことを証言したとのこと。
母親は、元巡査は3人兄弟で、中でも一番優しい子だったと話していて、警察官になったときは、大変うれしく自慢の息子だと思った、と話したとのこと。
弁護側から、事件のことを聞かれると、電話に出た元巡査から「お母さん、ごめん死ぬわ」と言われ「死んだらあかん」と声をかけたとし、また「お父さん、お母さんのことまでボロくそいわれ我慢ならんかった。殺す気はなかった」と話していたとのこと。
さらに、弁護側から、事件を防ぐにはどうすればよかったかと聞かれると、愚痴や相談を聞ける環境をつくり、気づいてあげられればよかったと涙ながらに語ったとのこと。
***第3回公判(2月1日)***
1)鑑定人は元巡査の性格について「劣等感を感じやすく、他人に自分の気持ちを伝えない傾向がある」と指摘。「フラストレーションが風船のように膨らんでいき、能力を否定されたことが犯行のきっかけになった」と説明したとのこと。
2)精神鑑定を実施した臨床心理士は「精神的な疾患がある可能性は低く、平均的な社会適応能力はある」としたうえで、慣れない交番の仕事に無力感と自責の念を募らせるあまり「巡査部長の指導が悪い」などと考えて心のバランスをとるようになり、「両親をばかにされたと感じる発言をされ、バランスが崩れた」と犯行に至る心情を分析したとのこと。
犯行時の精神状態については、度重なる叱責などによるストレスや睡眠不足から「現実感を失っており、『撃ったら楽になれる』としか考えられない意識狭窄の状態だった」と述べたとのこと。
別の報道では
元巡査は犯行直前に巡査部長に両親を侮辱され、「スポットライトで一点を照らすように、『この人が死んだら楽になる』ということにしか意識が向かない状態だった」と説明したが、「物事の善悪を判断する能力はあった」と明言したとのこと。
2)精神鑑定にあたった精神科医は、犯行時の元巡査の状態を「ストレスにうまく対処できない適応障害だった」と分析。「適応障害が犯行に影響を与えたわけではない」とする一方で、「事件当時、元巡査は神経が疲弊し不安定な状態だった。衝動を抑えられずに拳銃で撃った」などと証言したとのこと。
別の報道では
精神科医は「上司の指導によるストレスなどから、衝動を抑える力が低下していた」とし、犯行に結びついた可能性があると指摘したとのこと。
精神科医は、元巡査が上司の巡査部長から何度も書類の訂正を命じられてストレスをためていたと分析。犯行時は「広い視野を持てず柔軟な思考ができない性格に加え、ストレスや不眠などから、衝動を抑える力が弱まっていたのは事実」と説明したとのと。弁護人に、「このことが凶行と結びついたと言えるのか」と問われると、精神科医は「それ以外は考えにくい」と述べたとのこと。
しかし、「衝動が抑えられなくなっている時、一般的に善悪の判断力まで失われるわけではないが、元巡査がどうだったかは言い切れない」としたとのこと。
また精神科医は「(元巡査は)ストレスを適切に処理できない適応障害に該当する」としたが、「ストレスをためて殺害に至ったという結果も含めて適応障害と判断しており、障害のせいで犯行に至ったというのは誤り」と強調。反社会的な人格障害や幻覚、妄想は認められなかったとのこと。
***第4回公判(2月4日)***
1)巡査部長の妻が証人として出廷。妻は巡査部長と同期の警察官で2児の母。
検察官の質問に妻は、巡査部長の人柄を「一緒にいて楽しく安らげる人」とし、結婚して10年ほどたって授かった長男(4)について「本当に誕生を心待ちにしており、『一緒にカブトムシを捕りに行きたい』などと楽しみにしていた」と話したとのこと。
事件の一報を聞いて病院に駆けつけると、医師から「もう何の反応もない」と告げられ、心臓マッサージの中止に同意したとのこと
妻が「長男はまだ死をはっきりと分かっておらず、『パパいつ帰ってくるの』と言い、最後の別れとなった葬儀場名をあげて『行きたい』とせがむ。父親に会えるのじゃないかと思う姿が本当につらい」などと涙ながらに話したとのこと。
妻の証言の直後、元巡査は何かを吐き戻しそうになったような様子を見せ、口元を手で押さえたとのこと。
元巡査が「両親を侮辱された」と供述していることに対し、妻は「そんなことは言っていないと信じています」と主張。検察官からどんな処罰を望むか問われると、「厳しい処罰をお願いしたい」と述べたとのこと。
別の報道では
「被告人は未成年だったという以前に、警察官であるのにと強く思う」「息子のかわいい姿を見せてあげられず、可哀想で無念」と涙ながらに語ったとのこと。
また、元巡査は巡査部長から書類の書き直しを何度も指示され、思い詰めるようになったと弁護側が主張している点については「何度も書類を訂正するのは、ごく当たり前のこと」「厳しい処罰をお願いしたい」と話したとのこと。
巡査部長が書類を再三訂正させ、元巡査が「嫌がらせ」と感じた事について、妻は「仕事は適当にしていいものはない。自分も泣いたことがある」と述べたとのこと。
「警察官は人より一段高い倫理観が当たり前で、警察官が事件を起こしたことが本当に許すことができない」と話したとのこと。
元巡査への被告人質問で妻は「今でも警察官になって良かったと思っているか」など三つ質問した。元巡査は「そう思う」などと一つ一つ時間をかけて答えたとのこと。
***論告求刑公判(2月4日)***
1)検察側は懲役25年を求刑した。
検察側は求刑の理由を「動機は自分勝手でくむべき事情がなく、現職警察官による犯行は強い非難に値する」としたとのこと。
別の報道では
論告求刑で検察側は「犯行の発見を遅らせるために交番の出入り口を施錠し制服を脱ぎ捨てるなど、合理的に行動している」として責任能力があったと指摘したとのこと。
「現職の警察官が職務上携帯していた拳銃で上司を殺害した前代未聞の行為。犯行に至る経緯で汲むべき事情もない」として懲役25年を求刑したとのこと。
2)弁護側は最終弁論で、事件当時の元巡査は現実感を失っており、「この人が死ねば楽になる」としか考えられなかったと主張。物事の善しあしを判断し、行動をコントロールする能力が著しく損なわれており、責任能力は低下していたと訴えたとのこと。
3)元巡査は最終意見陳述で「絶望の底に落とされた遺族、ものすごく大きな無念を持っている巡査部長に対して本当に申し訳なく思っています」と謝罪。被害者参加制度に基づき公判に参加した巡査部長の妻(40)に向かって、「本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げたとのこと。
***判決公判(2月8日)***
裁判員裁判で、大津地裁は2月8日、懲役22年(求刑・懲役25年)を言い渡したとのこと。裁判長は「親をなじられたことで拳銃を使い上司を即死させた空前絶後の重大事案」と述べ、事件直前に衝動を抑える様子もうかがえたとして、心神耗弱の主張を退けたとのこと。
元巡査が上司の巡査部長から書類の訂正を再三求められるなどして反感を募らせ、事件当日も厳しく指導され「仕事ができないのは親のせいか」と言われ殺害を決意したと指摘したとのこと。
さらに元巡査が精神的に追い詰められた側面はあるものの、「(巡査部長に気付かれないよう)離れた場所で拳銃発射を準備し、至近距離で射殺後も交番を訪れた住民に応対している」と、責任能力があったと判断したとのこと。
元巡査は未成年だったが、裁判長は「拳銃を携帯する意義の教育を受けており、犯行直前に拳銃の存在を意識した時こそ警察官の本分を思い起こし、思いとどまるべきだった」と批判したとのこと。
警察学校での新人警察官の指導については「十分教育を尽くしていると言えず、未熟な警察官が拳銃を携帯している。巡査部長は熱意があったが被告には伝わらずかみ合わなかった。組織として指導や養成の在り方が検討されるべきだった」と今後の改善を促したとのこと。
判決によると、元巡査は巡査部長から書類の訂正などの指導や注意を受けることが続き、反感を募らせていた。昨年4月11日、厳しく叱責され、できの悪さは親のせいかなどと言われて反感と憤りを一気に強め、巡査部長の殺害を決意。同日午後7時47分ごろ、交番で巡査部長の後頭部と背中を拳銃で2発撃って殺害。同日午後8時半ごろまで、実弾3発が入った拳銃を持ったまま逃走したとのこと。
こんなところですね。
うーん、普通と言うか常識的に考えれば、職務の為に貸与されている拳銃を持つことは、その責任を負うことである事は当然で、現職警官による拳銃を使った凶行ですから、より厳しい判決になると言うのは、仕方が無いだろうと思う部分ではあります。
そして、犯行前後の行動から責任能力に問題が無いだろうと言うのも、判断として間違いでは無いだろうと思います。
・・・ただ、当時19歳で初めての職場ですよね。そこで厳しい先輩当たってしまったと言うのは、自分の事を思い出してもちょっと同情できる部分はあるなと思う部分はあります。
仕事の性格上、厳しく育成するべきだと言うのは分かります。いい加減に仕事を覚えて欲しくないと言うのも、教育係としての責任感として当然有ると思います。
でも、人によっては褒めて伸びるタイプもいるわけですから、これ以外に方法が無い事も無いと思うんですよね。
あるいは精神修養として、厳しく接していたと言う側面もあったのかもしれませんけどね。
教育、育成方法については裁判長が異例のコメントも出しているので、今後、改善方法を検討して欲しいですね。
今回は現場が警察だったので、凶器として拳銃を使ったと言う事なんでしょうが、一般の企業でも、傷害事件ぐらいは起きても不思議では無いと思います。
亡くなった巡査部長のご冥福をお祈りします。
参考リンク
滋賀県警19歳警官拳銃同僚射殺事件
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